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永遠の文明を

ここ二年ぐらい前からミュージシャン志望の17歳、清水十輝くんと付き合っていて、
このホームページにもたびたび登場してもらっています。

彼はソルトホームスクールというところに暮らしていて、
  (みんなで引っ越しをする前は千代田ホームスクールでした)
クリスチャンの家族が何組か集まり、
共同生活をしながら、
子どもたちの教育もみんな自分たちホームの中で行っています。

初めてホームスクールを訪ねた時、
子どもたち全員がみなのびのびとしていて、
普通の日本の子どもたちとはまったく違った雰囲気を持っていることに
とても驚きました。

それはもう子どもたちを見た瞬間に感じられるもので、
体から発散する気がまるで違うのです。
子どもたちは幼い頃から英会話教育を受けているので、
その影響もあるのかもしれません。
まるでアメリカンスクールのような雰囲気でした。

やはり今の日本の学校教育は、子どもたちののびのびとした自主性を阻害し、
本来子どもたちが持っている可能性の芽を摘んでいるのではないでしょうか。
彼らを見てそのことを強く感じます。


清水十輝くんが熱心に音楽活動をしているので、
私もずいぶん刺激を受けています。
一緒に動画を作ったり、CDのジャケットを考えたり、
こんな曲がいいね、なんてことをよく話し合ったりしているのです。

十輝くんはギターを弾いて歌を歌いますが、
私も彼の年齢の頃は、ギターを弾き、音楽に夢中でした。
十輝くん17歳、私は51歳、ちょうどトリプルスコアーですので、
もう34年も前のことです。


今はコンパクトデジカメで動画を撮って、
それをYouTubeに簡単にアップできる時代です。
しかもパソコンとデジカメ、ネット回線さえあれば、
アップするのにお金はかかりません。

気になったミュージシャンがいれば、
YouTubeでいとも簡単に検索でき、視聴し、
自分のパソコンに取り込むことも可能です。

私が十輝くんの年齢の時は、キッスやエアロスミスが大好きで、
彼らが初来日した時は、わざわざ電車に乗って観に行きました。
その彼らが今でも現役で活動しているというのはすごいことです。

クイーンもまた人気がありました。
当時の名曲「Bohemian Rhapsody」を先日検索していたら、
Pinkが歌っている素晴らしい名演がありました。
音の万華鏡ともいえるこの名曲、Pinkのパワフルなボーカルにのせて、
まさに鳥肌もの、 ・・・ ここ一週間は毎日数回この動画を観ています。



こんな素晴らしいビデオクリップを自宅でタダで好きなように観られるなんて、
私がロックに狂っていた頃にはまったく考えられないことです。

最近の音楽環境は恵まれすぎています。
今のパソコン、ネット回線をタイムマシンに積み、
34年前の自分に見せたらどんな反応をするのだろう、
そんなことをいつも考えています。

当時は洋楽、特にロックはたまにFMで流れる程度で、
音楽雑誌に紹介されているグループの曲を聴きたいと思えば、
彼らのレコードを二千数百円出して買うしか方法はありませんでした。

レコードはCDと違って少しずつ傷が付く消耗品ですので、
友だち同士貸し借りすることもままなりません。

あの頃一度だけキッスのコンサートの模様がテレビ(たぶんNHK)で
放送されたことがあります。
土曜の午後だったと記憶していますが、学校から急いで帰り、
テレビとラジカセ(あの当時はビデオデッキは普及していませんでした)をつなぎ、
カセットテープに音だけを録音し、それを宝物のようにしていました。

こんな話をしているとキリがないのですが、
34年という歳月を経たテクノロジーとメディアの進歩は、
まったく隔世の感といった趣です。


で、何が言いたいかと言うと、
当時の私たちと今の子どもたち、
テクノロジーから受ける恩恵の量は圧倒的に変化していても、
そこから受ける喜びの量は、今も昔も変わらないということです。

このことはこれまで何度も書いてきたことであり、
普通の人にとってはきわめて『当たり前』のことなのですが、
私はたまたま若い十輝くんと付き合い、
彼を見て昔の自分の姿を思い出し、
この『当たり前』のことを最近より一層強く感じるようになりました。

高度に発達したテクノロジーの恩恵を当然のことのように享受し、
そのテクノロジーという物質文明がどんどん発達していっても、
その『当たり前』という基準もそれにつられて高くなり、
いつまでたっても喜びの総量が増えこない、
これはどう考えても異常です。

まるでブレーキのない車のアクセルペダルを踏み続けているようなものです。

人類は物質文明という巨大な建物を作り、
その階段を一歩ずつ上に向かって昇ってきました。
上に昇りつつある時には喜びを感じるものの、
いったん上にたどり着いてしまうとそれが『当たり前』になり、
まったく何の感慨もわいてこなくなります。

しかも下の方の階段にいる時には、
そこにいること自体に喜びを感じ取れたものが、
今は上の段に行くにしたがって、常に上に向かわなければ
自分は不幸だと思い込んでしまうようになりました。

