ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 評価



ヨガナンダ



評価

今日はいつも懇意にしているソルトホームスクールのクリスマスパーティーがあり、
そのパティーの中のクイズコーナーで、
「奇跡とは何ですか?」という問いかけがあったので、
私はその場で躊躇することなく、
「それは生きていることです」と答えました。

このコーナーの第一文目の「最高の奇跡」でも書いているように、
私たちが日々生を営んでいること以上の奇跡はありません。

この素晴らしい精神と肉体を有し、
精妙深遠なる生命システムの上に成り立っている私たちの生、
その生命の力に本来限界などというものがあろうはずがありません。

限界は私たちの意識が勝手に作り上げたもの、
有限の肉体を持つ私たちは、
その目に見える有限な世界に翻弄され、
本来持っている生命の無限の力を見失っているのだと思います。


時代の大転換期を迎えた今、
様々な形で私たちの目の前にその奇跡の片鱗が見えてくるようになりました。
今は人間の可能性が大きく花開く時です。

そうなったからには、もうそれで心は解放され、
無限の可能性に向かって一直線 ・・・ といかないところが人間の弱いところです。
どんな奇跡や可能性を示されても、
ささいなことで心がくじけてしまうもの、
それもまた人間のひとつの姿です。


神因縁を持つ私の半生は、
奇跡的な出会いや導きの連続でした。
因果の法則や霊魂の存在、心がすべてを形創り、
自分の思いがすべての因であるということは、
人一倍深く実感できています。

実感できていても心には迷いや不安があり、
言葉では「生きていることこそ最高の奇跡」と言いながら、
それを生活の中で完全に体現できてはいない自分がいます。
“弱き者、汝の名は私” です。

けれど弱いからこそ、より深く信頼できるものを求め、
生命の本質を知ろうと努力します。

弱さは悪いことではありません。
弱さゆえにくじけ、本来の道を見失ってしまうことがよくないのです。


生きていることは日々葛藤の連続です。
それは己の弱さとの闘いでもあります。

自分がよかれと思ってしたことでも、
他人からいい評価を受けず、落ち込むことがあります。
自分の中に絶対的な価値観の基盤を置いているつもりでも、
他人の評価は気になるものです。

これはひとつのトレーニングですね。
最初から他人を気にせず、自分の価値観だけで行動できる人はなかなかいません。
また自己がしっかりと確立していない段階では、
自己を振り返るための周りの評価や意見はとても大切です。

唯我独尊にならず、どれだけ周りとの調和を保つのか、
周りの評価に振り回されず、自分というものをいかにしっかりと確立するのか、
このふたつは相反するようですが、
自分の中に生き方の基本となるものができていなければ、
このどちらをも守ることができません。

求められるのは、自己という芯はしっかりしていても、
周りと接する表面は柔らかでいる、
割り箸を包むように覆っている綿菓子のような形です。

表面の柔らかい綿菓子は、
周りから衝撃を受けてもそれを優しく受け止め、
硬い芯がぶれることはありません。
これが外柔内剛です。

この綿菓子の芯も柔らかいものだったら、
衝撃を受けるとすべてがぐちゃぐちゃになってしまいます。

またすべてが硬いものだったら、
全体に大きな衝撃が響いてしまいます。

表面が硬く、中が柔らかければ最悪です。
少しの衝撃で全体がどこかに吹き飛んでしまうでしょう。

武道の基本は上虚下実、
体の土台であり基盤となるのは下半身、
その中心である臍下丹田(へその少し下)には常に力を漲らせ、背筋を伸ばし、
上半身、肩や手足の力は抜き、
安定した基盤の上に自由に動く柔軟な四肢を据える、
これが最強の構えです。

上虚下実、内柔外剛、これが基本です。


私はエニアグラムのタイプ2、愛を与える人です。
無償の奉仕は大好きで苦になりませんが、
損得ではなく、他人の評価が気になるタイプです。

以前は他人のちょっとした一言で傷つき、クヨクヨし、
自分を見失ってしまうことがよくありました。

なぜ他人の言葉で心動かされるのか、
それは自己が確立されていないから、
周りの影響で自己評価がぐらつくからです。

自分の内面ではなく、
自分の外にあるものに自己評価の基準を置くからです。

自分が本当にいいと思える生き方をしていない、
自分が本当にいいと思えるものと出合っていない、
いいと思えるものの源を自分の内に置いていない、
今自分がしていることに自信が持てない、
こういったことが原因です。


そして自分に自信が持てたなら、
相手の言葉よりも自分の内面の感覚を一段上のものとして
見ることができるようになります。
これは相手を見下すというのとは異なります。

幼い子どもからいろんなことを言われても、
大人はそれを余裕を持って受け止めることができます。

何か嬉しいことがあって自分の気持ちが高まっている時は、
いつも気になって仕方がない他人の言動でも、
さらりと受け流すことができます。

こういったことが普段からできるようになるということ、
それが自信であり余裕であり、
自己を確立した芯の強い姿でもあります。


これは言葉で知り、頭で考えてできるものではありません。
自信や余裕、強い芯となるものは、
人生の経験を積む中で少しずつ培うものです。

私もこれまでの人生を振り返り、
自分を少しずつ変えていったものは何だろうと考えてみると、
まず頭に浮かぶのは、
日雇い人夫として辛かった土木作業に従事していた日々、
その余暇に自然を求めて行った山登り、
そして今現在行っている公衆トイレの清掃活動、
こういったひとつひとつの行動です。

