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5月28日 バイクで町へ


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昨日お医者さんに連れて行っていただき、とても気持ちが楽になりました。
夜中トイレに立つと血が急に足下に下がり、
少し左足の足首あたりから甲にかけてジンジンするのですが、
朝は久し振りにサンダルを履いて普通に歩けるようになりました。

今朝も4時半過ぎに太鼓の音で目覚め、
本堂で一緒にお勤めをしました。

本堂でのお勤めが終わり、
午前6時過ぎに東の空から現れてきた太陽を礼拝します。



今朝もぐるりと外を参拝して回ります。



お勤めが終わり、少しベッドでゴロリと横になっていると、
石谷上人がココナッツジュースを持って来てくれました。



そういえば、ここサンカランコービルでは椰子の木をあまり見かけません。
カンニャクマリは椰子の木の林がいたるところにあったのですが、
少し離れると随分植生が変わるものです。
マンゴーの木もこちらでは少ないのです。

朝食はまたジャパニーズテイストな食事で感激です。 ^^☆



梅干しに海苔、おかゆに醤油、
とろろ昆布は私が持っていたものを提供させていただきました。
日本食以外にも木村庵主さんの作ってくださる食事はとても親しみが持てる味で、
日本人の味覚を刺激する感じです。 ^^☆

朝食後は少し眠り、パソコンの更新作業などをして過ごします。
時間が経つのは早いもの、あっという間に昼食です。
キャベツの炒め物が少し懐かしい感じです。





お寺には四匹の犬がいて、この犬は廊下のこの位置でいつも昼寝をしています。
誰も踏んづける人がいないので、人が近づいても知らん顔です。



昼食後、お寺の近くを散歩しました。
ヒンズー教の寺院は、カラフルでそれぞれ個性があります。







インドではまったく珍しくもない山羊の群れがいたので、
下に下りてシャッターを切りました。



子ども、お年寄り、山羊飼いの人たちに両手を合わせて挨拶すると、
きちんと挨拶を返してくれます。
もっとこっちに来て写真を撮れと手招きしてくださり、
写真を撮り終わってお礼をすると、またきちんとお礼を返してくれます。
このあたりのフレンドリーさが南インドの田舎の良さです。

踏切で待つバイクのおじさん。



インドはカラフルな荷物を満載したバイクやトラックをよく見かけるのですが、
なかなか写真を撮るチャンスに恵まれません。
このおじさんも適当に荷物をくくりつけているだけなのでしょうが、
なんとなく絵になってカッコイイですね。 ^^☆

お寺の近くにある水くみ場は、いつも人でいっぱいです。
ここの水は美味しいらしく、お寺の飲み水も以前はここで汲んでいたそうです。



壺が日用品であり、色とりどりカラフルでなければならない理由がよく分かります。
壺のプラスチックは結構薄っぺらいもので、
これだとすぐに壊れてしまうのも無理ないでしょう。

