ヨガナンダの英会話学習MEMO
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インドの人たちと東京〜阿蘇を行脚


2007年5月17日、行きつけの音戸温泉で一風呂浴び、
午前3時過ぎに広島から一行の待つ東京に向け、
一人車のハンドルを握りスタートです。

カーナビと事前にネットでプリントアウトしておいた地図を頼りに車を走らせましたが、
休憩を含んで約12時間、
ほとんど迷うことなくスムーズに走り抜けることができました。

石谷上人一行が滞在している東京の国立市には夕方前に着きました。
国立は駅前に一橋大学のキャンパスがあって緑が豊かで本当に素敵なところです。
初めて来ましたが、“ここなら住んでみたい”と思えるようなところです。

石谷上人他一行六名とSさん親子

国立の家に、私のホームページを通して知り合った
北海道出身のSさん親子(東京在住)が訪ねてきてくれました。

Sさんは昨年私と一緒に石谷上人と会い、
すっかり石谷上人のファンになっておられます。

お二人とも平和を愛し、絵が好きで、
ともに北海道ご出身ということで気が合うようです。


翌朝朝食を済ませて一行7名、ボンゴに乗ってスタートです。
それにしても東京、首都圏は街が大きいですね。
どこまで行っても大きなビルに車の波です。

途中いろいろとおしゃべりをしたりおやつをいただいたり、
退屈はしないのですが、街中の渋滞は運転していてくたびれます。

予定より少し時間をオーバーにしながら、
最初の目的地、熱海を目指します。

熱海は巨大な観光地ですね。
さすが首都東京に近いだけのことはあります。
広島の宮島あたりと比べるとスケールが全然違います。

その熱海のホテル街を少し南に下がった小高い山の上に
熱海の仏舎利塔があります。
最高のロケーションです。

熱海の海

日本山妙法寺 熱海仏舎利塔

風がとても強かったですが、
避暑に来るには最高でしょう。

熱海から風情ある箱根を通ってその日の宿泊地御殿場に向かいます。
御殿場の道場では用意してくださった食材を利用して自炊をします。

御殿場道場にて夕餉の準備

みんなで美味しいディナーをいただいてます。(アルコール付き♪)

インド人ファミリーは手で食べています。
彼らの食生活は三食カレーです。

持参の香辛料で毎朝カレーを作り、
お昼も外やドライブインで持参のカレーでピクニックというパターンです。
私は辛い物好きなので耐えられましたが、
辛いものが苦手な人はたいへんでしょうね。

インドから持参の香辛料 辛いです w(゚o゚)w

インドの料理とお菓子は甘辛両極端

御殿場の道場は、創設者の方が日本山妙法寺の信者である
CGCグループが運営していて、
仏舎利塔の横に社員研修のための施設があり、
私たちはそこに泊まらせていただきました。


夜中から朝方にかけて強く降ったり止んだりしていた雨の合間を縫うように
朝靄に霞む仏舎利塔を参拝します。

日本山妙法寺 御殿場仏舎利塔

ぐずつき気味だった天気も昼前にはすっかりよくなり、
途中のドライブインから富士山を望むことができました。

ドライブインから富士山を望む

お昼休憩で美保の松原に立ち寄ります。

美保の松原

とてもきれいな海で、
昨日訪ねた伊豆半島が遠くに見えます。

美保の松原から伊豆半島を望む

黄色い袈裟を着ているのが三名のお坊さん、
前列、石谷上人とリラ安寿さん、
後列はやはり北海道出身のうら若き木村安寿さんです。

インド人ファミリーはスギルタン夫妻と娘のスギラ、
彼らは実は仏教徒ではなくクリスチャンです。

石谷上人が二十数年前、決死の覚悟で南インドの地を訪ねた時、
南インドのYMCAの代表をしておられたスギルタンのお父さんに
家族同様、いつまでも住まいや食事のお世話をしましょうと
温かい支援を受け、
すでにお父様は亡くなられたものの、
いまだに家族の人たちと深い交流があるそうです。

