インド・スリランカの旅
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3月7日  To サンカランコービル





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我が心のインド




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ホームでの最後の日、沈痛な気持ちで朝を迎えました。 ・゚・(ノД`;)・゚・
私のローテンションな気持ちとは関係なく、
当然ながら子どもたちはいつものように元気いっぱいです。

男の子たちは今日も大騒ぎしながら水浴びしたり洗濯しています。
なんでこんなに元気なんでしょうか?

ワ~イ、写真を撮ってくれ~!

洗濯、水浴びで大騒ぎ

このはしゃぎっぷり ・・・ 、写真から声が聞こえてきそうです。

イエ~イ!

余談ですが、今から過去を大きく遡ること四十年とちょっと前、
当時住んでいた大阪の豊中にある服部緑地で、
私たち幼稚園児ばかりを集めてラジオ体操(だっとと思います)をして、
それをテレビカメラで撮ってもらったことがあります。

あのときはいつも以上に元気に走り回った記憶がかすかにあり、
きっとホームの子どもたちも、その時の私の心境に近いものがあるのかもしれないですね。

その後放送された番組を見ると、自分の姿は画面から確認できなかったものの、
一番仲のよかった中くんという友達がバッチリ映っていたような記憶が ・・・ 。
そういえばその中くんの家の表札をいつも見ていたので、
私が最初に覚えた漢字は “中” という字です。
そんなことも思い出しました。 ^^☆


学校登校直前の女の子たちともにこやかに名残を惜しみながらお別れです。

名残惜しいお別れです

子どもたちには今日でホームを去ることは言いませんでした。
なんて言っていいのか分からないですし、
子どもたちとしんみりした時を過ごすのはイヤですので ・・・ 。 (>_<)

みんなコロコロ、ポチャポチャです

ちっちゃな女の子たちは、昨日の朝見た子犬みたいにコロコロ、ポチャポチャして、
すごくかわいいですね。 ヽ(^o^)ノ
ホントにホントに、離れがたいです。

みんなかわいい女の子たち

できることなら何人か日本に連れて帰りたいぐらいですが、
彼らにとってやはりインドが楽園でしょう。
真面目な話、何らかの事情でこの子たちがモノの豊かな日本で暮らすようになったとしたら、
今のような素晴らしい笑顔は消えてしまうでしょうね。

ちっちゃな男の子たちと先生

ホームの職員の方が、気を遣って子どもたちに私が今日ここを離れることを告げ、
みんなに挨拶するように話をしてくれました。

これから楽しい学校です

学校に向かう子どもたちの隊列が私の元に寄ってきて、
別れの挨拶をしてくれます。

小学校の女の子たち

ホームに滞在した最後の方では、仲良くなってくれたちっちゃな女の子は、
親愛の情をこめて私のほおにキッスしてくれるまでになったんですよ。
これってちょっとスゴイことです! (^o^)v

スギルタンに話したら、
「ボクはまだしてもらったことがないのに!」
とビックリしていました。

けど今朝の別れの挨拶はちょっと淡々としたものでした。
子どもたちはホームに来たゲストとの別れになれているのでしょうか、
寂しさをあまり表に出さない子どもたちの様子に、
また一段と私の胸は締め付けられます。 ・゚・(ノД`;)・゚・

ホームから集団登校する中学校の女の子たち

子どもたちと別れがたい私は、今日も子どもたちと一緒に学校までついて行きました。
今日はちっちゃな女の子の集団と手をつないで行ったのですが、
私の両方の手にはいくつもの紅葉の葉っぱのような手のひらが伸びてます。

女の子たちは隊列を崩しません。
手をつないでほしい他の子どもたちは
「ブラザー」と私に声をかけ、列の自分の場所に私を呼び寄せてくれます。

なんてかわいいんでしょうか ・・・ 。 ^^☆
同じ様なことばかり書いてスミマセン、でも他に表現する言葉がないんです。

小学校に到着すると子どもたちは元気よく門の中に入っていきました。
けれども門の中に入っても、いつまでもこっちを向いてはしゃぎまわり、
ちっとも校舎の中に入ろうとしません。
当然私もその場を離れがたくなってしまいます。

そうこうしていると、小学生の列の後ろを歩いていた中学生たちが
「ブラザー、ブラザー」と大きな声で声をかけ、私を中学校へと誘ってくれます。
後ろ髪を引かれる思いで小学生たちとお別れをし、
小学校のまだ少し先にあるまだ行ったことのない中学校へと行くことにしました。

さすが女の子たちも中学生ともなると、
向こうの方から私に手をつないでこようとはしません。
しかしこういう時はやけに積極的な私です。
手のひらを大きく広げ、女の子たちに向かって手を伸ばしました。

2、3秒ほど待ちましたがなかなか手が伸びてきません。
女の子の方をニコッと微笑みながら振り返ると、
横の女の子が照れくさそうな、恥ずかしそうな、困ったような ・・・ 、
そんなモジモジした、はにかんだような顔をしていました。

彼女は一体どんな気持ちだったのでしょうか ・・・ 、
恥ずかしげな彼女の顔の裏に、ほんの少しの寂しさのようなものを感じ、
たぶんあの時の彼女の顔は一生忘れないでしょうね。

そう思った次の瞬間、別の女の子たちが私の両手に手を伸ばしてきてくれました。
彼女たちの手のひら ・・・ 、あったかかったですね。
こうしてパソコンで文字を打っているだけでじわ~っときてしまいます。  (TωT)ウルウル


