深遠なるデジタルオーディオ<2>
デジタルとは、量やその変化を不連続な数値として表すものてす。

デジタルという言葉には近代的な響きがありますが、
情報伝達の手段として太古から用いられている文字はデジタルであり、
その考え方は特に目新しいものではありません。

デジタルの特長として、一定量の数値で値を示すことができるため、
保存しやすく、またコピーすることも容易で、コピーしても劣化することがありません。
近年電子機器の発展により、単位時間あたりに扱える数値の量が飛躍的に増加し、
デジタルの長所がより活かせるようになり、
オーディオの世界に限らず、すべての分野でデジタルが脚光を浴びるようになったのです。

デジタルが不連続な値で示される
連続的なアナログ信号の近似値だから、
アナログよりも劣っているということはありません。

私たちが瞬間的に五感で捉えられる情報量は限られています。
その限界以上の情報量をデジタルで表すことができたなら、
アナログである現実世界とデジタルとの差は、感覚的には無きに等しいものとなります。

連続的なアナログだから、ミクロの情報が正確に記録できるとは限りません。
オーディオでいえば、レコードやカセットの弱小音はノイズに埋もれ、
聴き取ることができなくなるというのはよくあることです。
カメラの世界でも、フィルムが光を捉えるのはそこに塗布された粒子なのですから、
その連続性には自ずから限界があります。

デジタルはその伝達フォーマットによって情報伝達量に限界があるのと同じように、
レコード、カセット、フィルム、そういったアナログ媒体にも、
また収められる情報量に限りがあるのです。


けれども私たちが求めている情報とは、
そういった目や耳で感じ、数値として表すことのできる情報だけではないのかもしれません。

オーディオの世界は、アナログからデジタルへとその主流が移ることにより、
扱われる情報量は向上し、ワイドレンジ、高解像度、低ノイズな音楽を、
ごく安価な機器でも楽しむことができるようになりました。

しかし残念ながら、
それが音楽の感動に直結するかというと必ずしもそうではありません。
「情報量」という面からすると現代オーディオよりもはるかに劣っている
大昔のSPレコードやヴィンテージオーディオと呼ばれる往年の銘機から流れる音楽に、
心震わせる人たちが今も少なからずおられます。

その事実から考えられるのは、私たちが真に求めている「情報」というものが、
数値や表面的な感覚では捉えることのできない、
またデジタルやアナログといった方式をも超えた
別の次元に存在するのではないかということです。

前項でデジタルオーディオの情報伝送方法は、
生命情報のそれと相似であるということを書きました。

やはり音というのは生命という観点から見てひとつの究極の世界です。
その中における真理を追い求めるには、
生命というものをより深く知る必要があります。


ワトソンとクリック、二人の学者が遺伝子DNAの
二重らせん構造を発見したのが1953年、
それから50年以上の時が経ち、今は遺伝子の総体であるゲノムのほぼ全容が
明らかになるようになりました。



DNAは「生命の設計図」と呼ばれ、
そこに示されている四つの塩基による組み合わせ情報を知ることは、
生命のすべてを知ることにつながると私たちは考えるようになり、
産学、国家、すべての総力を挙げてその全容解明に力を注いでいます。


私たちの持つ三大欲求は、食欲、睡眠欲、性欲とされています。
前者ふたつの食欲と睡眠欲は、個体としての生命を維持するためのもの、
そして性欲は、種を存続させていくために欠かすことのできない欲求です。

私たちの本能に基づく欲求は、
つきつめれば自らの生存と種としての繁殖を目的としたものです。
そんな中で、人や動物は自らの生存の危機を招くことになっても、
種(たとえば我が子)の存続を行動として選択することがあります。

働きバチは、自らは生殖活動に関わることがなくても、
懸命に女王バチの世話を続けます。
鮭は産卵のために命懸けで川を遡上し、
カマキリのオスは、産卵を助けるために自らの命をメスの餌として捧げます。

これは個体レベルとしては利他的行動ではありますが、
遺伝子を将来的に残していくという意味においては、
遺伝子レベルでの利己的行動と取ることができます。

こういった考え方から、リチャード・ドーキンスという学者が、
『生物の主体は遺伝子で、遺伝子が自らを生き延びさせるために、
 個体という乗り物を利用している』
という説を発表しました。
  <利己的遺伝子 - Wikipedia>

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こういったことを知るにつれ、
私たち生物がそのすべての力を注いで守り、存続していこうとする遺伝子の情報は、
きわめて大切なものであると感じるようになりました。

しかしそれと同時に、
私たち人間の持つ遺伝子の総体であるゲノムの情報は、
たかだか30億個の塩基対であり、
たったそれだけでこの深遠なる生命の本質が記録できるのだろうかという
疑問を持つようになりました。

塩基はTCGAという四種類のデジタル情報であり、
この四種類の組み合わせが30億個というのは、
偉大なる生命の姿と比較してあまりにも矮小過ぎるのではないでしょうか。


この疑問を長年抱き続けてきて、
ある時、解剖学者として有名な養老孟司先生の著書と出合い、
この疑問に対する大きなヒントをいただきました。

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そこにはドーキンスの説には大きな見落としがあるということが書かれています。

簡単に述べると、遺伝子には、何種類かのタンパク質を作ったり、
それを合成するという情報は記されていますが、
実際にその相互作用をするための情報は示されておらず、
その働きは、遺伝子が働く場としての細胞というシステムが担っており、
遺伝子情報は、細胞というシステムがあってはじめて有効に働くものだというのです。

