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継続と時間

セドナメソッドの解放のテクニックはきわめてシンプルで簡単ですが、
テキストである「人生を変える一番シンプルな方法」を使って
自分の内面の感情や欲求を探り、それを解放していくのは、
必ずしも易しいことだとは言えません。

自分の心の中にある感情を意識し、
それを解放していくのは、
たぶん多くの人がすぐに手応えを感じられると思います。

でも感情の奥にある欲求はどうでしょうか、
私はここでつまづきました。


私は自学自習がモットーで、物事を一人で探求していくのが大好きです。
どんなことでも理論から知りたいというタイプで、
分析しながら考えていくのは得意な方なのですが、
本に書かれていることを体で理解しようと何度も繰り返して読んでも、
すぐには分からないようなところが何ヶ所もありました。

本に書かれている日本語が難しいわけではないのですが、
ストレートに自分の心を見つめるという作業は、
いわゆる「簡単すぎて難しい」のだと思います。

私は理論派ですので、だから逆に難しいのかもしれません。


私の周りでセドナメソッドを実践している人も、
多くはその手応えを感じておられるようですが、
なかなかその先の奥深いところまで到達するのは難しいようです。

けれども誰にとってもセドナメソッドの価値はきわめて大きいものであり、
是非とも多くの人にこの素晴らしさを味わっていただきたいと願っています。

何事も進化というのは直線的に推移するものではありません。
長い間の停滞と突然の変化を繰り返し、
階段状に進化していくのです。

セドナメソッドも同様です。
暗中模索、霧の中をさまよったようになかなか変化を感じられなくても、
いつか必ずそこから飛躍できる日が来ます。

ストレートに自分の心を見つめていくという作業は、
本来誰にでもできていたはずのことです。
成長するにともに様々な経験を積み、知識を習得し、
それに伴って心の表面に感情が折り重なり、
少しだけ本当の自分が見えなくなってしまっているだけなのです。

自分の心を見つけるために新たな技術を習得する必要はありません。
ただ本当の自分の姿を思い出せばいいだけです。

セドナメソッドは、それを思い起こさせるためのひとつの方法であり、
本当の自分を見つめる内観でもあるのです。


私の場合はとにかく何度も繰り返し本を読み、
繰り返し解放のワークを試みました。
それはこのセドナメソッドがきわめて素晴らしい自己発見の手法であるということ、
そして今は目に見える変化がないとしても、
それが必ず将来大きな変化となって現われると信じていたからです。

いったん解放をすると、
それから時間をかけて心の中の状態が少しずつ変化してきます。

誰かの名前を忘れて思い出そうとしても思い出せず、
それから何時間か経って突然その人の名前が頭に浮かんでくることがよくあります。
これは表面意識は別のことを考えていても、
いったん動き出した潜在意識は、
慣性の法則のようにその後も働き続けていることを表しています。

解放は繰り返すこと、そして時間をかけて待つということ、
そうすれば必ず目に見えて心の解放は進み、
より深い自分の心というものが見えてきます。

それまでなんとかモチベーションを維持していかなけれけばなりませんね。
私はAmazonを開き、
セドナメソッドで大きな成果を得た人たちの体験談を読みました。
  <Amazon.co.jp: カスタマーレビュー  セドナメソッド>

セドナメソッドを開発したレスター博士の体験談もやる気を与えてくれました。
  <''メソッド発見に至る自己探求の旅'' - Mindtech>

とにかく継続は力なり、まずは大きな成果を手に入れるまで、
そこまで行くことができれば、後は喜びをもって続けることができます。


下の文章は、Amazonで星が5段階中2という低い評価を与えている
ある方のレビューです。
申し訳ないですが勝手に転載させていただき、
自分の感じたことを書かせていただきます。

レビューで書かれている基本のメソッド、
1 感情を認めることができるか
2 それを手放すか
3 いつ?今
は実際に問題が起きて感情が高ぶったときの対処として、
非常に効果的な方法だというのが、何回も繰り返して理解できた。