長男のスギルタンは現在インドの南端カニヤクマルというところで
600名の孤児を抱える孤児院を経営しています。
奥様は聾学校の先生で手話を教えています。

家族全員、先代からのクリスチャンであり
社会福祉活動を生活のメインとしているのです。


リラ庵寿さんはおみくじに興味があるらしく、
石谷上人に訳してもらわれていました。

占い大好きリラ安寿さん

インドでは、占いは立派な学問のひとつで、
大学で占いを教える先生もいるそうです。
ですから例えおみくじでもリラ安寿さんは真剣そのものです。


石谷上人がこんな話を聞かせてくれました。

二十数年前、紛争激しいスリランカのジャフナで平和の祈りを捧げていた時、
ともに活動をしていた横塚上人がテロリストの凶弾に倒れました。
このまま平和活動を続けていると自らの命も危ない状況にあり、
周りからも活動をを止められる中、開祖藤井日達聖人に言葉を求めると
「平和のために命を捧げてください」
という返事が返ってきたそうです。

  スリランカ通信34号 1984年10月ジャフナで

それに力を得た石谷上人は完全に死を覚悟して平和行進に臨みました。
その頃、たまたまある大学の占術の教授に手相を見てもらったところ、その教授に
「あなたは今すぐ死ぬことはありません。
 これから大きな役目が与えられます。
 どこの国かは分かりませんが、外国に行くことになるでしょう」
と言われたのだそうです。

死を覚悟していた石谷上人はおかしなことを言うなと思ったそうですが、
それからしばらくして藤井聖人から
「南インドで仏舎利塔を建立して欲しいといわれる方がおられます。
 南インドに行ってください」
というお手紙を受取り、現在に至っています。

占いというものは馬鹿にしたものじゃないですね、とのことでした。


夕方には静岡に到着、
今日はこちらの静岡道場泊です。

日本山妙法寺静岡道場

道場の前 きれいな花びら

ここでもいろいろとおもてなしをしていただきました。
日本料理プラスインドカレーです。

静岡の安寿さんの心のこもったご接待

石谷上人が足をくじかれたので、
ビワの葉温灸の使い方をご指導したくださいました。

ビワの葉温灸は効果ありました!

旅の途中では、皆さんの親切が身にしみます。


翌20日、途中インドとご縁のある方たちを訪ねながら
一路西へと向かいます。

松永脩蔵さんはインドの聖人の本を翻訳しておられます

おもてなしのインド料理 奥さんはインド舞踊のプロです

どこでも温かい歓待、ご馳走をしていただき、ありがたい限りです。

チキンカレー

野菜サラダ

途中ドライブインでバック(パスポート入り!)を忘れたりするトラブルがあったりして、
目的地の奈良県橿原市に着く頃には、外は真っ暗になっていました。


橿原道場では二泊しましたが、ここでも主食はインドカレーです。

朝早くから料理の準備

日本山妙法寺橿原道場

今年は5月から真夏のような好天の日が続きます。
犬も暑さでダウンです。

顔は悪いが性格のいいワンちゃん

天気のいい日は、
洗濯物は石の上に置くといいということを
スギルタンに教えてもらいました。

1時間ほどで洗濯物が乾きました

焼けた石の熱さは強烈で、洗濯物は速攻で乾きました。
インドの智恵はすごい!

