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ソウルシンク瞑想

ソウルシンク瞑想

瞑想と出合ったのは今から四十年ほど前、当時はスピリチュアリズムの代わりに精神世界という言葉が使われていて、その分野で瞑想の効用がよく謳われ、見よう見まねで自分なりに行なっていました。

いろんな瞑想用の音楽テープを買ったり、ロウソクを目の前に灯したり、約一年間は神智学系の瞑想を週一回一時間、十人ほどのグループで行なったりもしていました。

その当時有名だった瞑想音楽は宮下富実夫氏のもので、中でもこの「瞑想」という曲が最も人気があり売れていたようです。
今聞くととても懐かしく、奈良の天河神社の祭事で宮下氏を見かけたのもいい思い出です。

瞑想中は強い光を感じたことは何度かありますが、ほとんどがその間にわき上がってくる雑念との戦いです。
それでも心を無に保つ行為は日常の心の穢れを洗い流してくれるようで、感覚的に瞑想の効果を感じながらも、最近はすっかり遠ざかっていました。

瞑想の価値

今現在ネットから流れてくる情報量は、数十年前とは比較になりません。
あふれんばかりの情報の中、何を手に入れるかではなく何を選び取るか、そして実践するか、この自らの見識と行動力が求められています。

何が本当に価値があるものなのか、それは人によって様々です。
量子力学において、観測することによって初めて波動関数が収束し状態が確定するように、“観測する人”によって状態という価値が変わっていくのは当然のことですが、今は時代の大きな変わり目ということもあって、より普遍的に価値の高いものが多く現われてきているように感じます。

また瞑想とは、多様性を持つ外世界の対極である内なる真我を求めるものなので、より普遍性が高いのだと考えます。

今は巨大な転換期です。
植物が芽吹き、昆虫が羽化し、渡り鳥が棲み家を換え、人生においては進学、就職、結婚等大きく生活スタイルが変わるような時であり、それゆえに禊(みそぎ)を行い余分なものを祓(はらい)、“身を削いだ”シンプルな状態を見つめ直しながら次なるステップを求める時です。

あふれかえる外世界の情報の渦をいったんシャットアウトし、無限の叡智である内なる世界に意識を向ける。
瞑想の価値は今こそ高まってきています。

こう書いていて思うのですが、諸行無常、量子的波動の重ね合わせ状態にある不確定なこの時空間、そこを超越した普遍的な本来のあり方(真我)を求めること、それが瞑想の本質だと感じます。

瞑想、真我の世界

ソウルシンク瞑想

これまで様々な瞑想を実践してきた中で、最近出合ったソウルシンク瞑想というのが実にシステマチックであり理に適っていて、誰にでもおすすめできるものだと感じます。

約十分ちょっとで行うことができ、各ステップのイメージングによって自然と深い状態へと入っていくことができます。
まずはご自身で実践してみてください。
きっと短期間で何かを感じ取っていただけるものと思います。

ソウルシンク瞑想のやり方(6つのステップ)

椅子やクッションにリラックスして座り、手のひらを上に向けて太ももの上に置きます。目は軽く閉じます。1から4ステップはすべて「8回ずつの呼吸サイクル」で行います。

1.意識的な呼吸(8回)
・深く息を吸い、ゆっくりと吐き出します。
・呼吸を数えるために、指先を順番に軽く触れ合わせながら8回カウントします。

2.蜂の羽音の呼吸(8回)
・深く息を吸い、吐き出すときに「ウーーーン」と蜂の羽音のようなハミングをします。
・頭や体に響く振動と音に意識を集中させます。

3.呼吸の「間」を観察(8回)
・息を吸った後と、吐き切った後に訪れる自然な「静止する瞬間(間)」に意識を向けます。
・無理に息を止める必要はありません。

4.アーム(Aham)マントラ(8回)
・息を吸い、吐き出すときに心の中で「Aham(アハン、アハム)」と唱えます。
・サンスクリット語で「私は無限の意識である」という意味を感じ取ります。

5.光への拡大と融合
・親指と人差し指を軽く触れ合わせます。
・自分の体と周囲の境界線が消え、すべてがひとつの眩しい「光の海」に溶け込んでいく様子をイメージします。