しかも建物は高く築けば築くほど、
それを維持するために大量の資源とエネルギーを必要とするようになり、
その建物の土台となる環境は荒れ果ててしまっています。


「○○は麻薬のようだ」という表現がありますが、
文明もまさに麻薬のようなものでしょう、
習慣性が付き、より高度なものが得なければ満足できず、
何かのトラブルでそれが維持できなくなった時、
激しい禁断症状に苦しめられることになります。

麻薬常習者がその苦しみから逃れるのは容易なことではありませんが、
どんなに苦しくても、一度はそれを断ち切ることを決意しなければなりません。


私の考えていることは、世間一般からは突飛なものだと思われるからしれませんが、
自分としては至極まともで常識的な考え方であると信じています。

スピリチュアル夜話もこれで231ページ目になりますが、
その第1ページ目「最高の奇跡」に書いている、
私たちの体内やこの時空すべてを支配している生命システムほど偉大なものはなく、
それと比べると現実社会で起こっているトラブルなど、
ほんのささいな問題であるということ、
これが私の発想の原点です。

文明は私たちの肉体生命を維持するための土台であったとしても、
永遠不滅な存在としての生命を維持する根本ではありません。
本来生命とはきわめて偉大なものであり、
それと比べると人間が創り出してきた文明など取るに足らない存在です。

私たちが創った文明の問題点など、
偉大な生命の結晶体である人間がその真価を発揮したならば、
容易に解決できるはずです。

そうでなければ、この宇宙に素晴らしい知性を持った人類が誕生し、
日々生を営んでいるというこの事実を、私は納得することができません。


私たちの魂は永遠であり、
すべての生命は永遠不滅のものです。

けれども私たちの文明を支えている地球上の資源やエネルギーは、
エントロピーの法則に支配された有限のものです。
人類が環境破壊への歩みを緩め、自然と共生する文明を築き上げたなら、
緑豊かな大地や美しい海や河川を取り戻すことは可能です。
しかし枯渇しかけている化石燃料を再び増やすことはできません。

何千年、何万年というサイクルでは化石燃料も蓄積されていくでしょうが、
ほんの少しでも資源やエネルギーに依存した生き方をしている限り、
その資源枯渇という結末を変えることは不可能です。

命あるものは、他の命あるものの命を摂取しなければ、
その命を維持することができないという原則と同じく、
私たちはエントロピーの法則に支配され、
常にエントロピーという乱雑さは増大する一方であり、
最終的にはエントロピーは極大にまで達し、
資源やエネルギーとして活用できるものは皆無となるというのが、
この地上における絶対原則です。

これは地上における絶対原則ではあっても、
永遠不滅の生命という観点から見ると、
これが絶対であるはずがありません。

これが絶対であるかのように思えるのは、
私たちの文明や科学そのものに致命的な欠陥があり、
まだその本質に気づくことができず、
大きく飛躍できる余地を残していることの証だと信じています。

エントロピーの法則では、
時間の経過とともにエントロピーは必ず増大していくものですが、
多くの人が気づき始めている「時間は一元的なものではない」という新しい時空観を、
私たちの共通認識として持つことができたなら、
それだけでもエントロピーの法則を崩す大きなキッカケになるかもしれません。


身の回りで起こってくる物事そのものに価値はありません。
価値は自らが付けていくものです。

地球環境が破壊されつくし、未曾有の災害が多発してくるようになった、
この事実にどのような価値を付けるかは私たち自身の意志と行動、判断です。

私たち人類はもう後戻りできない時に来ています。
我々に今求められているのは、
小手先の技術で今の繁栄した物質文明を維持することではなく、
誰しもが持つ魂の永遠性に目覚め、
それに基づいた新たな精神文明を築き上げること、
物質依存型の文明から脱却すべく、まずその一歩を踏み出すことです。

そのために、急に山にこもった仙人のような暮らしをしなければ
ならないということはありません。
身近なできるところから、ガラクタを処分し、感情を手放したり、
そんなひとつひとつの小さな行いが何より大切です。

厳密に言うならば、今の物質文明の状態のままで、
持続可能型の文明社会を築いていくのは不可能なのですが、
それでもできることを少しずつ、
その思いが大きな力を生み出す原動力となります。

電力消費抑制の動きを受けて、
扇風機や日差しを遮るためのツル植物がよく売れているそうです。
自ら率先し、他人への思いやりを行動として表せる、
日本人は本当に素晴らしい精神性を持っています。
やはり人類がこの物質依存型の文明から脱却するには、
そのひな形としての日本人の存在は欠かせないでしょう。


今は変革を行うため、
生命リズムを持つ歴史という時代の流れは、大きな力を私たちに与えてくれています。

その力に乗っていけば、
人類始まって以来といえるような大きな価値観の転換も可能です。
本当の意味での持続可能な永遠の文明を築き上げること、
それがアセンション、次元上昇です。

そのために、まずは私たちのできるところから第一歩を。
明るい未来はもうまもなく開けます。

2011.5.29 Sunday  
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