橿原からほど近い天理の桃尾の滝にみんなで参拝しました。

桃尾の滝はものすごいパワースポットです

ここは開祖が若い頃ご修行をされた場所で、
たしかにものすごく濃密なエネルギーを感じます。

敏感な方は、写真からでも感じ取れるかもしれません。

ここは多くの修験者が訪ねてくるそうです

風光明媚な桃尾の滝は是非再び行ってみたいですね。

ここから細い山道を歩いて約20ほど登ったところに
立派な御影石でできた仏舎利塔があります。

桃尾の滝の上にある仏舎利塔

この材料となった御影石は最高の品質で、
この場所まで苦労して重機を上げ、
その重機で土地を平らに整地する際、すべて土の中から出てきたのだそうです。

奇跡のようなお話しです。

塔の形はそれぞれ個性があります

白く塗っていない仏舎利塔もいいものです

スギルタン母さんとリラ安寿さんは足が痛いので、
下の桃尾の滝でお休みです。

スギルタンとスギラちゃん

スギルタンの娘スギラは17歳、
真っ赤な花がよく似合ってます。

桃尾の滝でのランチタイム。

アウトドア気分を満喫 (^-^)v

外で食べるランチの味は格別です。
毎日こんな楽しいことばかりでいいのでしょうか?

帰り道、石上神宮に立ち寄りました。

風情ある石上神宮

灯籠と日本酒の樽

日本の古い建築物は、
インド人にとってすべてが珍しいもののようです。

絵馬の前でパチリ


翌22日朝、奈良市内に向けて出発、
昔住んでいたところですが、道の様子がすっかり変わっていてビックリです。

途中国道沿いに大きなホームセンターがありました。
二十数年前、まだ学生だった時分によく通ったものです。
ここは近くに革製品を加工する工場があるのか、
とても革の臭いがきつかったのですが、
今でもあの当時と同じく強烈な革の臭いがしています。
よく苦情がこないものです。

まずは市内中心部にほど近い信者さんであるIさん宅へ。

奈良のIさんは熱心な信者さんです

ここでお坊さん三人を残して、
スギルタンファミリーと私の四人は、
Iさん宅から車で10分ちょっとの東大寺へと向かいます。

東大寺は子どもたちでいっぱい

奈良に長年住んでいた私としては、
奈良に来たならば、是非とも大仏さんを拝んでいただきたいですから。

東大寺には遠足や修学旅行で来ている子どもたちでいっぱい。
中でも幼稚園の遠足というのがインド人には珍しいようでした。

やっぱり伽藍は大きいですね

奈良の大仏さんは威厳があります

奈良公園は散策するのにうってつけ

奈良からは京滋バイパスを通って京都へ。

京都のホテルで宗教学者 山折哲雄氏とお会いして、
いろいろとお話しを聞きました。

山折哲雄先生と石谷政雄上人

ホテルの片隅でのワンショット。

スギラちゃん、カワイイですね

スギラは日本の旅を満喫してくれているでしょうか。

この日の宿は大阪の心斎橋筋にほど近い大阪道場です。

日本山妙法寺大阪道場でも歓待していただきました

スギルタンの奥さんはヒザが痛いので椅子に座っています

私たちが到着してから数時間後、
スリランカのお坊さんたちも到着しました。

スリランカのコロンボから来られました

スリランカはインドからすぐ近くの国ですが、
インドの人たちと雰囲気はまったく違います。
国民性の違いなのでしょうか。

みな一路阿蘇を目指しています。


翌朝の朝食は大勢で、
安寿さんたちがこまめにお給仕をしてくださいます。

信者さんがたくさんの料理を持ってきてくれました

木村安寿さん曰く
「インドでは手で食事をするから、誰か一人お給仕の世話をする人が必要なんです。
 私もインドで鍛えられました」
とのことです。

お箸を上手に使って食べています

いつもご馳走で、何を食べていいか迷います

左下の黄色いご飯はサフランライス、
この日もいろんなメニューでたいへんなご馳走です。

10時すぎに大阪を出発し、
山陽自動車道のサービスエリアでランチ休憩です。

日差しが強いので、日よけのパラソルはありがたいです

この日はパンもありました。
だいたい普段のメニューはカレーにご飯、もしくはパン、
すごく辛いインド独特の香辛料、ポテトチップ、甘いお菓子、バナナなどの果物、
飲み物はすごく甘いミルクティーといった感じです。