生物の進化の過程で継承されてきているのは遺伝子だけではなく、
細胞というシステムもまた一度も滅びることなく継承されてきているのです。


この事実が示すものはきわめて重要です。
これをもっと分かりやすく別の例えで解説してみましょう。

江戸時代から続く老舗の鰻屋さんで、
開業当時から受け継がれてきた秘伝のたれが入った壺に、
少しずつ材料を継ぎ足しながら使い続けているというような話をよく聞きます。

熟成されたたれの中に、醤油、みりん、砂糖、お酒などの材料を少しずつ加えることで、
当初からの旨味を損なうことなく、いつまでもその味を保つことができるのです。

そのたれの入った壺の中には、たぶん熟成された旨味成分が、
発酵菌という形でシステム(生態系)を形成しているのでしょう。
だからこそそこに新たな材料という情報が入ってきても、
それを活かしていくことができるのです。

この壺というシステムなしで、
ただ新しい材料という情報だけでは、本当の美味しさを引き出すことはできません。


私たち人間でも同じです。
システムとは私たちの肉体、または私たちの感受性そのものです。
私たちは日々外部から膨大な情報を受け取りますが、
まったく同じ情報を受け取った場合でも、
人によってその受け取り方は様々です。

同じものを見聞きしても、
それを大いなる喜びでもって受け取る人もいれば、
怒りを爆発させる人もいるでしょう。

生まれた頃から同じようなものを食べたり飲んだりして育った子どもでも、
成長するにつれ個性が芽生え、
男の子はより男の子らしく、女の子はより女の子らしく成長していきます。
これがシステムというものの特質です。


この情報とシステムの関係は、
生命の基本構造となるものですので、
この時空にあるすべてのものになぞらえて、無数のたとえ話で語ることができます。

情報とシステムは陰陽の関係です。
情報は目に見える陽であり、物質であり、
DNAの構造が示すように不連続なデジタルです。

それに対してシステムは陰であり、精神であり、
定量化しにくい連続的、アナログ的要素の強いものです。


物質中心で情報過多の世界に暮らす私たちは、
これまであまりにも情報という面にばかり意識の焦点を置きすぎ、
その根底にある “場” とでも呼ぶべきシステムを、
なおざりにし過ぎてきました。

子どもたちの教育を例にすると分かりやすいでしょう。
子どもの教育というと、
すぐにいろんな知識を詰め込む学力重視の考え方が頭に浮かびます。
これまでの私たちは、子どもたちの成長の度合を、
学力という情報量でしか測る尺度を持ち合わせていなかったのです。

けれども教育を情報とシステムという考え方で見てみると、
これまでの子どもたちは、情報のみを唯一の価値あるものとされ、
小さなうちから夜遅くまで塾に通い、少しでも高い学力をつけることを目標とし、
本来それと対となるべきはずの社会性や道徳観の育成といったもの(システム)が、
単なる添え物として扱われてきました。

そういった教育を受けた子どもたちが大人になり、社会を形成するとどうなるのでしょう。
それはここで語るまでもないことです。


陰陽の理合いで考えたならば、
システムと情報は、互いに対等なバランスで成り立つ陰陽の関係です。
これまでの時代は西洋を中心とした物質文明であり、
これからは東洋の英知を活かしていく精神の時代となります。

これまでは情報のみに重きを置いていたものが、
その弊害を是正すべく、
これからは少しずつその根底にあるシステムというものに注目が集まっていくでしょう。
また意識してそうしていかなければなりません。


オーディオの世界に話を戻しますが、
最高に調整されたデジタルオーディオからは、
アナログに負けない素晴らしい音楽が流れるという事実があります。
最高に調整されたデジタルオーディオとは、
オーディオにとっての最高のシステムということです。

このことから考えられるのは、
デジタルやアナログという情報の違いよりも、
それを活かすためのシステムの状態がより大切ではないのかということです。

システムとは、単なる機器のことではありません。
陰陽は、陰、陽、それぞれの中にもまた陰陽があり、
この入れ子細工のような関係は永遠に続いていきます。

機器の中におけるシステムとは、
それらの機器を最高の条件で活かすためのセッティングであり、
使いこなしといったノウハウに相当します。

オーディオの世界では、
それぞれの機器の物理的性能という「情報」を向上させることには熱心でも、
まだその情報を活かすためのシステムというノウハウが広く行き渡っていません。

特にデジタルの分野では歴史が浅い分その傾向が顕著であり、
それがデジタルオーディオは音楽の深い感動を伝えることができないといった
評価を生んだのではないかと考えられます。

情報の特質は、遺伝子DNAのようにデジタルです。
ですから、
「音楽の滑らかな表現や深みは、不連続情報であるデジタルでは伝えることができない」
という考えは誤りです。


デジタル、アナログ、それぞれに特質がありよさがあり、
だからこそこの時空で最も尊い生命の実相の中に、
両方の特性が活かされているのです。

オーディオというところから話が広がってしまいましたが、
やはり音というものは、
それだけ生命に直結した素晴らしい力を持っているのです。

素晴らしい音は人を変え、生命をも賦活する力を持っています。
そしてそれを追い求める過程で、様々な生命の実相と触れ合うことができます。

そこから感じたものを、生きるすべてのものの中に活かしていければ最高ですね。
デジタルオーディオは、そのための素晴らしい入り口となるものです。

2011.11.6 Sunday  



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