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永遠の一年

今日3月11日、
多くの日本人が一年前のあの日のこと、
そしてこの一年間に馳せた思いを振り返り、
再び鎮魂の祈りを胸に抱いたことと思います。

この一年間、日本も日本人の意識も大きく変わりました。
私にとってもあまりにも多くのことがあり過ぎて、
今日という日を迎えても、何を語っていいのか戸惑いを覚えます。


昨年の3月11日は、
翌日に公衆トイレ掃除の会を控え、その準備をしていました。
そしてその夜は掃除仲間の家に泊まり、
その家のテレビで壮絶な津波の映像を夜通し見ていました。

翌日のトイレ掃除の会はいつも通りに行われました。
集まった人たちはみな言葉少なで、
ただ淡々と便器を磨いていたことが印象に残っています。

私もその日は懸命に便器を磨かせてもらいました。
遠い東北の地で被災された人たちのことを思い、
今自分にできることは、まずは身の回りのこと、
目の前にある汚れた便器をきれいにすることだという意識でした。
たぶん他の参加者の人たちも同じ思いであったろうと思います。

私自身は、その日の思いは今もまったく変わっていません。


震災のことについて書こうとすると、
心の中でほんの少し思いにブレーキをかける部分を感じます。

一年以上前からこのページをご覧になっている方ならお分かりのように、
震災直後から胸の中にはいろんな思いが湧き上がり、
毎日、日によっては一日二回新たなページを更新し、
熱い思いを発信し続けました。

けれどその発信するメッセージに異を唱える方がおられ、
厳しい叱責を受けてしまい、
そのことについてもここでも詳しく書きました。

私がこの一年間で最も大きく学んだのは、そのことからかもしれません。

何か事と出合った時、それに対する感じ方、対処の仕方は人それぞれです。
根底が同じ深い愛情であったとしても、
そこから導かれる行動がまったく正反対になる場合もあるでしょう。

みんなが心を合わせてひとつになるというのは、
行動を自粛し、個性を殺し、表面を統一することではありません。

本来はその逆であり、多様性を尊重し、
個性的なそれぞれの立場や存在を受け入れることだと考えます。

ひとつになるとは、究極的には、
今このままでひとつだということを知ることであり、
今まで表面だけを見てその違いを感じていたものを、
その根底を見つめることによって、
すべてがつながっているのを知ることだと思います。

厳しい叱責を受け、以前から感じていたそのことをより強く意識するようになり、
これまで以上に自分の根底を強く感じながら、
湧き上がってくる思いに正直に生きたいと願うようになりました。
また実際にそうしてきました。

けれど震災のことを語ろうとすると、
その叱責された記憶が蘇るとともに、
やはりとてもシビアな問題なので、
軽々しく口にはできないと自制する面が出てきます。

例えば「変革への道」に書かせてもらったプラカードおじさんは、
『「がんばろうニッポン」などというスローガンはおかしい。
 がんばって元通りにしようとするからいけないんだ。
 被災して貧しくなったら、昔の日本人の生活のように、
 貧しいながらも心豊かだった生活を取り戻せばいい。
 私たちにはそれが求められているんだ』
というようなことを語っておられました。

これは私も大筋では賛同するものの、
こんなことを公に語ったら、
「お前は当事者ではないからそんなことが言えるんだ」
と怒り心頭になられる方もいるはずです。

怒る人がいるのなら、
自分が正しいと思ったことも言わないのが賢明、
本音は本音、建て前としては別のものを用意し、
普段はそれを表に出して生活するのが利口な人間である、
そう考えるのが普通でしょう。

また一般論として正論だったとしても、
個別の人に対して考えた時、
傷付く人がいるのなら、
自粛するのもまた致し方ないことと思います。

そんな中、いかに自分が正しいと感じたことを語っていけるか、
この塩梅はとても難しいことです。


このホームページには、一般的な考え方とは逆行することを多々書いています。
それは意識してそうしている面が大きく、
そうすることによって、世間の常識、一般論を、
よりバランスの取れたものにしたいと思うからです。

それが私の個性であり、役割です。
このことは、震災を機により強く感じるようになりました。

震災を機に感じるようになったことを大切にし、
それを活かしていくことは、
私にとって、被災された方、亡くなられた方たちに対する、
最高の鎮魂の意の表わし方であり、お見舞いの思いです。

形はいろいろあっていいと思います。
被災地に身ひとつで飛んで行って行動でもって愛を示す、
自分のできる専門分野で貢献する、
身近なところでできることをする、・・・ 。

大切なのは何かを感じ取るということ、
それを行動に変えるということ、
そしてその思いと行動を、これからも継続して持ち続けるということです。

今日の産経新聞のコラムに、
被災体験の伝承は、明治時代から記録されているが、
その記録から明らかに分かる、
「地震即避難」という常識を妨げた原因がどこにあるのか、
それを探り、それを解消していかなければならない、
ということが書かれていました。

その時体験した思いは熱いものであったとしても、
その思いはいつか風化し、消え去っていきます。

そのためにも、思いを行動に変え、行動を習慣化し、
自らの生き方を変えていくしかありません。
思いを生き方にまで昇華させたなら、
それは決して風化することはありません。

震災を機に、自分に対してより正直に生きたいと感じたのと同様に、
震災から一年経った今、その思いを生き方に変え、
その体験を風化させないことが、
自分にできる最大のことだと感じるようになりました。

私はほぼ毎日このホームページを更新していますが、
一度書いた自分の文章は、ほとんど読み返すことはありません。
けれど今日は、過去の文章、
特に震災以降に書いたものを再び読み返し、
そこで感じたものを今一度確認し、
どんな些細なことでも、
何か形として日々の生き方を変えてこうと決意しました。

それができることであり、しなければならないことです。
そしてこれができたなら、
私にとって、またほとんどの日本人にとって非常に意味深いこの一年間を、
永遠の一年として、将来にわたって価値あるものにすることができます。


今日の広島は、市内でも時折雪がちらつき、
多くの人の悲しみを表すかのような寒い一日でした。
被災地東北も寒さが厳しかったようですね。

季節は必ず巡ってきます。
じっと耐える寒い冬があるからこそ、
緑が萌える暖かい春を迎えることができます。

目の前の春を迎えるにあたり、
冬の有り難さ、冬の恵みをしっかりと胸に刻み込みたいと思います。

冬の季節、冬の時代、それもまた素晴しいものです。



2012.3.11 Sunday  
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