インド・スリランカの旅
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3月1日  To ラーメーシュワラム





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朝いつものようにホームの中をうろうろしていると、
スギルタンから
「門のところにヘビがいるからカメラを持って行ってこい!」
と声をかけられ、恐る恐る門のところに行ってみました。

体長1メートル弱ぐらいのヘビですが、
頭をつぶされたのか、頭から赤い血を流し土の上に横たわっています。

ホームにいた無残なヘビ

まあなんとも気持ち悪いです。
スギルタンから “写真を・・・” と言われたのですが、
これ以上アップで撮ることはできませんでした。

後でスギルタンに写真を見せるとちょっと不満そうでしたが、
インド人はこんなのがなんともないのでしょうか?
新聞に事故死した人たちの死体が堂々と載るぐらいですから、
ヘビの死骸ぐらい屁のカッパなんでしょうね。


今日はマドライへスギルタンと列車に乗って行くことになっていたのですが、
朝になって急遽予定変更となり、車で行くことになりました。

朝7時にホームを出発です。
途中のレストランで朝食を食べました。
写真は左がスギルタン、右がホームの職員でもある運転手さんです。

朝食を食べるスギルタンと運転手

写真を見るだけでよだれが出そうになる美味しそうなドーサイです。
スパイスたっぷりで、そういう意味では朝からこゆい食事ですが、
100%パワフルな植物性食品が原料なので、
ヘルシーでお腹にもたれることはありません。

食べかけの写真で申し訳ありません。

美味しそうなドーサイ

けっこうボリュームがありました。
お皿代わりのバナナの葉っぱが光っていますが、
本当にバナナの葉っぱってツルツルなんですよ。

日本でも水ようかんが、
ビニール(?)で作られたイミテーションの葉っぱにくるまれていることがありますが、
ちょうどあんな感じのツルツル具合です。

日本の水ようかんです♪

レストランの玄関には「VEGETARIAN」と書かれています。

ベジタリアンのお店

インドではベジタリアン(菜食主義)のレストランがたくさんあります。
日本でベジタリアンというと “肉・魚を食べるのを我慢する” みたいなイメージがありますが、
インドでは野菜自体にとてもエネルギーがあるので、
動物性食品を摂らなくても、 “我慢” という感じがまったくないですね。
そのことは日本に帰ってから強く思いました。


カンニャークマリから240キロほど離れたマドライに向けハイウェイをひた走ります。

これがインドの高速道路だ!

ハイウェイと言っても日本の高速道路とは大きく異なります。
通行料が無料ですので文句は言えないですが、
人や自転車、馬車みたいなのが一緒に走っていますし、
上の写真のようにきれいに舗装されている道ばかりとは限りません。

こんなゴミゴミした町中も通り抜けなければなりません。

これもインドの高速道路?

上の写真のトラックをアップにしてみました。

SOUND HORN

後ろの鋼板に『SOUND HORN』と書かれているのがお分かりでしょうか?
インドのトラックほとんどすべてにこの『SOUND HORN』という文字が書かれています。
直訳すると『クラクションを鳴らせ!』ということですね。

インドの交通マナーの悪さはたぶん世界屈指でしょう。
道路はほぼ無法地帯、バイクや車、牛、歩行者が入り乱れ、
車はクラクションを鳴らしまくってその隙間をかいくぐり、
ちょっとのチャンスがあれば必ず(!)前の車を追い越そうとします。

町は車のクラクションだけではなく、
大きなスピーカーからばかでかい音量で音楽が流れていることがよくありますので、
きっと音に対する感覚が日本人とはまったく異なるのでしょう。
なかなか理解不可能です。


インドの自動車メーカーはタタ(TATA)が最大手ですが、
そのタタのジープタイプの車に「SUMO」というのがあります。

TAYA SUMO 相撲レスラー

これはもちろん “力強い” という意味合いで、日本の “相撲” から付けられたものです。


大都市マドライに到着しました。
まず向かったのはスギルタンの娘スギラが新学期から通うことになっている女子大です。
とても大きな学校で警備も厳重そうです。

マドライの女子大

ここでスギラと合流し、ここからスギルタンと三人でリクシャーに乗って移動します。
新学期は6月からですが、学校通うようになってから寄宿舎として利用する
YMCAに手続きに行きました。
女子大からはリクシャーで5分ほどのところです。

マドライのYMCA

普通のアパートより費用はかかるけど、
治安がよくて安心なんだとスギルタンは話していました。

スギラといるとスギルタンもいいお父さんです。

スギルタンとスギラ

レストランで昼食を食べた後、三人でヒンズー教寺院を見学に行きました。
ここも外国人は高額な別料金!!
いったいどういう思想に基づいてそうなっているんでしょうか?