自販機で売っている「午後の紅茶」(ミルクティー)を飲んだ木村安寿さんは、
「インドだともっと甘くないと売れないですね」
と話してくれました。

辛いものをたくさん食べる反動で甘いものを摂るのでしょうか、
こんなに大量に糖分を摂取していたら太るはずです。


広島に着いたらまず平和公園、原爆ドームです。

原爆ドームは貴重な世界遺産です

平和公園ではいろんな慰霊碑に祈りを捧げます。

南無妙法蓮華経

どこに行っても周りの人たちから注目の的です。
高校生がさかんに写真を撮っていました。

スギルタンファミリーは、熱心に花を写真に収めています。

この旅行で花の美しさを再認識しました

雨の少ないインドでは、きれいな花はあまりないそうです。
山があり、海があり、四季折々豊かな自然に恵まれた日本は、
本当に素晴らしい国だと思います。

毎日各地を車で廻り、いろんな美しい景色を眺めるたびに
日本のよさ、美しさを再認識した旅でもありました。

原爆資料館にも行きました。

原爆資料館はいつ行っても胸が詰まります

インドの人たちの目に悲惨な原爆被害の実態は、
どの様に映ったのでしょうか。
英語が堪能なら詳しく感想を聞きたかったのですが・・・。

平和公園から広島駅北側にある二葉山へ。
ここの仏舎利塔に参拝します。

日本山妙法寺二葉山仏舎利塔

仏舎利塔からは市内を一望できます。

広島の市街地をバックにスギルタンファミリー

広島に来られた際は、駅からすぐの二葉山に是非登ってください。
私も都合がつけばご案内いたします。 (^-^)v

この日の宿は、広島市内から少し北の方に行った美土里町というところです。
美土里町には日本山妙法寺の熱心な信者さんがおられ、
仏舎利塔まで建立されています。

その方たちがご接待してくださいます。

まずは高速のインターを降り、
しばらく行ったところにある神楽門前湯治村で一風呂浴びました。

神楽門前湯治村は本当にいいところでした♪

インド人はお風呂の中でも普段人前で裸をさらすことがないので、
公衆浴場はちょっと問題あったのですが、
人がほとんどいなかったので、
スギルタンとリラ安寿さんはなんとか入ることができました。

リラ安寿さんに「大丈夫だったか?」と聞くと
「Little problem」と答えていました。

最初女湯に入った時は、
誰もおらず木村、リラ、お二人の安寿さんだけだったそうです。

その後他のお客さんが入ってきて、
坊主頭の二人を見て、思わず引き返していったそうです。

しばらくしてまた入ってきて、また引き返し、
二度同じことが続いたとのこと。
たしかに日本では頭を丸坊主にしている女性はきわめて少ないですから。


美土里町の集会所で町の人たちが歓迎会をしてくださいました。

とても親切な美土里町の人たちと

オレンジ色の帽子を被っているのはアメリカから来ている英語の先生です。
このあたりの学校をいくつか掛け持ちして英会話を教えているそうです。

おもてなし、心より感謝いたします

だからでしょうか、この日出会った美土里町の方たちは、
大人も子どもさん(後列真ん中の子、高校三年生)も英会話が達者で、
私よりもはるかに上手にスギルタンたちと会話をしています。
ちょっぴり悔しいです。

スギルタンがズボン代わりに身につけているのは巻きスカートのようなもの、
インドの普段着だそうです。
  (名前は忘れました・・・)


