心の音
広島でいろんな活動をしていると、
平和や原爆という言葉が水や空気のように日常に溶け込み、
それだけではなかなか心動かされることがなくなってしまいます。

けれど時折何かのタイミングを得て、
それまでの意識が変わり、心に深く響いてくることがあります。


今日は知り合いに誘われて被爆ピアノのディナーショーに行きました。
被爆ピアノとは、被爆地広島で原爆の爆風や猛火をかいくぐり、
今も残り、音楽を奏でることのできるピアノのことです。

その被爆ピアノを多数所有し、
全国、全世界で被爆ピアノコンサートを企画している調律師の矢川光則さんは
個人的によく知っていて、
被爆ピアノのコンサートもこれまで何度も聴きに行ったことがあったのですが、
残念ながら、それで特別何か大きな感動を得るということはありませんでした。

被爆ピアノだからといって特別な音を奏でるわけではありません。
純粋に音色の魅力だけで考えたなら、
普通のピアノの方が勝っているのは当然のことです。
要はそれにどんな思い入れを持って聴くかということです。


ホテルの中の、普段は結婚式の行われているきれいな会場に入り、
舞台のすぐ目の前の丸テーブルに腰を下ろしました。

八人掛けのテーブルは、我々の一行五名他、
他の三人の方が座っておられましたが、
その方たちも以前からよく知っているトイレ掃除の関係の仲間とそのお連れさんだったので、
コンサートのはじまる前の美味しいコースディナーを、
楽しい歓談とともに味わうことができました。

話題の中心となったのは、
なぜか7月21日に行われる宮島トイレ掃除の会や南インドのこと、
そして話の流れで、本当に実現するかどうかは分かりませんが、
隣の席に座った二十歳のお嬢さんが、
私と一緒に南インドに行きたいということになってしまいました。

いろんなことが頭の中を駆け巡り、
両隣の女性たちからビールをたくさん注いでいただき、
コンサートがはじまる前に、気分はもう絶好調です。


被爆ピアノを演奏される向井理佐美さん、ソプラノの工西美穂さん、
二人が演奏され、歌われる曲は、
ほとんどが馴染みのあるものばかりでした。

向井理佐美さん、工西美穂さん

何曲目かに演奏されたのがショパンのノクターン20番「遺作」、
そして同じくショパンの幻想即興曲、
この二曲は、家ではいつもフジ子・ヘミングの演奏で聴いています。





目を閉じて音に耳を傾けると、
演奏は流麗でとてもお上手なのですが、
ピアノ自体の音色は、CDで聴くのと比べ、
少し乾いて薄っぺらなように感じられます。

けれどもその時に頭の中に湧き上がってきたのは、
楽器の音色は音楽の本質とはまったく関係がない、
ただそれを伝える手段に過ぎないということです。

67年前の原爆によって焼け野原になった広島で生き残り、
これまで命を長らえてきた被爆ピアノ、
その音色が理想のものでないとしても、
それが一体どれほどの意味があるというのでしょうか。

音楽の本質とは何なのか、
自分はこれまで音楽を聴く時に、
何を最も大切なだと感じ、心傾けてきたのか、
乾いたピアノの音を聴きながら、ずっと自問自答していました。

そしてそのピアノの音の奥に秘められた音楽の魅力に
少しずつ引き込まれていき、
多少の酔いも手伝って、自然と涙が頬を伝わっていきました。

それはそのピアノが被爆という特別な体験をしたからではなく、
ひとつの大きな欠点を抱えながらも、
それに囚われることなく懸命に使命を全うするその姿に心打たれたからです。
またそれがゆえ、これまで感じなかった音楽の深い部分に意識が入っていったからです。


コンサートの最後の方で、
有名な名曲プッチーニの「私のお父さん」を聴かせていただきました。

この曲は、若いお嬢さんがお父さんに対し、
愛する人との結婚の許しを請う姿を歌ったものです。
そんな解説を歌がはじまる前にしてくださいました。。



これを聴きながらまたまた涙です。

南インドのホームには可愛い女の子たちがたくさんいます。
そしてみな一様に輝く素敵な笑顔を讃えています。

けれどインドは現実社会の中に、
今も路上で生活する子どもたちや、
ある年齢になると乞食にするため意図的に不具者にされたり、
少女売春のため人身売買される子どもたちもいます。

貧しい彼女たちが結婚する時は、
どれだけの人が祝福してくれるのでしょうか。
結婚に際するセレモニーは、どういったものなのでしょう。

たとえそれが物質的に恵まれたものでなかったとしても、
それがイコール不幸せだと言い切ることができるのでしょうか。

そんなことを思いながら、
これまで音がどう、楽器の音色がどう、
また歌劇の曲はやはりオーケストラをバックで演奏されるのか望ましいとか、
そんな価値観の中で生きてきたことが実に馬鹿らしいもののように思えてきたのです。


音楽の本質は、聞えてくる音質や楽器の音色、
あるいは演奏者の技量ではなく、
演奏者がどのような思いを伝えているのかということです。

もっと言うならば、本当はそれすらも関係ありません。
すべての音は自分の中にあり、
自分がいいと感じるかどうか、それだけであり、それがすべてです。

聴覚には己の内側に向けられた骨導聴覚があるという事実は、
『己の内に耳を澄ませ』というメッセージを伝えているのだと考えます。


いつもこのホームページに書いている、
『すべての価値の主体は自分の中にあり、
 物事の価値はすべて自分自身が判断するものである』
ということを、被爆ピアノをキッカケに、
音で再認識させてもらいました。


それと今日このようなことを感じたのには、
もうひとつ理由があります。

半年ほど前から家にステレオを置くようになり、
ローゼンクランツの製品テストレポートを書かせていただいていますが、
それも少しずつ佳境に入り、
今日ローゼンクランツから届いたケーブル類の中には、
ピンケーブルで30万円弱、スピーカーケーブルで40万円弱という
とてつもなく高価なものが含まれていました。

これまで使ったことのないハイエンド製品を目の前にして、
いい音とは何か、いい音を求める意味とは何なのかということを考え続けていたのです。


コンサートが終わり、みんなで二次会に行き、
帰り道、心地よい気分で自転車を走らせていると、
ローゼンクランツの貝崎さんから電話が入りました。

「送ったケーブル類は届いた?」
明るい声のその問いかけに、
今日被爆ピアノで感じたことを正直に話させてもらいました、
すると貝崎さんは躊躇することなく、
「そうやね〜、本当の音楽はその人の心の中にあるもんだからね〜」
という言葉を返してくださいました。

さすがは世界一のオーディオ職人、
こんな心意気があるからこそ、人の真似のできない素晴しい製品を
次々と世に送り出すことができるのですね。


音楽はその人の心の中にある、
音もその人の心で聴くものである、
これが音と音楽の本質です。

このことを胸に置き、
これからも音と音楽に関わっていきます。

フジ子・ヘミング こころの軌跡フジ子・ヘミング こころの軌跡
フジ子・ヘミング

ビクターエンタテインメント 2007-12-19
売り上げランキング : 12447

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

トロイカトロイカ
フジ子・ヘミング

ユニバーサル ミュージック クラシック 2003-05-21
売り上げランキング : 16886

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2012.5.30 Tuesday  



ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