ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



鏡の存在

このヨガナンダを見た方からメールをいただくことがよくあります。
そのほどんどの場合、何度かメールのやり取りが続き、
ヨガナンダの感想や、自らの紹介、
中には悩み事があって、その相談を書かれる方もおられます。

いただくメールは貴重です。
意見や感想を寄せていただくことはとても嬉しいことであり、
またそのメールを読ませていただいたり、返信を書くことによって、
自分の中で大きな気づきを得ることができるからです。

ただ漠然と思いを書くのではなく、
メールのように特定の対象に向けて発するメッセージは、
頭や胸の中にあるものが凝縮されるようです。

また不思議なタイミングというのがあり、
その時々で自分にとって最も必要なことを、
そのメールをくださる相手の方が引き出してくれる感があります。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に。


この有名な森信三先生の言葉を、
ほとんど直接お会いする機会のない、
メールのやり取りで交流をする方たちに感じます。


二年ほど前、関東地方にお住まいのAさんという女性の方から
メールをいただきました。
何度かご自身の近況をメールで、時には写真付きのものでお知らせくださり、
一、二度電話でもお話をしたことがあります。

その後時々メールをいただいては途切れたりしていたのですが、
つい先日、三ヶ月ぶりにメールをくださり、
その中に、何か相談したいことがあるということが書かれていました。

直接会ったこともなく、またメールだけのやり取りで具体的問題に対する
アドバイスができるのかと思われるかもしれませんが、
思いを込めて文字に綴ると、その中に大きな力が凝縮します。
また大切なのは個々の事例における対処法ではなく、
その問題が生じた大元となる心の在り方、その見つめ方、
その心をどのように処していくかということですので、
思いの詰まった文字の方が気づきを得られることがあるのです。

人から感謝の思いを伝えられるのに、
口頭で長々と述べられるより、
短いメッセージの書かれたハガキをもらった方が心に響くことがあります。
口で話すよりも効率の悪い文字による伝達は、
非効率であるがゆえ、そこには深みがあります。


いろんな方とメールのやり取りをするのは幸せです。
それはそこに大きな気づきと喜びがあるからです。
けれど気づきというものは、日常の茶飲み話をしていたのでは得られません。
お互いが真剣になって相手を思い、
その上で言葉を交わすからこそ得られるものです。

Aさんにお伝えしました。
どんなことをご相談くださっても結構です。
それに対し、私は真剣に答えさせていただきます。
その代り、Aさんも私に対して真剣にメッセージを返してきてくださいと。

お互い真剣にやり取りする中でエネルギーが生まれ、気づき生じ、
また奇跡のようなことが起こり、
お互い深い人生の糧となるものを得ることができます。


Aさんとはこの一週間で何度メールを交わしたでしょうか、
その時々、真剣勝負のつもりでメールを送りました。
いただいたメールを読み、胸の中でよく消化し、
先日松山に出張に行っていた際も、朝5時に起き、
新鮮な気持で一時間かけてメールを打ちました。

それは真剣に自分の内を見つめることによって何とか大きな気づきを得たいから。
そしてそれでもって相手を苦しみから解放させてあげたいということ以上に、
自分自身の苦しみや葛藤から逃れたいという思いがあったからです。

いろんな方とのメールのやり取りは、常に最高のタイミングで訪れます。
Aさんの抱えている問題というのは、
私が先日来抱えている葛藤と実に近似したものだったのです。

Aさんのことを思い、Aさんが楽になることを真剣に願い、
そのことをどう文字で表現したらいいものか知恵を絞りました。

それがどのようなやり取りであったかは、
実際に往復させたメール本文をここに載せればよく理解していただけますが、
それは不可能です。
Aさんは絶対に誰にも話したことがないプライベートなことを書いてくださいました。
それに応える私も、
これまで一度も口外したことのない過去のことをいくつも書きました。


Aさんを苦しみから救う道を考え、言葉にしたものは、
直接自分の胸の内に響いていきました。

自分の身の回りに広がる外の世界は、
すべて自らが創造し、引き寄せたものであり、
内なる自己を投影した鏡の存在です。

ですから自分に苦しみや葛藤を与えるものや人も、
自らが創造し、引き寄せたものであり、
その外の世界の在り方をただ批判するのではなく、
それが現れたその原因となった自分の心の在り方、
過去の様々な思いを振り返り、
それを鏡の存在として自らの生き方を正していくものとして尊重すべきなのです。

そんなことを具体的事例を交えながらメールに書き、
Aさんは、外の世界に対してこれまで気づかなかった “因果の法則” を感じ、
今までとは違った態度で接することができるようになったと語ってくださいました。

それと同時に私自身もまた救われました。
自分の内を一人ただ見つめていても見えないものが、
外の世界にAさんという方を創造し、目の前に現し、
その方の心の内を見ることによって、
初めていろんなことを深く体で感じることができるようになりました。

この世の中に鏡の存在として外世界があるということは、
そこからしか気づくことができないものがあるということです。


葛藤を生み出すものは、
その葛藤から何かを気づきたいと願い、自らが創造したものです。
そのことに深く得心したならば、
これまでそれに対して葛藤し、苛立ち苦しんでいた気持が、
そんな嫌な役回りをさせて申し訳ないという謝罪の気持に変わっていきます。

「私にいろんなことを教えてくれるために嫌な振る舞いをさせてごめんね〜」
そんな思いになり、最終的には慈しみすら感じるようになるはずです。


本を読んだり人の話を聞き、
頭でいろんなことを知ったとしても、
それを体で深く理解するためには、葛藤を含め様々な経験が必要です。

言葉を通じた真剣なやり取りの中からも、
このたびのような気づきが得られることがありますが、
それはのど元まで出かかっていたものが
最後一気に引き出されるといった役割です。

やはりその元となる経験は宝です。
特に葛藤や苦しみを与えてくれるものほど、
自らの気づきを与えてくれる鏡の存在としての役割が大きいのです。

鏡は磨けば輝きます。
外のなる世界を心を込めて磨き上げ、自らもまた輝く存在となりましょう。

2012.11.3 Saturday  
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