翌24日、朝早く起きて美土里町の仏舎利塔に参拝です。

日本山妙法寺美土里町仏舎利塔

美しい土の里と書いて美土里町、
その名前に恥じない素晴らしい町でした。

仏舎利塔から見た美土里の町

仏舎利塔からの眺めも素晴らしく、
霧の出る季節はとても幻想的雰囲気で、
写真を撮りに来られる人も多いとのことです。

参拝が終わって集会場に戻り朝食タイム。
美土里町の方たちが美味しい料理を用意してくださいました。

洋食のブレックファースト

ソーセージが美味しかったです

日本的な朝食に少しホッとした気分です。
ありがとうございます。


中国自動車道千代田インターから西に向かって九州を目指します。
九州への入り口、関門海峡で休憩です。

強風でスギラの髪が乱れています

強風ですが、景色が抜群です。
源平の戦のあった壇ノ浦、武蔵と小次郎が戦った巌流島を見ることができます。

お菓子を頬張る木村安寿さん、
名前は忘れましたが、外が堅くて中が柔らかい油で揚げた甘いお菓子、
インドにもまったく同じものがあるそうです。

食べている時は普通の若い女性です

九州に入り、しばらく走って
また例によってサービスエリアでランチタイムです。

なんでも手で直取りです

天気がいいので、芝生に座って食事(もちろんカレー)をします。

インドの人は何でものんびり 食事時間も長いです

ここで私が「I know Indian song.」と言って、
余興で一曲歌いました。

昔見たサイババのプロモーションビデオの中で流れていた
「ラーマ、ラーマ、ラ〜マ〜

というような曲です。

思いっきり笑ってもらいました。
なんでもお猿さんの歌だそうです。


夕方前に阿蘇のお寺に到着。
ここは開祖藤井日達聖人の誕生された村で、
お寺は誕生寺と呼ばれています。

日本山妙法寺誕生寺

もうすでにたくさんのお坊さんたちが着いていて、
みんなで法要の準備をしています。

私たちはその夜お堂の祭壇の前にたくさんの布団を並べて寝ました。

翌朝は4時起きです。
布団をたたみ、祭壇の前に並び、
全員で太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を唱えます。

南無妙法蓮華経その他のお経で約二時間、
後でスギルタンが
「Four o`clock! Two hours!」と笑いながら叫んでいました。


この日はお祭りの前の日、
大切な準備の日ですが、あいにく激しい雨が降っています。

スギルタンは睡眠不足を解消するべく車の中で横になっています。

後部座席でリラックス

お坊さんたちは部屋の中でいろいろと準備をしておられましたが、
私たちとスギルタンファミリーはのんびりと休養させてもらいました。

けれども法要の前の日にたっぷりと雨が降り、
翌日、翌々日の法要は晴天の元、野外で盛大に行うことができたのですから、
まことにもって天候に恵まれたということでしょう。

今回13日間の旅は、
御殿場で泊まった夜中と朝方、そしてこの阿蘇での法要前日だけが雨で、
あとはほとんど快晴に近い晴天日ばかりだったので、
もしかして仏様のご加護があったのかも・・・しれないですね。

