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我が英語学習履歴


“学習履歴”などというものは、
およそその分野で一定の学習成果が認められた方が書くものでしょうが、
恥ずかしながら、現在の私の英語力を知っていただくという意味で、
これまで学校を中心に勉強してきた英語との関わりについて記してみます。


<小学校時代>

当時は英語の早期教育などという言葉はなく、
低学年の内は英語と触れる機会はまったくありませんでした。
しかしながら“グッバイ”、“サンキュー”程度の言葉は外来語として使い、
意味は理解していたと思います。

私はとにかく勉強がきらいで、
学校で先生の話はまったく聞かず、
家でも宿題を真面目にやった記憶はほとんどありません。
そんなわけで学校で廊下に立たされたり横っ面に思いっきりビンタされる回数は、
クラスの中でもダントツの一位でした。

まったく勉強をしないのですから当然成績は悲惨なものです。
理科とか社会、音楽の楽器演奏など記憶することが求められたり、
積み重ねの習熟が必要な科目は最低の成績でした。
しかしながら算数だけは同じくまったく勉強しないにも関わらず成績がよく、
計算問題などはいつも一番早く仕上げ、
これだけが唯一の救いでした。

5年生か6年生になって授業でローマ字を習いましたが、
これもまったく身に付かなかったのですが、
見かねた父親がローマ字個別指導をしてくれて、
なんとか読み書きだけはできるようになりました。


<中学校時代>

予想通り(?)スタートからつまずきました。
教科書にはBenやLucyが登場し、「This is a pen.」からはじまり、
だんだんと込み入った会話をするようになっていきますが、
話にまったくついていけません。

真面目に授業を聞かない、宿題、家庭学習をまったくしないのですから、
当然の結果ではありますが、
もう完全に落ちこぼれ、授業では“お客様”状態です。
今思うと、学校の先生も大変だったろうと思います。

親に言われて塾にも通いました。
塾では少人数ですから一応話を聞いている振りをするのですが、
なにせ基本の基本ができていないのですから、
塾の先生の話も理解できず塾でも落ちこぼれ状態であることに変わりありませんでした。

中学校2年生になり、
親が心配して近所の人に相談をし、家庭教師の先生をつけてくれることになりました。
当時奈良に住んでいましたが、
奈良の名門奈良女子大学の学生さんが英語をマンツーマンで教えてくれました。

さすがどんな劣等生でもマンツーマン指導で落ちこぼれることはありません。
たしか中2の一学期終わり頃から習い始め、
二、三ヶ月で英語の力がメキメキとアップしてきました。

夏休み明け、二学期の授業で急に英語ができるようになっていた私を見て、
英語の先生(上田先生)がすごくビックリしていたのが印象に残っています。

家庭教師のマンツーマン指導は高校受験の頃まで続き、
その頃には英語は数学と並ぶ得意科目になっていました。

家庭教師の先生のお名前は小妻さんといわれ、
たしか九州(宮崎?)のご出身だったと記憶しています。
真面目で地味な感じの先生でしたが、今はどうしておられるのでしょうか、
今は五十歳ちょっとになっておられるはず、
先生と出会わなかったら公立普通科高校に入ることはできなかったでしょう。
一度お会いしてお礼を言いたいです。


<高等学校時代>

高校の英語の授業は、リーダー、グラマー、コンポジの三つに分かれていました。
たしか英文読解、英文法、英作文という意味だったと思います。

この中でリーダーを担当されていた坂本先生という方が冗談ばかり言う面白い先生で、
私の英語の発音がとてもいいということで、
よく可愛がってくださいました。

授業では頻繁に私を指名し英文を読ませ、
私の発音は外人並だと誉めてくださいました。
ありがたいことです。

しかしながら家では相変わらずまったく勉強をしません。
一度定着した習慣とはなかなか変わらないものです。

当時勉強部屋は家の二階にあったのですが、
なぜかその二階の窓から一階の屋根に向けて英語の辞書を落としてしまいました。
私はそのことに気付かなかったのですが、
数ヶ月後、屋根の上の辞書を親に見つけられ、こってり叱られました。
けれどもその数ヶ月間、手元に辞書がなかったことにまったく気づかなかったのですから
私の勉強嫌いも相当なものです。

それでも高校を卒業し、大学受験の頃でもまだ英語は数学同様得意科目でした。
なぜなのでしょうか。
今考えても不思議です。


<大学時代>

一年浪人し、大学に入学することができました。
学部は理学部ですが、英語と第二外国語(私の場合ドイツ語)が必須です。

通常一、二回生の内に語学の単位はすべて取ることができるのですが、
勉強をしないことに加え、学校が家から遠くあまり行かないということも重なり、
結局最終学年の四回生まで英語、ドイツ語の授業を取るはめになりました。

特にドイツ語は最後の試験でも合格点を取ることができず、
担当の教師に「就職が決ってますから・・・」と必死で嘆願し、
家から片道三時間半かけて教師の自宅まで行き特別追試を受けさせてもらいました。

もしかしたら、それが語学に対するちょっとしたトラウマになっているかもしれません。

それでも学生時代はのべ二十人近くの子どもたちの家庭教師をさせてもらいました。
下は幼稚園児から、上は高校一年生まで、
英語も三人の高校受験生に教えました。

元々人に教えることが好きでしたので、
みんなある程度の結果を残してくれ、私の学生時代の楽しい思い出のとつです。


<社会人になってから>

新卒で公文という教育の会社に入りましたので、
当然少なからず英語との関わりはありました。

しかし公文は生徒に教えるのではなく自学自習方式、
しかも私は指導者ではなく、指導者の方たちのサポートをする
フランチャイズ本部の事務局員でしたので、
英語も教材の内容を知り、それを横目で眺めるといった感じで、
英語力向上のための学習というものは一切していません。

その後公文を退職し広島に来て、何度か外国にも行きましたが、
特に英語を勉強しなければいけないせっぱ詰まった事情もありませんでしたので、
何度が勉強しようと英会話のテキストを買ったことはありますが、
学生時代から英語のレベルは止まったままです。

それでも昔覚えたことは、
今でも意外なほど頭の中に残っています。

Christmas , Australia なんて単語でも綴りをしっかりと覚えています。
RとLの発音なんてとても聞き分けられないのに、
丸暗記した綴りを覚えているなんて自分でビックリです。

英語を読んだり書いたりすることは多少できても、
聞いたり話したりすることがほとんどダメで、
会話ができないのは相変わらずです。

                                        2007.6.20

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