ミーナークシ寺院

マドライで最も有名なヒンズー寺院、ミーナークシ寺院です。
さすがに大きいですが、形としては典型的なヒンズー寺院です。

ミーナークシ寺院にて私とスギラ

くしゃくしゃの頭に日本から持ってきた綿パン、
スリランカの飛行場で買った象のイラストが入ったTシャツ、
同じくスリランカで買ったオンボロの肩掛けバック、
サンカランコービルで買ったサンダル、
我ながらみすぼらしい格好だと思います。 (o_ _)oバタッ

ミーナークシ寺院を散策中

広い寺院の中をぐるっと一周しましたが、
日本の仏教寺院と比べると風情というかワビサビがないですね。
そう思うのは私が日本人だからでしょうか。

典型的なヒンズー寺院様式

ヒンズー寺院の頭部

ミーナークシ寺院を出てすぐのところで一人道にたたずんでいる
日本人旅行者とおぼしき人と出会いました。
  私:「ジャパニーズ?」
  男:「ジャパニーズ!」
  私:「こんにちは!」
  男:「こんにちは!」
たったこれだけの言葉しか交わしませんでしたが、
日本のどこから何をしに来たのかちょっと気になりました。
たぶん向こうもきたない格好でインド人と歩いている私のことが気になったことでしょう。

ミーナークシ寺院に続いてティルマライ・ナーヤカ宮殿を訪ねました。

ティルマライ・ナーヤカ宮殿

さすが宮殿だけあって立派な作りです。
気を遣って私に名所を案内してくれるスギルタンに感謝しなければいけないのですが、
私にしてみれば立派な歴史的建造物を見るよりも、
子どもたちとはしゃぎ回ってる方が楽しいのですが ・・・。 (;^_^A

ティルマライ・ナーヤカ宮殿

ティルマライ・ナーヤカ宮殿

女子大に戻りスギラと別れ、
再びホームから乗ってきた車に乗り込みマドライの街を離れます。
私はただ行くあても分からず後部座席に座り周りの景色を眺めるだけです。

マザーテレサの看板のあるレストランで休憩です。

マザーテレサの看板のあるレストラン

快適な道沿いにありましたが、
看板の住所には「Bye-Pass Road」(バイパス道路)と書いてありますね。

マザーテレサの活動していたコルカタ(カルカッタ)とタミルナード州は、
直線距離で2,000キロ近く離れていますが、
やはりマザーはインド全体の英雄なのでしょう。

マザーテレサの像

いつものように休憩は甘~いコーヒーです。
インドの飲み物はなぜこんなに甘いんでしょう?
けどもうだいぶ慣れてきましたが ・・・。

レストランで甘~いティータイム

しばらく車を走らせ小さな町に入り、
そこにある寺院でサンカランコービルの法要にも参加していた
スギルタンの知り合いと会いました。

ヴァッララール寺院にて

この寺院はヒンズー教の聖者でもあるヴァッララールを奉っているところです。
聖者ヴァッララールは従来からのヒンズー教がよりどころとしている
身分制度カースト制を否定し、神を光としてとらえ、
ヴァッララールの寺院ではろうそくの炎がご神体として奉られています。

ヴァッララールは炎の聖者

ここの信者でもある彼(名前が分かりません!)と三人で近くのヒンズー寺院に参りました。

ヒンズー寺院

私にお供えするためのジャスミンの花を手渡してくれました。
とてもいい甘い香りがします。

手のひらのジャスミン

コーヒーの甘いのはちょっとご勘弁ですが、
花の香りの甘いのはいいものです。

私がパソコンが得意だと言うと、
パソコンのある事務所みたいなところに引っ張っていってくれました。

インドのパソコン

インドはIT大国ですが、ディスプレイはほとんどまだCRT(ブラウン管)です。
パソコンのOSは Windows XP Home Edition 英語バージョンでしたので、
私でも操作できそうです。
  (タミル語バージョンってあるのかな?)