雨の日は花や植物がイキイキとしています。

誕生寺の玄関を横からパチリ

激しい雨の降る間、何枚も花や植物にレンズを向けてシャッターを切りました。
どうぞ私の作品(!)をご覧ください。

雨の中、石段を登る木村安寿さん

雨が降ると緑がイキイキ

雨粒が光ってとてもキレイです

紫色も輝いています

雨のしずくが落ちそうです

遠くに見えるは日本山妙法寺の旗

生命力あふれるツツジのつぼみ

これから咲き誇るのでしょうね

のんびりと暇つぶしをしていても、
おやつの時間にはちゃんとお声がかかります。
ありがたいです。

雨で外の作業ができず、のんびりムードです

スギルタンがコーヒーに「もっと砂糖を」と要求しています。
インド人は本当に甘い物好きです。

雨の中を歩くスギルタンファミリー。

おやつ時間だレッツ・ゴー♪

混沌の国インドの人はたくましいです。
どんな状況でも文句を言わず、それなりに楽しんでいます。
私たち日本人は少し贅沢になりすぎたような気がします。

この誕生寺で何度か食事をしましたが、
典型的な純日本食で、
お坊さんたちの平均年齢の高さをうかがわせます。

味噌汁に煮物・・・スギラがかわいそう

インド人の口にはあまり合わないみたいでした。
スギラ、かわいそうですね。


誕生寺で一泊した後、
翌25日からは阿蘇青年交流の家に宿を移しここで三泊しました。

こういう施設はどこもいい場所にありますね

誕生寺から車で10分弱、
阿蘇山中腹にある仏舎利塔の少し下、
牛がたくさんいる牧場、仏舎利塔、阿蘇山の全容を望むことができる
最高の立地条件です。

本来こういうところはお坊さんたちの団体が泊まるところではないのですが、
どこかにツテがあったのでしょうね。
それにしてもいいところ、楽しい体験です。

部屋は男女別の八人部屋、
私たち男三人は三日とも同じ部屋でしたが、
同室となる他のメンバーは毎日変わりました。

最初の日に同室だった北インドから来た彼、
名前は忘れましたが、日本地図を見せながら
旅の行程を詳しく教えてくれました。

英語の地図を見ながらいろいろと会話をしました

まずはこの施設でのルールをみっちりと指導されます。
学生気分に戻ってなんだか楽しそうです。

けど、日本語が分からず座っているのは苦痛だったでしょうに・・・

百人以上はゆうに入れそうな大きな食堂は毎日がバイキング、
いろんなおかずやパン、ご飯、飲み物を自分でチョイスします。

バイキングだとつい食べ過ぎますね (^^ゞ

味もなかなかのもので毎日ハッピーでした。

食事前に手を洗うスギルタンをパチリ、
カメラを持つ私もバッチリ映っています。

スギルタンもいい顔をしています

自分のカメラで自分を撮った唯一のショットです。


朝も一応少しだけお題目を唱えます。
周りの部屋に高等学校の生徒さんたちもいるので小声で行いました。

日本山妙法寺のお坊さんたちは、みな真剣そのものです

昨日の4時起きと比べるとホントありがたいです。

若い元気いっぱいの高校生たちに混じって
黄色い袈裟を着た丸坊主の一団と外国人たち、
ハッキリ言って、かなり浮いてました。

子どもたちと一緒にいると、気持ちも若返ります

朝7時からは正門前で朝礼をします。

共通語はやはり英語です

子どもたちはビシッと整列しても、
個性豊かな大人たちはなかなかきれいに並ぼうとはしません。

朝の空気はすがすかしいです

指導員の方たちも叱りつける訳にもいかず、
ホトホト手を焼かれたことと思います。 m(_ _)mスマン

朝食を済ませた後、お坊さんをお連れして
坂道を少し登ったところにある仏舎利塔に行ってきました。

昨日とは打って変わって好天です

昨日が雨だったので、今日の法要の準備がまだできていません。
これから急ピッチで作業が進むのでしょう。

ここはさすがに標高が高いだけあって強風です。

これだけ風か強いと、冬は相当寒いでしょうね

帰り道に牛をパチリです。

牛はみんなおとなしいですね

後ろに写っているのが宿泊先の阿蘇青少年交流の家です。
いかにのどかで素晴らしいところかお分かりでしょうか。

食堂にあった全自動食器洗い機はインドにないそうで、
スギルタンの奥さんがさかんに感心してました。

IT大国インドにも近いうちに導入されるでしょう

記念に写真を撮ったらおばちゃんがすごく照れてました。
ごめんなさいね。 (^^ゞ

二階のロビーでミーティング、
半分は外国人ですので、日本語、英語、二カ国語での説明です。

Can you speak English?

