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ヨガナンダ



贖罪

人の行動原理は不可解なもので、
ひとつの行動の裏には、
自分でも気が付かない動機が隠れていることがあります。

人間の感情は層のように幾重にも折り重なっていて、
表面から順に感情を解きほぐしていかなければ、
最も奥にある感情の根本にたどり着くことはできません。

その感情の根本は、最も奥にあるから複雑かというとそうではなく、
実に単純なものが多く、
たとえ単純なことであっても、その人にとっては乗り越えることが難しく、
また見つけることすらなかなかできないものです。

「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、
人のことはよく気が付いても、我が事となるとなかなか分かりません。

気が付けば単純なことでも、
気づきに至るまでの道は長く、単純がゆえに深いものです。


ひとつひとつ行動を積み重ねていけば、
コップに水を注ぎ続け、ある瞬間にあふれ出すのと同じように、
臨界点を迎え、ふとあることに気付くことがあります。

木の葉が色づき、枝から落ちるのは一瞬です。
年に一度咲く桜の花も、つぼみが大きく膨らんでから花を咲かすまでは
ほんの一時です。

自分にとって、今その時を迎えたのかもしれません。
身の回りで起こる大きな動きを感じながら、
自らも改革を迫られ、
内面的に大きな動きをしたい、しなければならないという思いが、
強烈に湧き上がってきています。


そこで今一度自分というものを冷静に見つめ、
今というこの時に、いくつかの大きな決断をしました。

そのひとつが、自分が最も大切にしてきたものを、
しばらく遠ざけるということです。

最も大切にしてきたもの、それはトイレ掃除です。

トイレ掃除は素晴しい心磨きの手段です。
自分にとって、どんなセミナーやワークショップよりも
自分を見つめ、心清めることができると考えています。
その結果、トイレ掃除を通して信じられないような奇跡の数々を体験してきました。
トイレ掃除ほど心身の爽快感を覚えるものはありません。
自分にとってトイレ掃除は、趣味や余暇を楽しむのとまったく同じです。

これまで書いてきたこういったことに寸分の偽りもありません。
また気持ちもまったく変わっていません。

ではなぜトイレ掃除を自分から遠ざけようと思ったのか、
それはトイレ掃除をしたいという自分の心の裏に、
もっと他にしなければならないことがあるにも関わらず、
その現実から逃避したいという気持ちがあるのを感じたからです。

またトイレ掃除をすることによって、
心の闇を巣くっている罪悪感を少しでも払拭したいという
“罪滅ぼし” の気持ちがあるからです。

自分に対し、本当に求めなければならないものは、
まずは現実と向き合うことであり、
罪を感じることがあるのなら、それを直視し、
実際にあるその罪を償うように努力することです。

これまでトイレ掃除に割いてきた時間を、
自分がしなければならないこと、
自分にしかできないことに費やさなければならない、
そう思い至るようになりました。

これまでの人生で、人には体験できない様々なことを経験してきました。
素晴しい知識も身に付けることができました。
それらを活かしていかなければ、
死ぬ時になって猛烈な後悔をすることになるでしょう。

トイレ掃除をする以上に、
自らを磨き、社会に貢献できる活動をする、
それが本来自分に課すべきテーマです。


けれど今すぐにトイレ掃除のすべてを手放すことはできません。
自分一人で道具を抱えてトイレ掃除をしたり、
平和公園のガム取りをしたりするのは止められますが、
会として活動は、準備や片付け、パソコンでの作業等、
これまでかなりの部分を担ってきましたので、
少しずつ負担を減らしてもらい、
自分にしかできない部分でアシストしていければと考えています。

そして近い将来か遠い将来か、
自分で満足のいく現実対応ができるようになり、
生活の基盤も安定し、心もまた晴れやかになったなら、
その時は堂々とトイレ掃除活動にも取り組めるでしょう。

自分の中で、現実逃避、罪滅ぼしという意識がある限り、
しばらくトイレ掃除からは遠ざかる決意をしました。


大きな決意をすることによって、新たな心の目が開かれてきて、
また別の大きな気づきを得ることができました。

きわめてプライベートなことですが、
心の中で、ずいぶん前に縁がなくなったある人に対し、
これまで深い罪の意識を感じ続けていました。

罪の意識を感じ、それでどうなることでもないのですが、
常に罪の意識を持ち続けることによって自分を苦しめ、
自分が苦しむことによって、相手への罪滅ぼしにしようという思いがあるのです。

そんなことをしても相手が喜ぶわけでも幸せになるわけでもありません。
まさに自傷行為そのものですが、
そんな思いがあるからこそ、
いつまで経っても罪の意識が消えず、
意識的に消そうとしていなかったのです。

実に単純な心の動きですが、
こんなシンプルなことに今まで気付くことができず、
このたびやっとそのことが見えるようになりました。

深い思い、思い込みは、人の目をかくも見えなくしてしまうのかということが、
実体験としてよく分かりました。


心の中に負の側面を抱えているならば、
それを抱えていたいという何らかの理由があるのかもしれません。

罪滅ぼしをする場合、
本当に払拭しなければならない罪は何かを見定めなければなりません。
また知らないうちに自傷行為をしている場合、
まずはそれに気付くことが第一歩です。

人の目を曇らせる大きな原因は、
何かに対するこだわりであり囚われです。

手放すことは、目の前の曇りを取り除くことにつながります。

2012.4.18 Wednesday  
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