インドはいたるところに神様の写真が飾ってあります。
なじみのあるサイババの写真を見ると、ついシャッターを押してしまいます。

シルディ・サイババ

日本でサイババと言えば、
現在生きて活動をしているアフロヘアーのサティア・サイババを思い浮かべますが、
インドで飾られているサイババの写真は、私の見た限りすべて
1918年に亡くなった先代のシルディ・サイババのものでした。
  (右側の足を組んでいる人)

サティア・サイババはシルディ・サイババの生まれ変わりだと主張していますが、
シルディ・サイババの信者の中にはそのことを疎ましく思っている人たちもいるとのことでした。
信仰はなかなか難しいものです。


夕食は蒸しパンのイドゥリです。
これがなかなか軽い味わいで、スナック感覚で美味しいのです。 ^^☆

夕食はイドゥリ

日本に帰って撮った写真を見返してみると、
食事をしている時のものがたくさんあるのに気がつきました。
やっぱりそれだけインドの食事が感動的に美味しかったからだと思います。

外が暗くなっても車は走り続けます。
有料道路を通ったり、橋らしきところを通ったりしますが、
いったいとっちに向かっているのか私には皆目見当がつきません。

途中磯の香りがすごくしたので海が近いのかと思い、
そのことをスギルタンに聞いてみたら、
“それはライフイッシュ” だと笑って答えてくれました。
ライフィッシュって何なんでしょう?
いまだによく分かりません。


夜も遅くなって最終目的地であるラーメーシュワラムに到着しました。
この町の通りの端っこにはヒンズー寺院があり、
明かりが灯されてとてもきれいです。

イルミネーション輝くラーマシュワラムのヒンズー寺院

ここのすぐ手前にある建物が今日の宿泊場所のようです。
この建物の中も奥の中央にろうそくの炎が灯され、ヴァッララールが奉られている寺院です。

写真からは分からないでしょうが、上の写真のヒンズー寺院から、
超バカでかい音量でヒンズー音楽とおぼしき音楽が流れてきています。
あれをはたして音楽と表現していいものかどうか ・・・ 、
耳慣れない日本人の私にとってはほとんど呪文かいやがらせにしか聞こえません。

いったいどんな人が歌っているのか ・・・ ?
アメ横でいつもたたき売りをしているガラガラ声のおじさんみたいな人なのか、
声のトーンの裏返り方がちょっと異様な感じがしますので、
もしかしたらエイリアンみたいな風貌かも ・・・ ?

本当に、どんな人が歌っているのか是非顔を見てみてみたい、
心の底からそう思わずにはいられない、
そんなトラウマになるような音楽というか音でした!!


そのバカでかい音が流れてくるこの場所が今夜の宿となるようです。
これはもう観念するしか仕方ありません。 ・゚・(ノД`;)・゚・

このヴァッララールの寺院は身寄りのない男の子たちの生活する
ボーイズホームになっているようで、
例によって子ども好きの私は可愛い男の子たちとすぐに仲良くなりました。 (^o^)v

いつも元気なインドの子どもたち

下の写真は翌朝撮ったものですが、建物の中はこんな感じです。

ヴァッララールの寺院内部

ここに到着してすぐ、
コンクリートの堅い床に大きくてカラフルなレジャシートのようなものを敷き、
自分の持ってきたバックを枕代わりにして就寝準備です。

カンニャークマリのホームを出る時に、
スギルタンの奥さんが膝掛けのようなシーツをくれたのですが、
それが掛け布団になりました。

上の写真でシャツ一枚であぐらをかいて座っているのがスギルタン、
私は彼の左横(手前方向)で休むことになったのですが、
この夜は結局一睡もすることができませんでした。