しかしそれ以外の抵抗?承認?制御?などのメソッドの部分を
自分の中で消化して実行するのは無理だった。

書籍のそのページを見て実行を試みようとすると、
理解できずいらいらする気持ちが湧き出て、
その感情を開放してみても、再度ページを見ると感情が湧き上がる。
何度も繰り返してみても自分には無理だった。合わなかったということだと思う。


この経験から私が感じたことは、感情の浮き沈みが非常に激しかったり、
シンプルなものしか受け付けない理解できないという人は、
いらだちなどを感じた時に、基本のメソッドを実行するだけで良いと思う。

私は時に非常にストレスのかかる特殊な仕事ををしているが、
基本のメソッドを身に付けてからは、
少なくとも仕事をしている際のストレスは激減した。

最後に感情を避ける、発散するという行為を本書では否定的に書いてる感じがするが、例えばいらいらを感じる場所に極力行かない、という行動や、TPOを考えて感情を爆発させるというのも、悪くは無いことだと私は改めて感じた。



この方は抵抗を手放すというところや、
承認、制御という欲求についての感覚がよく理解できなかったようですが、
たぶん同じように感じておられる方も多いでしょう。

私は抵抗を手放す感覚は最初からハッキリ感じられましたが、
各種の欲求については、未だに分別し理解するところまで至っていません。

これは自分自身でつかんでいくしかないですね。
やはり繰り返すこと、時間をかけることです。
あるいは誰かに導いてもらったり、
日本でもセミナーが行われているようですので、
そういったものを受講されてもいいのかもしれません。

とにかくあきらめないで継続していただきたい、そうとしか言いようがありません。


それと最後の感情の回避、発散について書かれているところですが、
セドナメソッドで感情を解放することは、
「臭いものには蓋を」のように、嫌な思いは見えないように隠してしまおう
といったものではありません。
望ましい形で昇華させることであり、これは回避とは異なります。

キチンとした形で昇華(解放)できるのであれば、
回避する必要はないと思われます。
ただもしその段階では解放できない感情があるとしたならば、
いったんは回避することも必要でしょうが、
その感情、あるいは他の様々な感情の解放を繰り返していけば、
必ずその感情の解放につながっていくはずです。

発散することも悪いことではありません。
怒りでも悲しみでも、空になるまで出し尽くすことによって解放されることがあります。
発散することでその感情がクリアーになるのであれば、
それは何の問題もないことです。

ただ発散することによって、
より感情が高ぶってしまうのであれば、
それはかえって逆効果というものです。

発散がいいか悪いかではなく、
発散が解放につながるのかどうかが問題です。

感情を手放すというのは、喜怒哀楽をなくし、
無関心、無感動な人間になることではありません。
心の表面を覆っている感情や欲求を手放すことで、
本当の自分の心の奥からわき上がってくる感覚を大切にするということです。
これは言葉で説明するのは難しいことです。

いらいらを感じる場所に極力行かない ・・・ ということも、
そのいらいらする感情を手放し、
その上でその場所に行きたくないと感じるのであれば、
行かなければいいのだと思います。

TPOを考えて感情を爆発させる ・・・ というのは、
感情や欲求の解放が進めば、
どこかで感情を爆発させなければ気持ちを抑えられないということが
なくなってくるはずです。


この方の感じ方は、たぶん一般的なものだろうと思い、
取り上げさせていただきました。


心の中を見つめ、解放していく過程で、
いろいろと戸惑ったり足踏みしたりするのは自然なことであり、
それだからこそ学ぶところも大きいと言えるでしょう。

継続は力なり、一歩ずつ登った先には、
より大きな喜びと幸せが待っています。

心とは、誰もが生涯付き合っていくものです。
もっと言うならば、魂や霊となって永遠の関わりを持つものです。

セドナメソッドは、その本当の心を見つめ、
その輝きを解き放つきわめて素晴らしい方法なのです。

2011.3.5 Saturday  
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