ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ


腹違いの兄貴が居る。
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。

大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。

姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。
お返しだ。ザマミロ。

姪っ子の結婚式の時、
「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」
って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。



「明日帰るんだけど、他に行くところがない友達を連れて帰りたいんだ。
  家で一緒に住んでもいいかな?」
息子の帰還報告に狂喜した両親は、勿論!と泣きながら答えた。

「でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。
  彼は地雷を踏んでね、腕と足を失ってしまったんだよ。
  でも、僕は彼を家に連れて帰りたいんだ。」
その台詞に、両親は押し黙ってしまった。

「数日ならいいけれど、障害者の世話は大変よ。
  家にいる間に、そのお友達が住める所を一緒に探しましょう。
  あなたにも私たちにも自分達の人生があるのだから、
  そのお友達 の世話に一生縛られるなんて無理よ。」
やっとのことで母親がそれだけ言うと、息子は黙って電話を切った。

翌日、警察から電話があり、青年兵士の両親は彼がビルの屋上から飛び降りて死んだことを知らされた。

両腕両脚のない死体と対面した両親は絶句し、泣き崩れた。



子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。



カーチャンの七不思議

夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない



妹「ねぇ・・お兄ちゃん最近嬉しそうだね」
家に帰ると、帰りを待っていたかのように妹が嬉しそうに言った。

俺「うっせぇな・・何も無ぇよ」
妹「あ・・ひょっとして彼女でも出来たの?」
からかう妹を無視して俺は自室に直行する。
机の上のPCを立ち上げ、すぐに自身のブログをチェックする。

『NEW!新しいコメントが届いています』

一ヶ月ほど前に親にお願いしてPCを買ってもらった。
妹「えー・・いいなぁお兄ちゃんばっかり羨ましい」
俺「お前も高校生になったら買ってもらえよ」
妹「ちぇー・・・ケチ!」
その後拙い知識を総動員させ、何とかブログを立ち上げる事が出来た。
と、言っても個人のブログなんて誰も見ないから最初の一週間は訪問者ゼロの状態だった。

変化が起きたのは丁度一週間後。いつもの様に学校であった不満、愚痴をブログに書こうとすると
『NEW!新しいコメントが届いています』のポップが表示された。
嬉しさと期待と不安でコメントをチェックする俺。

『日記拝見しました^-^b凄く面白い内容でした。これからも色々な日記で楽しませて下さいね♪´∇`』
可愛らしく書かれたコメントに俺は興奮し、それから毎日の様に身の回りの写真やその日あった出来事などを面白可笑しく書いていった。

たまに荒らしっぽいコメントも来た。しかし好意的なコメントをしてくれる人は毎日、日記の下にコメントを送ってくれた。
暫くすると荒らしのコメントも消えていった。自然と俺の中でコメントをくれるその人を喜ばせる事が幸せになってきた。
その人はいつも俺の事を影から見守ってくれてる感じだった。
俺が学校のテストが悪かった事を日記で書くとコメントで『そんな日もあるかもね・・でもあんまりしょげちゃ駄目だよ´・ω・`』などと慰めてくれたり
体育の授業でDQNチームに圧勝した事を書くと『凄い!!私もそれ見たかったなぁーwー=3』などと返信してくれた。

その人とのやり取りが楽しかった。
別に会えなくても何処かで繋がっている・・・そんな気がした。

しかしその一方である時疑問に思った。いつもほぼ同じ時間・・学校から帰って日記を書こうとする大体一時間前にその人はコメントをしている。
一体、どこの人なんだろう・・・もしかしたら近所に住んでいたりして・・
好奇心が沸いた俺は、ホストの権限を使って書き込みをしてくれている人のIPアドレスをチェックしてみた。

愕然とした。いつも俺を励ましたり・・時には応援してくれていたりしたそのコメントは・・・
この家にあるこのPCから発信されていた。
俺は泣きながらブログを閉鎖させ、PCの電源を落とした。



俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、
入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、
そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、
家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
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