水汲み場の写真を撮っていると男の子たちが集まってきました。



キャーメラ♪キャーメラ♪、子どもたちは本当に写真好きです。 ^^☆

三時のお茶にこんなのを出してもらいました。



お茶は台湾製のものらしく、ハープティーの一種でしょうか、
まったく甘くないお茶を飲むのは久し振りです。
お茶請けはカシューナッツとインドの甘いお菓子二種類です。

4時半にムルガンに町に連れて行ってもらう約束をしていたので、
その少し前に彼がバイクで向かいに来てくれました。



バイクの後ろに乗り、サンカランコービルの町に行きました。
まずはお寺の用事で現金をどこかに送金しています。



その店の横にはコンピュータを指導する学校の看板があります。



とにかくコンピュータ文化花盛りで、
今後もここがインドの躍進の原動力になるものと思われます。
本当に、こんな看板やポスターはそこらじゅうにあるのです。

ムルガンが気を遣って、甘いインドのお菓子をご馳走してくれました。
とろとろになった羊羹かういろうみたいなものを量り売りしています。



インドではとてもポピュラーなお菓子で、
甘さも少し控え目なのでなんとか食べることができます。



これも最もポピュラーなお菓子のひとつで、
ご飯と一緒に食べたりもするのです。



次は昨日の花祭りの写真をプリントアウトしてもらうため、
写真屋さんへと行きました。



10枚ほどの写真データをUSBメモリーに入れて渡し、
USBメモリーはその場で返してもらったのですが、
出来上がりは明日の朝8時とのことです。

次は待望のネットカフェに連れて行ってもらいました。 ^^☆



広いところでのんびり使う事ができたのですが、
この汚さ、・・・ 片付けようという気がないのでしょうか?



私のボロパソコンは、ページデータをアップロードするだけでも相当時間がかかり、
その間は、ネットを見ることすらままなりません。
今はモバイル用の Celeron ですらデュアルコアの時代ですから、
新しいパソコンだと随分処理速度が違うのだと思います。
けれどもこれも取りようです。
きっと日本に帰って自宅のパソコンを触ると、その快適さに感激することでしょう。

アップロード待ちしている間、廊下からサンカランコービルの町を撮りました。
こまのネットカフェは、ほぼ町の中心部にあります。



一時間近くいたでしょうか、料金は30ルピー(約63円)です。

その帰りにお寺の食事用の野菜を買いに、市場に寄りました。

市場は外でも野菜を売っています。
色とりどりの野菜にあふれ、思わずシャッターを切りたくなるようなシーンばかりです。





市場の中はこんなのです。



ムルガンが野菜を買っている間、
私はカメラを抱えて彼を待っています。



これは大きめのオクラのような野菜です。



インドのキャベツは見た目は日本のものと一緒ですが、
大きく育つように品種改良された日本のものと違い、
身が引き締まっていて堅いのです。



これは色形は日本のものとだいぶ違いますが、
なすびですね。



不揃いの大根たち。



瓜の一種でしょうか、なにかチョロチョロしていてネズミを連想します。



市場のおじさんが写真を撮ってくれと言われて撮りました。
  (ページにはアップしていなくても、そんなことがかなりの頻度であるのです)



このおじさん、どこかで見たことがあると思ったら、
一昨年、石谷上人とここを訪れた際、
このおじさんの写真を撮っていました。
しっかりと記憶に残っています。

時間はもう午後6時半を回り、だいぶ光の条件が悪くなってきました。
と言うことで、ちょっとぶれていますが、
紫色のニンニクみたいだなと思ったら、これは立派なタマネギだそうです。



いつも見かける木になっているものより一回り大きいマンゴーです。



市場を出た後も、ムルガンの友達と待ち合わせしてお茶を飲んだり
煮豆みたいなのを食べたりして、なかなかお寺に帰り着けません。
彼としては少しでも私を接待したいのと、
日本人の友達がいるのを自慢したいようです。

かなりくたびれた状態でお寺に戻りました。
インドではいつもくたびれていても、翌日にはまたしっかりと元気が回復します。
これは紛れもなくインドの生命あふれる食の恩恵です。

その生命あふれる今夜の夕食はイドゥリー、後でアッパーも出てきました。
フルーツのマンゴーは、何度食べても最高の甘みです。



夕食の時に聞いたのですが、
先日ここに来る途中通った大きな町、
新聞に日本語学校があると書いてあったティルネルベリの町で、
警察がブルドーザーで仏教のお寺を破壊したというニュースが載っていたそうです。



新聞の日付は5月22日、写真は壊されるお寺と倒された仏像のものです。

話せば長くなりますが、
今インドでは仏教徒が何十万人というものすごい単位で増えていて、
その活動の中心となっているのが北インドのナガプールという町にいる
佐々井秀嶺という日本人のお坊さんです。

佐々井秀嶺師は、不可触民でありながらインド独立後の初代法務大臣となり、
現在のインド憲法の草案を作ったアンベードカル師の流れを汲んだ
仏教伝搬活動をしておられます。