下が堅いということもありますが、
何か変な虫がいるようで足がかゆくてたまりません。
たぶん蚊ではないと思いますが、
蟻かダニか、そんなものだと思われます。

とにかくかゆくてかゆくて ・・・ 、
とても寝るどころではありません。

トイレに行きたくなって、トイレの場所を一緒に来た運転手さんに教えてもらいました。
彼の教えてくれたトイレの場所は、
寝床となる礼拝所からいったん奥のゲートみたいなドアを出て、
土の上を裸足で歩き、その先にある小屋のような建物でした。

ここがトイレ ・・・ ??
そこはただだだっ広い四角いコンクリートのスペースで、
まったく何もないところに水道の蛇口がひとつだけついています。
どこからどの方向に向かって用を足せばいいものか ・・ ?
とにかく端っこに立ってなるべく遠くに飛ばすしかありません。

翌朝になって分かったのですが、そこはトイレではなく洗濯場のようでした。
トイレはその横にきちんとあり、
私が勝手に勘違いをしたのか教えた方が悪かったのか、
まったくもってオーミステイク!でした。
真っ暗闇の夜でも電気が点かないのですから、
もうなにがなんだか見当もつきませんでした。。

足がかゆくて仕方がない私は夜中に何度もトイレに立ち、
そのたびに礼拝所の奥に進み、
堅い石のベンチに横たわって寝ているおばあさんを起こさないよう
静かにゲートの扉を開き、土の上を無駄な抵抗と知りながら
なるべく足を汚さないようにつま先立ちで歩き、
トイレと思っていたところで用を足し、
その後を水できれいに流すという行為を繰り返しました。

土の上を歩いている時は建物の外ですので、
上を見上げるときれいな夜空が目に入ってきます。
その夜空に輝く星のきれいなこと ・・・ 、
このあまりに悲惨な現実と星の美しさのギャップの大きさ、
これをどのように頭の中で処理していいものなのか、
寝不足の頭の中は少々パニクってしまいそうでした。

外のヒンズー寺院から流れるすっとんきょうな音楽は
夜中中鳴り響くものとあきらめていたのですが、
何時頃か分かりませんが突如鳴り止み、一時の静寂が訪れました。
それはそれでありがたいことですが、
足のかゆみがいっこうに治まらない私にとっては、
もう今さらどうでもいい問題となってしまっていました。

スギルタンをはじめ周りの人たち、
子どもたち、じーさんばーさん、みんな心地よい眠りについていて、
かゆみに苦しみ悶々とした夜を過ごしているのは私一人のようです。

“インド人はたくましい” と言葉で簡単に言いますが、
そのたくましい生活力、人間力、有事に際してはそれがサバイバル力となるのでしょうが、
そのパワーたるやひ弱な日本人の想像を絶する世界です。

スギルタンもインドではリッチな暮らしをしていますので、
どこか快適なホテルに泊まろうと思えばそうできるはずですが、
こういった環境でもまったく平気で過ごすことができるというのが
彼の、というかインド人の底力なのでしょう。
これは本当に尊敬に値することです。

横になったり体を起こしたり、じたばたしながら私は夜を過ごしました。
建物の入り口はインドの一般的な様式に則り、
金属製の金網のようなゲートで外と遮られています。
そのゲートの外の通りを薄明かりに照らされた野良牛がのそのそと歩いています。
なんというシュールな光景なのでしょう! (☆o☆)

南インドの素晴らしさのひとつは、そこで暮らす人々が自然と一体になっていることです。
その自然と一体になるということは、当然楽ちんなことばかりではありません。
今日の私のように悶々とした夜を過ごさなければならないこともあるでしょうし、
様々な苦しいことがあるでしょう。
そんな一時に受け入れることができないような様々な現実が、
なまっちょろい私の目には野良牛を介してシュールな姿として目に入った来たような、
そんな気がしました。

コンクリートの堅い寝床、得体の知れないかゆみを誘う虫、外にあるトイレというか洗濯場、
トラウマになるような大音響、
そして宝石をちりばめたような輝く星空、外の通りを闊歩する牛たち、
インドのすべてを一夜に集約して体験した、
そんな素敵な ・・・ とは言い難いですが、一生の思い出に残るすさまじい夜でした。

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