6.意図(願い)の具現化
・光と一体化した状態で、自分の叶えたい願い(インテンション)を思い浮かべます。
・その願いが「すでに叶っている状態」をリアルに想像し、そのとき感じる喜びや感謝の感情を胸いっぱいに味わいます。

最後に深く呼吸をして、ゆっくりと目を開けます。

実践し感じたこと

上の動画を流しながら、今現在50日間ほど毎朝実践し、その間感じたことを書いてみます。

雑念が消える

瞑想中はイメージングしながらなので雑念は湧きにくい・・・とはいうものの、やはり様々な思いが勝手に浮かび上がってきて、それを感じ、気付いたら消そうとして力を抜く、その繰り返しです。
そしてその雑念の湧き方によってその日の状態が感じ取れたりもします。

けれど瞑想の効果なのでしょう、明らかに日常生活における雑念というノイズが減少したことを感じます。
脳の中で繰り広げられる想念ワールド、その土壌がクリーンになった感覚です。

これは思考が停止した、薄くなったというのとは違います。
雑念とは自分の真我の外にあるものに意識が向くことであり、それが停止することによって、より大切で本質的である内なる世界へと意識が向いていきます。
そしてそこにこそ無限の叡智があり、そこに立脚しているという安心感が自然と湧いてきます。

動じなくなった

この安心感があるからこそ、どんな場所に行っても、どんな人と会っても、自分という強固な軸を確立でき、心揺さぶられることがなくなりました。

これはソウルシンク瞑想を始めて一週間ほどして外の会合に参加し、ハッキリと感じ取れました。
そしてそれを自覚することでより強固になります。

体幹軸の強化

これまでインドに十回訪問し、そこで感じたことを講演という形で様々なところでお話ししています。
その中で最も強く伝えたいのは、「なぜ貧しいインドの子どもたちが幸せそうなのか」ということです。

偉大な教育者である森信三先生が述べられた
『教育の基本は立腰にあり』
この至言が示すとおり、姿勢を正すことは生き方を正すことであり、それができているからこそ輝くような笑顔と喜びを湛えることができるのだ。
この真実をインドの子どもたちから体感させてもらいました。

土台 インドの立腰

自分は日本の日常でもこのことを強く思い、歩く時でも姿勢と体幹を常に意識するようにしています。
そしてその体幹の感覚が、ソウルシンク瞑想をすることによってより強化されました。

人間は、目に見える肉体とともに、目に見えない精神的、霊的な存在でもあり、精神的な体幹(中心軸)である真我への意識が強まったため、肉体の体幹意識も変化したのだと考えます。

ぶれない身体とぶれない心、心身一如ということです。

対人関係の変化

ソウルシンク瞑想で検索し、様々な人の体験談を見ていく中で、
「これまで関係がよくなかった人が笑顔で接してきた」
というようなことを書いている人がおられ、自分も同様のことを二度ほど体験しました。

これは明らかに自分の心の変化の表れでしょう。
雑念の中にある相手への苦手意識がなくなる、あるいはそこから意識が遠ざかった結果、相手もそれを感じ取ってわだかまりなく接してくるようになったのだと思います。

不安と恐怖の払拭

意識が内なる真我に向かうことによって、不安や恐怖、手放すべき様々な感情からも解放されていきます。
前項で感情を手放すセリーンマインドプラクティスを紹介しましたが、ここ最近はまったく実践していません。
これはその必要性を感じなくなったからであり、本来の自分に立ち返ることが心の真なる解放につながることを強く感じます。

シンクロの日々

『身の回りで起こることはすべて自分の心の表れである』
このことがより一層強く感じられ、日々の出来事と己の心のあり方の関係性がより濃密に感じられるようになりました。

この50日間で思いがけない出会いがいくつもあり、それがこれから進むべき方向性を示すかのようで、毎日どんな出会いが待っているのか心躍る日々です。
もちろん喜ばしくない出来事もありますが、それをどう解釈していくか、この解釈という受け取り方が価値の本質です。

このシンクロの多発は急速にすべてが変化する今という時代のエネルギーが相まってのことなのでしょう。
このジェットコースターに乗っているような日常を楽しまなければ本当にもったいないことです。

 

最高の遊園地、最高の修行の場であり道場は、自分の心の中にこそ存在します。
そのことを瞑想は気付かせてくれます。