日本山妙法寺のお坊さんは海外で活動されている方が多く、
みなさん英語が達者です。

こんな集団、日本では珍しいでしょうね。


きれいに飾りつけられた仏舎利塔で法要がはじまりました。

たくさんの旗がはためききれいです

紙吹雪が舞ってとても盛大に執り行われています。

かなりの量の紙吹雪が舞っていました

日本山妙法寺のお坊さん、信者さんの他、
同じ日蓮宗の僧侶の方たちも多数来られていました。

いろんな宗派の人たちが一同に会するのはいいものです

法要には全国、全世界からたくさんの方たちが集っておられ、
服装や肌の色、言葉、まさにワールドワイドです。
頼まれて記念写真もたくさん撮りました。

右端の背広を着た方はは石谷上人の弟さん、よく似ておられます

前列真ん中の白い帽子の女性は、
有名なマクロビオティックの先生だそうです。

お話しによると、
日本には子どもにマクロの宇宙観を教える教室があるのだとか、
そんな話を聞くと刺激を受けます。


翌26日朝、朝礼の時のラジオ体操、
外国人たちはみんなてんでバラバラ、
日本のようにピシッと全員が揃って行うラジオ体操は世界の中でも珍しいのでしょう。

まったく体操になってませんが・・・ (^^ゞ

この日もいい天気、今日は誕生寺で開祖二十三回忌の法要と
御廟のお披露目で、
こんな雰囲気の中執り行われました。

朝早くから続々と信者さんたちが詰めかけます

受付で活躍する木村安寿さん

たくさんのお供え物 晴れて本当によかったです

ここでも紙吹雪が舞ってました

御廟のお披露目です

法要が終わった後はバスに乗り込み、
近くのホテルで祝賀会(食事会?)がありました。

食事、挨拶、すべての前に南無妙法蓮華経

200人以上はおられたような気がします。
ホテルの広い宴会場は明らかにキャパオーバーで、
一度席に着いたら移動もままなりません。

どの料理もみな美味しかったです

いろんなご馳走が並んでいます。
右下の赤いお肉は熊本名物馬刺しです。
スギルタン母娘が食べなかったので、
私が三人前いただきました。

その他余った料理もすべて平らげ、
さすがの私も超満腹です。

インドから来た人たちがみんなでインドの歌を合唱しました。

今度インドに行った時には歌を覚えますね

私にも覚えなさいと親切に言っていただきましたが、
結局覚えずじまいで申し訳ないです。

花にビデオを向けるスギラ。

SONYのビデオカメラで写真とビデオ両方撮っていました

彼女はとても賢くて、
私の一眼レフカメラの使い方を見よう見まねでマスターし、
電源オフの状態から中に入っている画像を自分一人で見ていました。
インド、特に南インドはIT大国で、算数もみな得意らしいので、
機械にも強いのでしょうね。


三日間お世話になった交流の家に別れを告げ、
阿蘇の火口を見学に出かけました。

阿蘇はすそ野が広いですね。
もし阿蘇が噴火をせず、
富士山のようにすそ野から上の方までなめらかに山肌が伸びていたとすると、
その高さは富士山以上のものになるというのも納得です。

火口での記念写真、この日は火口のすぐ近くまで行くことができました。

なるべく火口が写るよう、必死に背伸びをして撮りました

その日の火口の活動によってどこまで近づけるか決まり、
昨日は上の写真のポイントまで行けなかったそうです。

阿蘇のお土産を物色中です

阿蘇はちょうど霧島ツツジが満開で、
その数は何十万本あるか数え切れないほどです。

お坊さんトリオでのショット。

ツツジはちょうど見頃でよかったです

あまりに決りすぎていて・・・、
冥土の光景を見ているようです。

帰り道に熊本の街中にある熊本道場、仏舎利塔に寄りました。

日本山妙法寺熊本仏舎利塔

今年は例年に比べて暑さが厳しく、
この13日間を通してずっと夏のように気温が高く、
インド人たちは助かったことと思います。

とくにこの熊本を訪ねた28日は照りつける太陽が痛いほどの異常な暑さ、
まさに真夏を思わすような熱気でした。

あとで新聞を見ると熊本で気温32度、真夏日でしたが、
体感的にはもっと高かったような気がします。

そして、そして・・・、翌日知ったのですが、
その日は熊本県阿蘇市出身の松岡利勝農水相が自殺をした日、
阿蘇、熊本の異常なまでの暑さは、
松岡さんの怨念のようなものが籠もっていたのかも・・・と思えました。


