トイレ掃除は心磨き
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宮島の掃除をするにあたって

                                        先川孝德

ドラマは中国新聞の広場への投稿が発端となる。
宮島のトイレが汚いとの主婦の苦情である。

ここ一年半公衆トイレを有志と共に磨いてきた活動に次なる場所を発見し、皆の賛同を得た。
公衆トイレを磨くことが世の中を変えると信じ実践している者たちの心に火が付いた。
主婦の意見は貴重である。
しかしそれが単なる批判で終わるのであれば何も変らない。
共に行動しただけ変るのである。
汚れた便器を前にして大声を出すより、その汚れを落とす行動の中に解決があるのである。

その汚れは他人が付けたもので自分には責任がないと思っている限り行動はおきない。
我々は皆一人一人が汚している存在と氣付けば、かって私の汚したところを人知れず掃除してくれた人に自分もなれるのである。
一人一人がそうなっていけば現状は急変し明るくなる。
だって現状はエゴが作り上げたものだから。

エゴからの脱却は簡単にできそうでできない。
その一つの訓練がトイレ掃除である。
なぜ人が汚した所を私が掃除しないといけないのか?
当初その思いとの戦いが続く。
しかし徐々に汚れが落ちて便器が綺麗になっていくにつれ、そんな思いもなくなり、ひたすら便器を磨くことに集中する自分になっていく。

これはやった人のみが体感する拒絶から無心に移行する私自身の変化である。
もはや対立はなく、ただ無心に汗している自分自身に驚く自分を発見する。
半ばやぶれかぶれで汚れにぶつかり、薄皮一枚をくぐり抜けた先に別世界を見るのである。

何回か繰り返すうちに、トイレ掃除をすることで自分の中の悩み苦しみを便器の汚れとともに落としていることに氣付かせてもらう。
現状の中で苦しみもがいている人ほど感動しはまるのがトイレ掃除である。
我心の掃除であり、続けると地域社会の掃除へとつながることは間違いない。
長年の便器にしみついた水アカ、尿石は仮に一トンの水を流そうとも落とせない。
現状の問題点への対策が功を奏さない理由も汚れた便器から学ばせてもらえるのである。
たかがトイレ掃除、されどトイレ掃除である。

宮島は世界遺産、広島の宝である。
これ迄何億の金が注がれたことであろう。
しかし何億という金も汚れたトイレが帳消しにする。
今回行政の方、他多くの方々の協力を得、観光地のトイレ掃除をさせてもらう。
大声を出せば行政が何かをするという一見当たり前の構図、これを志ある皆さんとともにトイレを磨くことで、各自が氣付きを得、それが参加者の周辺に広がっていく中で世の中が変っていくのだと確信する。

今回の行動は単なる掃除ではなく、かの坂本竜馬が口にした日本の洗濯を実践するものである。
廃墟から立ち上がり繁栄を築くなかで積み上げられた汚れを落とすことが全ての問題点解決の第一歩である。
ここ広島の地から熱き思いを全国に発信し百匹目の猿現象を皆さんと共に起こしていきたい。
これが今回のトイレ掃除の主旨であり、賛同していただく方が一人でも多いことを祈念しています。

  「宮島トイレ掃除の集い」

    

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