小学校から歩いて5分ほどで中学校に着きました。
学校の敷地の中には教会が建てられていて、キリスト教系の学校のようです。

中学校で女の子たちとお別れです

彼女たちとも元気よく手を振ってお別れをしていると、
その横にいた学校の先生が私に声をかけてくれました。

カンニャークマリの中学校

「アンブマナイ(ホームの名前)に帰るのか?」
と尋ねられ、そうだと答えると、バイクでホームまで送ってくれることになりました。

HERO HONDA のバイクの後ろに乗せてもらい、
颯爽と風を切って走ります。
途中小学校の前を通ると、子どもたちがまだ校庭を走り回っていました。
ほんの一瞬でしたが、子どもたちと手を振りその前を走り抜けていきます。

ホームに戻ると中学生の男の子たちがいます。
今日は彼らがお休みの日のようで、外でぶらぶらとしています。

ホームの中学校の男の子たち

彼らが腰掛ける花壇の横に座り、
隣の赤いシャツを着た男の子の肩をそっと抱きました。
  (昨日リスを見せてくれて、椰子の実を割っていた子です)

私とくっついているのが心地いいのか、いつまでも体をじっとさせています。
中学生ぐらいの子どもと肩を抱き合うなんて、日本だとちょっと恥ずかしい気がしますが。
彼は無言で私に体を預けてくれます。

昨日の日記にも書きましたが、
インドのホームの子どもたちは、
大人びた逞しさとともに、実に素直で子どもらしい面を持っています。

彼も実にいい顔をしています。男前で、現代日本風に言えば “ジャニ系” でしょうか。
作業をしている所作は、見てほれぼれするほど凛々しいものですが、
こんな甘えん坊でかわいい一面も持っているのです。

それはそうでしょう、両親や家族と離れ、あるいは亡くし、
一人ホームでたくさんの子どもたちと暮らしているのですから、
さぞつらいこと、寂しいことがあるでしょう ・・・ 。
それを普段表に表さない彼らの強さ、けなげさに心打たれ、涙します。 (T。T)


いよいよホームを去る時刻が近づいてきました。
荷物を再度確認し、ジープに積み込みます。
子どもたちもそれを手伝ってくれました。

『またいつか帰ってくるからね。
    それまで元気でね。
       君たちのことは忘れないよ』

ただ私は心の中でそうつぶやくだけでした。

ジープにはスギルタンも一緒に乗り、
近くのナガラコイルのバスターミナルまで送ってくれました。
「また必ず会いましょう」
インドでの再会を誓いお別れです。

ここからは先日自宅に招いてくれたホームの先生ヨバンさんが
バスでティルネルベリまでお付き合いしてくれます。

ティルネルベリに向かうバスの中

バスには車掌さんが乗っていて、行き先を言うとチケットを渡してくれて、
受け取ったお金(紙幣)は、左手の指と指の間にきれいに挟み込み、
なかなかの職人技です。

ティルネルベリのバスターミナルで降り、
ちょっと場所が分からなくて炎天下の中をバタバタしましたが、
サンカランコービルから迎えに来てくれた一行と落ち合いました。
懐かしい顔です。

ティルネルベリでサンカランコービルの一行と再会

ムルガンの暴走車も久しぶり、運転席の後ろに座り、
「Hey ! Drive safty !」
とお約束の言葉をかけると顔をくしゃしくゃにして嬉しそうにしていました。

サンカランコービルに向け車は一路北を目指し、
途中町で昼食を食べたりし、何ヶ所かで用事をすませます。

学校のようなところに寄り、ココナッツジュースを出してもらいました。

椰子の実を持つリラ庵主さん

ジュース屋さん(?)が来て、その場で椰子の実をカットしてくれます。
飲み終えた後は真っ二つにカットし、
いつものように内側に膜のように張り付いているゼラチンをすくって食べます。

ココナッツジュースをおかわりしました

私はすすめられるままふたついただきました。
ココナッツジュースはインド、スリランカで何度飲んだことでしょうか。
南国の最も身近な清涼飲料水です。

ここの入り口の門扉には、なんとこんな紋章が付いています。 w(☆o☆)w

なんと皇室の紋章です!

この色合いといい、形といい ・・・ 、
「これは日本の皇室の紋章だぞ。知ってるのか?」
と聞いたところ、知っていると答えていましたが、
誰に教えてもらったのでしょうか?


車は懐かしいサンカランコービルの町に入り、道場の場所へと向かいました。
人気がなくガランとした道場はなんとも寂しげです。

夕方のお勤めもリラ庵主さんと二人でしました。

日本山妙法寺サンカランコービル道場

仏舎利塔建設現場でお祈り

カンニャークマリのホームを離れる直前、スギルタンに
「サンカランコービルに行ったら誰もいなくて寂しいぞ」
と言われていたのですが、
本当に寂しさを身にしみて感じます。

石谷上人、木村庵主さん、信者の人、日本人旅行者、たくさんの工事人たち、・・・
あの時の賑わいがウソのようです。

夕食はリラ庵主さんとケララ州出身で料理人として住み込んでおられるおばさんと
三人で食べました。

リラ庵主さんとケララのおばさん

このケララ出身のおばさんの料理は抜群に美味しい ・・・ はずなんですが、
今は何とも味気なく、一向に食が進みません。
食べ物の味というものは、その場の雰囲気に大きく左右されるのですね。
そんな当たり前のことを再認識しました。

みんなでベットを並べて休んだ部屋で、今日は一人で眠ります。

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