セミナーや本で読んだこと、他人の言葉や心理ワークといったものは、
その行動があって、初めてその上に花開くものです。

生きている花は、
土という土台があり、根っこがあってこそ命を育むことができます。

快適な生活に慣れ親しんだ私たちは、
ついつい利便性、効率性、問の答ばかりを求めてしまいますが、
本当に大切なのは、普段は目に見えない土の中にあるものです。



人からいい評価を受けた時、
それに慢心することなく、それを励みとしていければいいでしょう。

また逆に悪い評価を受けた時、
それでたとえ落ち込んでも腐心することなく、
それを活かせる自分になることが大切です。


水の上を走るヨットは、
順風でも逆風でも前に進んでいくことができます。
  <ヨットはなぜ風上に進む?>

ヨットが目的地に向かって進んでいけるのは、
まずはその目的地がどこであるかを知ること、
順風でも逆風でも、それをヨットが進んでいく力にする技術があること、
風を受けるための柔軟な帆があり、
それを支える強靱なマストがあること。

これらはすべて人間の生き方に置き換えることができますね。

まず自分の人生に対する指針を持つこと、
それに向かって自信を持って進んでいくこと、行動すること、
日常の様々な出来事を行動の糧とする自分であることです。

自分の周りではどんなことが起きるか分かりません。
どんなことがあっても、それを自らが向上する糧にできる人が、
本当に強い人であり賢い人です。

そうなるために、本やセミナー、グッズなども役立つかもしれません。
けれどもそこから得た知識や技術だけでは人間は変わりません。
それらを利用して心を切り替え、
自ら方向を正しい行動できるようになるから変わるのです。


私の究極の目標は、時空の真理、生命の本質を知ることです。
それが目標であると同時に、
それを知り得るだけの自分になること、
知る(感じる)ことができるだけの行動を起こすことが目標です。

きわめて怠惰な性格の私にとって、
行動を起すというのは至難の業なのですが、
だからこそ目標として掲げる価値があり、
またその行動する意義というものも人一倍感じることができます。

生命の本質は、心を素直にしなければ見ることができません。
だから心磨きが大切であり、
そのための手段として、今は公衆トイレの便器を磨かせていただくことが、
最も有効な手段だと思えるからしているのです。

いつも言うように、私はトイレ掃除をボランティア精神でしているのではありません。
地域の人たちのためなどということは、これっぽっちも考えません。
ただ自分の心を変えたいからしている、それだけです。
これは大欲です。

こんなに素晴らしい心磨きの実践方法と出合えたことを、
最高に幸せなことだと心から感謝しています。

いいことが起こればそれは幸せなことです。
けれどその幸せは、土の表面から出た花や実りのようなもの、
その幸せの本質は、目に見えない土の中にあります。

その土の中をいかに充実させるのか、
そのことに意識を向けられる、そのための方法を知っている、
そのための実践ができる、
これが本当の幸せの本質です。


『身の回りのすべてのものは自らが創り出したものである』
これは絶対的真理です。
心に不安を感じた時は、どうかこのことを思い出してください。

すべては自分が創り出したものであるのですから、
どんな問題も、すべて自分の内面、行動を変えることで解決することができます。
外に原因を求めている限り、
永遠に問題解決することはありません。

そのことが深く得心でき、心に安心感が満たされるよう、
自ら行動を起してください。
行動こそが心の安定を支える根っこです。

その行動、自分にとってはどんな行動が最も相応しいのか、
そのことをしっかりと考えてみてください。
それが幸せの第一歩です。


心の内が幸せで満たされ、確立された自己を持っていたら、
心が揺らぐことはありません。
たとえどんなことがあったとしても、常に冷静さと安定を保つことができます。

時には周りと衝突しなければならない時もあるでしょう。
そんな時、自分の意見、立場、権利を守ることに主眼を置くと、
相手の反応に大きく心を揺さぶられることになります。

起きてきたことに必然性を感じ、
自分はどうすべきか、相手とどう対処すべきかに主眼を置くと、
たとえ結果として相手を非難することになったとしても、
それが自分にも相手にも幸せにつながる道だと確信でき、
心動かされることはありません。

世の中には腹立たしい人、憎むべき人はたくさんいます。
その人を好きになることはできなくても、
その人の心の奥底に、自分の心の中にもある光り輝く存在が必ずあるはずです。

それをほんの少しでも感じていられれば、
表面がどんな状態であるかは問題ないのです。


本でもネットでもセミナーでも、
素晴らしい英知と思える情報にあふれています。
その英知は、自らの行動のみでもって光り輝かすことができます。

実践こそが宝、思いはそれに向かって進む原動力、
知識はそれを動かす潤滑油、または先を照らす懐中電灯のようなものです。

とりとめのないことを書きましたが、
私の文章を、一滴の潤滑油にしていただければ幸いです。

小さな実践の一歩から (活学叢書)小さな実践の一歩から (活学叢書)
鍵山 秀三郎

致知出版社 2011-09-16
売り上げランキング : 86352

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2011.12.23 Friday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.