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現代文明の危うさ

文明が発達してくると、
これまで考えられなかったようなことが実現可能になり、
それに伴って新たな問題が勃発し、
その段になって初めてそのことについて対処方法を考えるということがよくあります。

私たちは膨大な情報の海の中で暮らしていて、
その中にはプライバシーに関わる個人情報が大量に含まれています。

そんな個人情報を一元的に管理されるのを恐れ、
国民すべてをナンバリングして管理する国民総背番号制には、
多くの人が反対をしています。
  (それは当然メリットもあることです)

けれどもその恐ろしい個人情報の一元的管理というものが、
今、国家ではなく、まったくの伏兵として考えもしていなかった
一民間企業によってなされようとしています。


世界的大企業であるGoogleが、
明後日の3月1日プライバシーポリシーを変更し、
すべての無料Webサービスを統合し、
個人情報をまとめて管理するようになります。

G-mailを使っていれば、どこの誰にどんなメールを送り、受け取ったか、
アドレス帳にはどんな人が登録されているのか、
Google検索を使えば、どんな単語で検索し、そこからどんなページを見たのか、
またブラウザにGoogle Chromeを使っていれば、
閲覧したすべてのページ履歴が残ります。
Androidケイタイを使っていれば、送受信の履歴とともに、
位置情報も掴まれてしまいます。

さらにGoogleカレンダーを使っていれば、
そこにどんな予定を書込んでいるかまで ・・・ 、
もう考えていけばキリがありません。

これらの情報が将来的にどのように利用されるのか、
国家権力が、己の力の確保や治安維持という目的で
利用しないという保証はまったくありません。

逆にこれまでの流れから見て、
個人の幸せよりも、より大きな国家や組織の利権追求のために使われるだろうと
考える方が自然です。

利便性の高いインターネットサービスは、
きわめて甘美な蜜であると同時に、
知らない間に私たちの日々の生活や生き方を
恐ろしい方向へと導いていく危険性を秘めたものだということを自覚すべきです。

『寄りかからずに寄り添って』という名言があります。
人でもものでも、それに依存せず、
それとともに歩むというスタンスが望ましいのですが、
ネットの世界では、実際問題そうすることは非常に困難です。

人間の脳の延長線のような働きをするパソコン、インターネット網は、
日進月歩の進化を遂げ、
一度それに深く関わってしまうと、
もうそれなしでは仕事も日々の生活も営むことができなくなってしまいます。

便利で快適な社会が悪いわけではありませんが、
それのみを追求し、人間の欲望を肥大化させ、
その欲望をエネルギー源として
果てしない彼方へと突き進んでいこうとする資本主義は、
ひとつの生き物であり、
その行き着く先は人間の至福の境地とは異なります。

今その文明社会は崩壊の危機を迎えていますが、
それは人間の持つ最も尊い霊性の発する叫びだと思います。


肉体を持つ私たち人間、そして周りの植物も動物も、
大きな食物連鎖網というネットワークの中で、
命の交換、循環をしながら、互いの生命を支え合っています。

他の生き物の命をもらわなければならない生きていけない私たちは、
業の深い存在であり、
そこから何かを学びたい、感じ取りたいと願っているのだと思います。

ですから食べ物を口にする時には手を合わせ、
「いただきます」と感謝の言葉を唱えます。
  <いのちをいただく>


昨日ネットで背筋が凍るような写真を見ました。
ニワトリの肉を効率よく採取するため、
ニワトリの大脳皮質を切除し、植物状態にし、
その状態でチューブから栄養を送り、ローコストで鶏肉を生産しようというのです。



<脳死状態にしたニワトリに ・・・ >  <同 痛いニュース>

植物状態のニワトリがつり下げられています。



まともな神経を持っている人なら、これを見た第一印象として、
心地いいとか、画期的で素晴しいとは感じないでしょう。
たぶんなんらかの嫌悪感を持つはずです。

けれどそういった嫌悪感など、
今の社会システムの中ではまったく力を有しません。


この方法と従来の養鶏との間に、
倫理的に明確な区分をすることはできるでしょうか。

狭い鶏舎の中、一生ほとんど身動きできない中で暮らし、
日々配合飼料によって効率的に肥え太ることのみを求められる一生は、
この植物状態のニワトリよりも自然な状態であり、
ニワトリの持つ生命の尊厳を重んじるものだと言えるでしょうか。

たとえそれが平飼いのニワトリであっても、
最終的には殺すために飼っているという意味においては同様です。

決してこの方法がいいと言っているわけではないのですが、
自然や生命倫理というものはきわめて曖昧で難しい問題であり、
だからこそ明確に定義づけられる科学や文明観に押し切られ、
文明の進む方向に沿い、ひとつの極へと向かっていく危険性があります。

こういった植物状態のニワトリに心の奥で危険信号を発しても、
それを尊重していくシステムが、今の社会にはないのです。


ニワトリを育てるにあたり、
与えた飼料が無駄なくニワトリの肉になるようにと、
羽のないニワトリが開発されたそうです。



<世界初の羽の無い裸のニワトリが開発される!! コモンポスト>

これも誰が見ても違和感を感じるものでしょうが、
私たちの利便性、快適性、効率性を第一に尊重する社会では、
それがいかに不自然なものであったとしても、
こういった『効率の良いもの』が最終的に求められるのは、
絶対的な宿命です。

パソコン、インターネットの機能が飛躍的に進歩するのと同様に、
食の分野では『効率の良い』遺伝子組み換え食品や
こういったニワトリが求められるようになるのです。

これは今の社会においては逆らうことのできない流れです。

効率化は分業化を生みだします。
ニワトリを育てる鶏舎や、その調理場が壮絶な状態になっていたとしても、
それが一般の消費者の目に届くことはありません。

どんな鶏肉でも、清潔感あふれるスーパーマーケットで、
きれいな色の食品トレイに乗せられていたら、
誰もがそれを美味しそうに感じ、喜びを持って食卓の上に並べるのです。

私たちは日々膨大な情報を受け取りますが、
それらほとんどすべてが断片的な意図された事実であり、
最も大切な全体を見渡せるものはほとんどないのです。


私たち一人の力で社会を変えていくのは容易なことではありません。
また自分一人だけ、その社会の仕組みから離脱するのは難しいでしょう。

けれども最低限心がけていなければならないのは、
この一見何の問題点もないような社会が、どの様な仕組みで動かされていて、
そこにはどんな危険性をはらんでいるのか、
それを常に感じ取りながら生きていくということです。

膨大な情報の中、大きな流れに乗って行くだけで、
最も大切な物事を自ら判断することができなければ、
ただ搾取されるためだけに生きている、
まさに植物状態のニワトリと同じになってしまいます。


今の私の生活は、パソコンやインターネットなしでは考えられません。
けれどももしこれがなくなったらということは常に頭の中に置いています。
またそのためのひとつの方法として、
ツイッター、フェイスブック等SNSからは距離を置くことにしました。

インターネットを脳の外側に広がる延長線とするならば、
その対極となる内面世界を広げていくことしか、
インターネットを真に有効活用し、自分の中でバランスを取る方法はありません。

すべてのものをつなぐ内的世界は、
世界をつなぐインターネット網の比ではありません。

今はその真価に気づく時です。

2012.2.28 Tuesday  
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