昨年44年振りに日本に帰国され、
私の知り合いのお坊さんが広島で佐々井師の講演会を企画し、
私も写真を撮ったり録音をしたりしてその会のお手伝いをしました。

その佐々井師の活動の原点は不可触民(アンタッチャブル)と呼ばれる
インドの身分制度カースト制の最底辺に位置する人たちの解放で、
たぶんに政治的色合いも濃いもののようです。

今回警察によって破壊されたのは、
その佐々井師の活動の関係で建てられたお寺で、
新聞報道によると、無許可で建てたものだったとのことです。

活動の評価とはとても難しいものです。
佐々井秀嶺師のこれまでの生い立ち、活動を描いた「波天」という
かなり分厚い本を昨年読み、その破天荒な活動振り、
インドでの宗教活動の現状を知り、とても大きな衝撃を受けました。

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本の中には、今私がお世話になっている日本山妙法寺のこともたくさん書かれていて、
知っているお上人さんたちの名前も登場しています。
佐々井師にとってインドでの活動の原点は日本山妙法寺にあるにも関わらず、
なぜかその日本山妙法寺に対して批判的な記述が多いことに、
大いなる疑問と心の痛みを感じます。

これからインドでの仏教がどのように形作られていくのか分かりませんが、
近い日に、必ずこれまでの結果が正しい形で現れてくるものと信じています。


手足の腫れの状態も少しずつよくなってきました。
昨日、これは「厄落とし」だというようなことを書きましたが、
私は厄落としということの正確な意味を知りません。
ただ適当に言葉遊びとして書いただけです。

運気の流れというものは確かにあり、
それに基づいた吉方位、凶方位というものもあるのだと思います。
だとしたら、毎日吉方位ばかりを選んで活動すれば
人生幸せいっぱいに暮らせるのでしょうか?
そんなことは絶対にありえないことです。

人は無意識のうちに吉方位、凶方位を選び、
人生様々な選択をするのでしょう。
いいことも悪いことも、その時に自分が必要だと(最も深い部分で)感じ、
選択しているのです。
吉とか凶とかいうものは人間の表面意識上での価値であり、
本来どんなこともすべては自らの真我が選択した最高の判断であるはずです。

吉方位に行き最高の伴侶と巡り会うのも、
凶方位に向かい飛行機事故で命を落とすのも、
その人自身の真我が望まなければ絶対に起こりえないことです。

今回の南西への旅であるインド旅行が凶方位であったとしても、
様々なトラブルから何かを学びたいと私の真我が選択をしたのでしょう。

数年ぶりに医者にかかり、飲みたくもない薬を飲んだのですが、
それも自らの選択だと思うとありがたいことです。

スジーブは早くから医者に行くようにと何度もすすめてくれました。
今考えると、もっと早く行っておけばより楽に旅を楽しめたのかもしれません。
けれども痛み苦しみ痒みの中、何かを感じたいと思ってそうしていたのであれば、
それはまたそれで旅の趣のひとつと言えるでしょう。

旅、大きく言えば人生という旅は、
その途中でどのようなことが起こるか分かりません。
計画通りに行かないこともしばしばです。
それをいちいち計画通りではないからと嘆いていても始まりません。
すべては真我の望むこと、ここから新たな旅の意義を見つけ、
「ああ、自分は本当はこんなことを望んでいたのか♪
そう感じて新たな方向性を見つけていくのか、」
東洋的な生命観から観た最も理想的な旅の過ごし方、生き方なのだと思います。

私たちの表面意識でとらえる善事、悪事は、
厳密なカルマの法則、原因と結果の法則の下では、
どちらか片方だけを選択することはできません。

善事、悪事もすべてはその人のとらえ方ひとつ、
また避けて通れないならば、悪事を楽しむのが最善かと考えます。
今回の旅のアクシデントは、いい旅の思い出のひとつとなるでしょう。
実際もうなっていますしね。 ^^☆


それにしてもお寺での生活は快適です。
ここでなら日本復帰への順調な準備ができそうです。 (^o^)v



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