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ヨガナンダ



現実感

被災地から遠く離れた広島は、余震もなく、放射能の恐怖もなく、
スーパーには震災以前と変わらぬ豊富な食料品が並び、
一見これまでと同じような日常の風景が流れています。

けれども震災の影響は少しずつ現われていて、
自動車メーカーのマツダは、各工場で操業と休止を繰り返しています。
知り合いの設備工事をする友人は、
仕事を受注しても、工事用の資材がすべて被災地に送られてしまい在庫がなく、
仕事をすることができない状態だと嘆いていました。
JRも定期交換が必要な列車の保安部品が手に入らず、
来月4月2日から、ラッシュ時以外の在来線は間引き運行します。

それでも被災地や、停電、節電を強いられている関東地方の方たちと比べると、
はるかに影響は少ないでしょう。


被災地の方たちの日常はどんな様子なんだろう、
家や家族を失った被災者の方たちは、
今どんな気持ちで避難場所で過しておられるのだろう、
それはここ広島の暖房の効いた部屋からでは、
到底理解することはできません。

今日、陸前高田市に震災直後から緊急医療スタッフとして派遣された
看護師の方のブログを読み、
被災地の方々が、いかに物心両面で深い傷を負っておられるのかということを、
ほんの少しだけ知ることができました。
  <JKTS 被災地へ医療スタッフとして行ってきました> ・・・ 是非読んでください。

けれどもそれを読んで一番よく分かったのは、
被災地の実情ではなく、
やはり被災地の方の苦しみは、
ここにいてはまったく理解できないだろうということです。


マスメディアの報道には自主規制が引かれているのか、
被災地の苦しい実情が、今ひとつ現実感をもって伝わってきません。
遺体を写すことはこれまでもタブーでしたが、
自衛隊の活動を肯定的に紹介することも同じくタブーなのでしょう。
報道される被災地の様子は、何か通り一遍の絵画のように感じられます。

海外メディアのサイトを見る方が、
よりリアリティーをもって被災地の様子が分かります。
  (一部遺体の写真が掲載されています。 カレイドスコープより)
japan earthquake and tsunami 2011 relief
SNIPPITS and SNAPPITS A PRAYER FOR THE DEAD ON THE GROUND IN BLIGHTED JAPAN
http://snippits-and-slappits.blogspot.com/2011/03/prayer-for-dead-on-ground-in-blighted.html
Japan 8.8 earthquake & Tsunami


今から16年前、東京で地下鉄サリン事件が起こり、
13名の方が命を落とし、6300名の方が負傷しました。
その事件発生直後の現場に、たまたま作家の辺見庸が居合わせ、
彼はエッセーの中で、
地下鉄へ続く階段に多くの人が倒れ、それを尻目に大股を広げて彼らを乗り越え、
自分の会社に向かおうとする会社員たち、
倒れた人が運ばれる担架に向かって
「なにがあったんですか!」と大声で叫びインタビューするマスコミに奇異なものを感じたと
書いていました。

非日常の中の日常ほど異様なものはありません。


震災から明日で二十日になります。
被災地は少しずつ響く復旧の足音とともに、
たぶん被災し、避難されている方たちのストレスは高まり、
より極限状態に近くなっているのではないかと思われます。

家や家族、様々なものを失い、
さらには原発事故による目に見えない放射能の恐怖にまで
さらされているのですから、
その不安たるや想像に余りあるものです。

けれどもここ広島にいては、
被災者の方たちの恐怖や不安というものは
まったく実感として感じることができません。
広島の日常は、その不安を暗に打ち消そうとでもしているかのように、
なまぬるい時が流れています。

日本という狭い国土の国に住みながら、
まるでパラレルワールド(平行世界)であるかのような、
その現実感のなさに、底知れぬ深い恐怖を感じます。


震災が起こった11日から日本の歴史は変わりました。
いよいよ時が来た、そう感じた私は、
これまで学んだものを活かすべく身を引き締め、
今まで以上に快活に振る舞っています。

けれども心の中にはやはり不安があります。
その不安とは、これから自分にも大きな災害が降りかかってくるのではないかという
生活や生命に対するものではなく、
こんな事態になっても、災害はあたかも報道の中だけの世界であるかのように、
これまでの日常を維持しようとする社会、
そしてその中にどっぷり浸かり、
同じように感度の鈍くなっている自分自身に対する不安です。

いくら被災地という現実を、
自分の外であるテレビやインターネットの画面を通して眺めても、
そこに本当の姿を見ることはできません。

真の現実の世界を見るためには、
やはり自分の内を見るしかないのです。


震災が起こり日本の歴史が変わっても、
自分自身に求められるものは何ひとつ変わっていません。
これまでと同じことを、より強く求められるようになっただけです。

仮想現実(バーチャル・リアリティー)に慣らされている私たちにとって、
様々なメディアを通してみる外の世界よりも、
今見つめなければならないのは自分の内なる世界です。

これは今までもそうであり、
震災を機により強く感じるようになりました。

今は非常時であり、現実問題として緊急対応が迫られている現状から見て、
これは非現実的なことのように思われますが、
私たちは今こそ自分の内なる世界を見つめ、
生き方を変えていかなければなりません。


今現実として大きな災害が起こり、
それを現実感をもって受け止めることができずに不安を感じる自分というのは、
たぶん内なる変化が、外なる変化に追いついていないのだろうと思われます。

自分の身の回りのものは、すべて自分が創造したものである。
自分が変われば、周りの世界も変わる。

このこれまで信条としてきたものが、
今は本当に心に刻み込まれたものであるかどうか試され、
より深く心に染み込ますことを求められています。


自分にとっての真実、現実は、やはり自分の心の内にしかないのです。

2011.3.30 Wednesday  
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