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2018年2月21日 ・・・ 離見の見

インドでは、町でも村でもいろんなところに神様が祀られていて、
神様は、日本以上に身近な存在として民衆に親しまれています。

日本でも一時期名前がよく知られていたサイババも人気のある神様の一人で、
オートリクシャーのガラスや店先によくステッカーが貼られていて、
サイババを祀る寺院もよく見かけます。

ただしインドで人気があるのは初代シルディ・サイババで、
日本で人気があり、七年前に亡くなった二代目のサティア・サイババは、
インドではほとんどその姿を見かけることはありません。



サイババが本当に神の化身であり聖者なのかどうかは分かりませんが、
サティア・サイババの遺した言葉には深い真理を感じます。

神とは光輝くまばゆい存在であり、
その輝きは太陽を何万個集めても適わないほどである。

瞑想してある境地に達した者が、
「私は光輝く神の存在を見た」
と語ることがあるが、それは間違いである。

もし本当に光輝く神の存在を見たならば、
そこには“私”という概念がなくなるはずだからである。


完全に正確ではありませんが、
このようなことがサイババの著書に書かれていました。

つまり神の領域まで達した者は、
完全に神、すべてのものとの一体感を覚え、
一人称という概念がなくなってしまうということなのでしょう。
実に深い悟りであり感覚です。

悟りとは、一人称である “私” から離れること、
そして自と他との“差を取る”ということが、
悟り(さとり)の意味なのでしょう。


今、将棋界では若き天才棋士 藤井聡太六段の活躍で、
大いなる盛り上がりを見せています。

プロ棋士の頭脳がずは抜けてすごいことはよく知られています。
彼らの記憶力、洞察力、パターン認識能力は、
常人には計り知れないレベルです。

その記憶力のすごさの現れとして、
プロ棋士は脳内将棋という、実際の盤面を見ずに、
頭の中の記憶だけで将棋を指すことができます。



上の動画では残念ながら羽生永世七冠に二歩の反則負けを喫した
佐藤康光永世棋聖は、ハイアマチュアを相手に、
五面指し(五人と同時対局)の脳内将棋で全勝するほどの実力の持ち主です。

そんな天才的頭脳を持つプロの棋士たちですが、
彼らの頭脳をもってしても、
そう簡単に対局者の立場に立って情勢を考えることはできないようです。

最近大人気の引退した元棋士の加藤一二三は、
現役時代、対局者の目線で盤面を見つめるため、
相手の後ろ側に回って将棋盤を見つめることがよくありました。
それは「ひふみんアイ」と称されます。

かの藤井聡太六段も時折このひふみんアイをすることがあり、
相手にとって後ろから見られるのは心地いいものではないので、
この行為はあまり評判がよくないようです。



彼らのようなトップ棋士でもこうであるということは、
いかに自分から離れ、
相手の立場に立ってものを考えることが難しいのかを示しています。


昨年15年かけて『ギリシャ人の物語』を完結させた作家の塩野七生は、

『月並みの将軍は、どうやったら敵に勝てるかを考えて戦略を立てる。
 70年前の日本もそう。
 ところがアレクサンドロスは違う。
 どうやったら敵が自分に勝つか、まずそれを考え、
 次にどうしたら敵にそうさせないかを考える。
 その後で初めて戦術です。』


言われることはごく当たり前のことのように感じられますが、
これを実際に行うのは極めて難しいことです。


能の大成者である世阿弥は、
己を客観視する『離見の見』という言葉を遺しています。

これは意識を自分から離し、
観客の立場になって己を見つめるということであり、
自分の目と観客の目が一致することが重要であると説いています。

そしてそうするためには『目前心後』(もくぜんしんご)、
目は前を向いていても、心は後ろに置いておくとのことです。


「相手の立場になって物事を考えよう!」
こんな言葉をよく耳にしますが、この相手の立場になるということ、
自分の内から意識を離すということがいかに難しいのか、
まずはそのことを知る必要があります。

そして徐々に一人称の意識、自我を手放し、
悟りへの道を歩むこととなるのでしょう。


これについて自分の意見を語れるほど悟りに近づいていませんが、
感じるのはこのようなことです。

普段の意識とは、頭の中か周りに漂う淡い雲のようなものてす。
それを己から離すには、
頭に意識、気が集中していてはできません。
たとえば頭に血が昇っている時は、絶対に人の立場など配慮できないのです。

まずは肛門を締め、意識をお腹へと落とします。
そこに意識を集め、肛門とお腹に力をこめると、
腸にある意識とは別に、
頭にあった意識の雲が少し自由に動き出すのを感じます。

これはお腹から大地へとしっかりと根を張った自分という存在があり、
その確立した自己の上に、
意識を外へ向けることができるということではないでしょうか。

これはまったく感覚的なものですが、
脳と腸、思考と感情の理合いからいって
大きく間違ったものではないと感じます。

やはり脳と腸、思考と感情との関係が何より大切であり、
ここを整えることがすべての大前提です。

2018.2.21 Wednesday  
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