魂の歌
今から二十数年前、まだ学生だった頃、五木寛之の書いた海を見ていたジョニーという
小説と出会いました。

沖縄のジャズクラブでピアノを奏でる黒人兵ジョニー、
彼はベトナム戦争へ出兵し、その後久し振りにジャズクラブを訪れ、
昔のようにピアノの鍵盤に向かいます。

「マスター、おれの弾くジャズはどうだい」
「昔と変わらないよ、最高だよ・・・」
「本当に俺の弾くジャズがいいと思うのかい。
 俺はベトナムでたくさんの人間を殺してきたんだ。
 本当にそんな俺の弾くジャズに人の心を打つ力があるのかい。
 人殺しのような奴でもジャズで人を感動させることができるのかい。
 俺の求めてきたジャズって、音楽ってなんだったんだ・・・」 (詳細不詳)

音楽はそれを演奏する演奏者の技量だけではなく、
演奏者の人柄、生き様をも表現してしまいます。
それは間違いのない事実でしょう。
では音楽の中に、どの様な形で演奏者の人柄、生き様が表れるのでしょうか。

「海を見ていたジョニー」を読んで以来二十数年間、
その問いを持ち続けていますが、いまだ解答は得られていません。
もしかしたら死ぬまで分からないかもしれません。
また、もし解答が得られたとしても、
それを言葉という形で表現することはたぶん不可能だと思います。


新垣勉の歌を初めて聴いた時、その張りのある豊かな歌声の裏にひそむ
すべてを許し、慈しむような彼の大きな愛を感じ、一聴して心引きつけられました。

出逢い 〜我が心の歌〜
出逢い 〜我が心の歌〜
新垣勉, 小椋佳, 宮下博次, 吉川安一, 普久原恒勇, 淡海悟郎, 寺山修司, 加藤ヒロシ,
上柴はじめ, 小平なほみ

さとうきび畑
さとうきび畑
新垣勉, ジョルダーニ, ヘンデル, マロット, 平井康三郎, 北島尚彦, フランク

彼が歌うと、これまで聴き慣れていた曲すべてが新しく聴こえます。
その歌の持つ本当のメッセージを引き出し、
すべてを愛のあふれた歓びの歌に変えてしまうのです。

全盲である新垣勉、彼のこれまでの壮絶な人生、そしてその果てに到達した愛の世界、
そんな彼の生き様が彼の歌にはあますことなく表現されています。

    <新垣勉プロフィール> ← 是非お読みください。

荘厳なスケールと響きで、深遠なる生の歓びをを表現しているという点では、
彼の歌はすべてがバッハの教会音楽のようです。

また歌声から生き様がにじみ出てくるということでは、
美空ひばりと共通するものがあるかもしれません。

そして大きな苦しみを経験した末に達した諦観(ていかん)の境地、
そこから生まれた深く静かで絶対的な愛を感じさせるという点では、
フジ子・ヘミングのピアノの世界と共通したものがあります。


キリスト教の牧師でもある新垣勉は、全国の学校や教会、老人ホーム、
さまざまな施設でコンサートを開いているそうです。

小中学生は勿論、はじめはいきがって騒いでいた茶髪の高校生たちまで、
やがて身を乗り出して食い入るように彼の歌に聴き惚れ、
その話に耳を傾けるのである。
そしてコンサートが終わるや彼らは競って新垣さんに握手を求め、
さらに自分たちの不満や悩みをぶちまけた。
                                (さとうきび畑 ライナーノーツより)


本当に素晴らしい音楽からのメッセージは、
人はみな本能的に感じ取ることができるのでしょう。


  〜 『音楽の中に、どの様な形で演奏者の人柄、生き様が表れるのか』 〜

新垣勉の素晴らしい歌声を聴けば、誰しもが
彼の愛があふれる生き様を感じ取り、
生きるということがいかに歓びに満ちたものなのか、
大いなる感動とともに知ることができるでしょう。

新垣勉は、歌声を通して愛を伝える伝道者です。
しかし彼は私たちを直接的に励ましたり、勇気づけたりはしません。
大いなる苦しみの果てに見つけた生の輝き、
それがいかに美しく素晴らしいものなのか、
彼は、自分の生き様と歌声を通し、ただそれを私たちに伝えてくれているだけなのです。




ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