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旅の思い出<3>


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<英語>

自分が行ったタミルナド州について言えば、
英語ができる人とできない人との差は顕著です。
できる人は学校で英語を使って学習しているので、
ほぼネイティブレベルと言って差し支えありません。
新聞でも雑誌でも映画でも、英語のものをそのまま普通に読んだり見たりしています。

ホームのオーナー家族たちの英語は完璧です。
ホームのスタッフの人たちは片言といった感じの人が多く、
子どもたちも同様です。

インドの人たちと深い交流を持つためには、
高い英語力を身に付けていることが望ましく、
自分はまだそのレベルには達していません。

9月末にスギルタンとクマールが日本に来て会うことになっていますので、
その時、より流ちょうな英語で会話できることを目標に、
今英語学習に励んでいます。

子どもたちと接するには、そんなに高い英語力は必要としません。
子どもたちが英語や理解不能なタミル語を一生懸命語りかけてきても、
ただ一緒にいて、適当にうなづいているだけで満足してくれます。

何か伝えたいことがあれば、
英単語を並べて話しかければそれでOKです。

ホームではたくさんビデオを撮ったので、
時折それを見ています。
学校への送迎バスで撮ったビデオでは、
子どもたちがバスを下りて学校に向かう時、
口々に「ブラザー、スクール・カミング!」と言ってくれています。
子どもたちの英語はこの程度です。

「ブラザー、一緒に学校へ行こう♪」
それを言われた時にもありがたいと感じましたが、
日本に戻り、再びその言葉を聞くと胸が熱くなります。
子どもたちの思いがあの時以上に胸にしみます。

子どもたちと接するのに必要なものは、
開けた心と子どもたちを思う熱い気持ち、この二つだと感じます。


<コミュニケーションツール>

インド人は子どもも大人も写真やビデオが大好きです。
今のデジタルカメラやビデオは、
撮ったその場でそれを再生することができ、
これがその場を盛り上げ、コミュニケーションを図るために大いに役立ちます。

今回はパソコンも持っていきましたので、
その大きな画面で過去のものまで遡って写真やビデオを見せてあげると大喜びです。
7月7日、クマールの誕生パーティーでもたくさんのビデオを撮りました。
彼にとっていい記念になったことと思います。

ただインドと日本では動画記録方式が異なり、
日本から持っていったヒデオで撮ったものは、
インドのパソコンでは、そのままではきちんと再生することができませんでした。
Windows Media Player、RealPlayer等動画再生ソフトはいろいろありますが、
インドでダウンロードするこれらのソフトは、
日本のものとは再生できる動画の種類が異なるということを今回初めて知りました。

たまたま Media Player Classic という動画再生フリーソフトが
汎用性の高いものだと知ってたので、
このソフトをインストールすることにより、
インドのパソコンでも再生することができるようになりました。


毎回インドに持っていっているこの本は今回も大活躍してくれました。

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この本を取り出し、何かいろいろ言葉について質問をすると、
それだけでその場が大いに盛り上がります。

この「旅の指さし会話帳」は言語によっていろんな種類があります。
海外旅行の必須アイテムです。


今回は折り紙をたくさん折りました。
手先の器用なインド人ですが、
インド人は誰も折り紙の折り方を知りません。
折り紙は日本の伝統技術なのですね。

今回はほとんどの場合、ノートを一枚ちぎってもらい、
それを正方形にカットしたものを使いましたが、
百円ショップには色とりどりの折り紙がたくさんありますので、
次回インドに行く時には何セットか折り紙を持参しようと思います。

それと鶴だけではなく、何か他のものも折れるように練習しようと考えています。


<祈り>

南インドへの旅では毎回のことですが、
ホームにいる時は朝夕子どもたちと一緒に礼拝をし、
日曜日には近くの教会に出かけ、お祈りをします。

聖書の言葉を聞いたり、牧師さんの説教を受けたり、
太鼓や手拍子に合わせた賛美歌を聴くこともありますが、
すべてはタミル語なので、その意味はまったく理解することができません。

日本山妙法寺サンカランコービル道場にいる時も同様です。
早朝4時半と午後5時からのお勤めでは、
団扇太鼓を叩きながら一心に南無妙法蓮華経を唱え続け、
お経本に書かれた文字を目で追いはしますが、
そのお経の示す意味が分からないという点では、
タミル語の祈りと変わることがありません。

どちらも本当はその意味を理解し、
それを心に染みこませるのが理想なのでしょうが、
言葉を越えた、祈る思いというのを感じ取っています。


ホームも日本山妙法寺の道場も、
毎日規則正しい生活の流れの中に祈りというものが組み込まれていて、
朝起きて顔を洗い、食事をするのと同様に、
祈りも生活の中の欠かせない一部となっています。

ホームの礼拝堂に子どもたちが並んで腰を下ろし、
こわばらない自然な姿勢で前を見つめ、
可愛らしい声、慣れた口調で祈りの言葉を捧げるのを聞いていると、
敬虔というよりももっと自然な、
まるで朝日が昇るのと同時にあちこちでさえずり出す小鳥の声を聞いているような、
そんなさりげない喜びを感じます。

日本山妙法寺の道場で、早朝真っ暗な内から祈りを唱え続け、
その間少しずつ夜が白んでいき、
堂内での祈りを終えて外に出た時に眺める朝日、
それに向かって手を合わせる時の爽やかな気持ちは、
言葉で表現することができません。



大自然の中で生かされている、
太陽を含め自然の中で命が育まれている。
そんな真理が深い感動とともに胸の中に湧き上がってきます。


祈りの第一義は願いではなく、
今この瞬間生かされているということ、
それを感じ、そのことに感謝するところにあるのだと思います。

肥沃なインドの大地は、そのことを体で教えてくれました。



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