毎日デジカメで写真を撮り、
その撮ったデータを夜にはノートパソコンに入れ、
みんなに見てもらっていました。

みんなから「You are good cameraman.」
とお褒めの言葉をいただき、
それを励みにパチパチとシャッターを押していました。

けれども時には失敗もあります。
せっかくきれいなアジサイとともに・・・と思ったのですが、
前ピンになってしまいました。
ごめんなさい。

オートフォーカスですが、たまにミスがあります

熊本市内のジャスコで食材を買って、その場でランチです。

ジャスコの中のベンチをすかさず利用

お坊さん、外国人ということでみなさん親切にしてくださいます。
豆腐を買って醤油がないと言ったら、
醤油を小さな入れ物に入れてサービスしてくれました。

水はハンバーガーショップのおねーさんに頼んでタダでもらいました。

こんなひとつひとつが楽しい思い出です。


最後の宿泊地広島に着いたのは夜遅く、
もう自炊をする余力がなく、
取りあえず夕食をということで広島城の近くにあるサンデーサンに入りました。

さすがにみんなくたびれ気味です

乗り物に弱いリラ安寿さんは少々バテ気味です。
お疲れさんです。

広島では宿泊先が決っていなかったので、
急遽私が知り合いに頼んで、
知り合いのおじいさんが一人暮らしをしていて、
現在入院中で空き家になっている街中の一軒家を借りることにしました。

布団は貸し布団です。

JR横川駅のすぐ近く、ホントに街中です

後日談ですが、
空き家になっている独居老人の家に、
突然普通の日本人とは全く風体の異なる人たちが夜中何人も出入りをして、
近所の人は相当あやしんだようで、
知り合いに心配して電話があったそうです。
最近は外国人の犯罪が増えていますから。

スギルタンは
「この家は正面に大きなガラスがあるけど大丈夫か?」
と心配していました。

インドだとこんなガラスはすぐに壊され、ドロボウに入られるそうです。
日本は治安がよくてよかったです。


朝早く、この4月にインドに行き、
スギルタンの家でお世話になったというFさんが呉から訪ねて来てくれました。

みんないい顔しておられます。お疲れ様でした。

みんなで昨夜行ったサンデーサンでお茶を飲みました。
Fさんは中学校で英語の講師をされているそうで、
きれいな英語でスギルタンファミリーと会話をしておられます。
私もあんな風になりたいものです。

この後広島空港までみなさんをお連れしたのですが、
写真はここまでです。

これまでの写真データ全四百数十枚をお茶を飲んでいる間に
すべてノートパソコンを使ってCD-Rに焼き、スギルタンにプレゼントしました。
便利な世の中になったものです。

スギルタンには写真データとともに
彼の名前を漢字に直したものを画像データとしてプレゼントしました。

スギルタンの日本名?

外国人に漢字で名前を付けてあげるとけっこう喜んでもらえます。

スギラにはラベルマイティで作ったシールをプレゼントです。

木村安寿さんが「私も欲しい」と言ってました

スギルタンの奥さんは聾学校で手話を教えていますが、
日本での聾教育にとても興味があるようです。

どなたか英文メールで聾教育についてやり取りしてくださる方はおられないでしょうか?
もしおられたら私にメールをください。


昨夜みんなが知り合いの家で寝ている間、
一人自宅に戻って写真を何枚もプリントしたり、
データを整理したり、スギラのシールを作りました。

最後のご奉仕と思って精一杯やりましたが、
みんなと別れた後、まる五日間ほど完全にグロッキーだったので、
そうとう疲れがたまっていたのだと思います。
  (食べ過ぎで体重も2s増えましたし・・・)

飛行場までみんなを送り、
別れ際にスギルタンと抱き合った時には言葉が詰まり、
涙がこぼれそうになりました。

みんなから
「Come to India.」と何度も言っていただき、
これからしっかり英語を勉強し、
なるべく早い内にインドを訪ねてみたいと考えています。


忘れられない旅の思い出と出会いをいただき、心から感謝いたします。

インドの人たちと東京〜阿蘇を行脚    2007/05/17 〜 05/29

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