トイレ掃除は心磨き
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箸よく盥水(かんすい)を回す

日本を美しくする会 相談役 鍵山秀三郎


盥にいっぱいに汲んだ水を一本の箸で回せと言われると回るわけがないと思うんですけど、ずっとやり続けていると周りの水が少し回りますね。
さらにそれをあきらめずに回して、回し続けているとその輪がだんだん膨らんできて、最後には盥の水全体がすーっと回り始めるという教えでございます。
ですから、たとえ自分の力が小さくても、努力し続ければ、やがて大きなものを動かしていく力になるということを教えているんです。

私はこの言葉に会ったとき、とっても勇気づけられたんです。
私のような微力なものは何をやっても何事かを成し遂げることはできないと思っていたんですね。
しかし、一本の箸で盥の水さえ回すことができるんだとしたら、もっとその努力をし続ければもっと大きな力になるということに気がつきました。

そのことを通して私はよくこういう表現をするんです。
プールに一滴、それはどういうことかと言いますと、ここにコップいっぱいの水がある、これを努力とします。
これだけの努力をしているところにもう一滴足しなさいというと、ほとんどの人がやらないんですね。なぜなら、一滴ぐらい足したって自分の努力が実ったかどうかわからないんですね。
だから、足さない。
ましてコップに一滴でさえわからないのですから、洗面器であったり、盥であったり、そこに一滴の水を足したとしたって、全く増えたという実感がありませんから、ほとんどの人がそんなことはしない。
私は、コップ、洗面器、盥どころではない、プールに一滴でも、それが良いとわかれば足していく、そういう考え方です。
少なくとも一滴足せば減ることはないんです。
増えたという実感は自分で目で見ることはできないけども、間違いなくそれが増えていることは正しいわけですから、そういう考え方で物事に取り組んで戴きたい。こ
れが私の先生方に対する願いでございます。

そういう努力をし続けていくと必ず、人はその姿を、一所懸命の姿を見てくれるんです。
そこから学んでいくもんだと思います。
どれだけたくさんの言葉や文字より大きな力があると思うんですね。
そのことを東井義雄先生が「私たちは言葉や文字に頼りすぎていないか、言葉や文字よりも自分の態度や生き方で語るようにしなければいけない」と書き残しています。
言葉や文字も大事ですけども、自分の日頃の行いやあるいは生き方で示していくことが大事だと仰っていて、そのことを岡田宜法という方が、「掃除はその会社(学校)を語る無言の表現であり、その人を映す無形の鏡である」と仰っているんです。

本当にその通りだと思うんですね。今、「うちの学校ではこういうことをやっています」と新聞広告で出したりする時代になりましたね。
そんなことをするより、何もしなくたってビシッとした掃除をして、学校の施設が行き届いていたら、「うちの学校はこういう学校だ」と無言のうちに語っている、表現しているんです。
そして、無形の鏡に映し出しているようなものです。

でも、こういうことが良いとわかっていてもなかなかできないんですね。
なぜかというと、目の前のいろんな仕事が忙しい、できない理由はいくらでもある。
それから良いと思ってもやろうとすると必ず反対者が現われるんです。
どういう人が反対をするのか。
それは自分さえ良ければいいという人が反対するんです。
やりたくない人が余計なことを持ち込んでこないでくれと反対されます。
しかし、それを反対があったからといって、そこで波風を立ててまでの思いをしてやることはないとやらずに終わってしまうと何も変わっていかない。
変わらないだけではない、悪くなる一方だと懸念をしています。

自分の目の前に大きな川が流れていても、大きな高い山があったとしても、それを越えていっていただきたい。
何年か後には、反対していた人があのとき反対したことが恥ずかしくなるという時代が必ず来ると思います。
私のことを非難したり、嘲笑したりした人たちが後で恥をかく。
そこまでやり遂げようという考え方で取り組んでおります。

教師の教師による教師のためのトイレ掃除に学ぶ会「便教会」
便教会新聞 第70号 H22.9 より

    

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