ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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親孝行したくなるコピペ

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 06:38:30.02 ID:jEftDiJ40

J( 'ー`)し

自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。

今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。

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10 名前:1/5[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:10:17.81 ID:jEftDiJ40

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。



       J('ー`)し
        (  )\('∀`)
        ||  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。


┌─────────┐
│  個 人. 商 店  │
└─────────┘
 │  J('ー`)し     |
 │   (  )    ┌─|
 │   ||    │ i|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

   │
   │
   │
   │  J('ー`)し_____________
  / ̄ ̄ (  )  ('∀`)
/      ||  (_ _)ヾ

11 名前:2/5[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:11:10.80 ID:jEftDiJ40
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。

///////ww   w  ww
//////w ww        J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`)  □ノ(  )
////w w  w   ( ヘヘ    ||
///w  ww ww  w



給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた


         J('ー`)し         ワーイ コーラ ダ
          (  )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
          ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらって
きた

       J('∀`)し
        (ヽロロ   ヽ('∀`)/
        ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。


   J('∀`)し
t─┐ノ( ノ)        ヾ('∀`)ノロロ
  │■| |       .  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた

──┐
   │                _[係]
   │   J(;'Д`)し       (`Д´ )
   │     (  )\('д`) ロロヾ(  )
   │     ||  (_ _)ヾ    / └
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。

──┐
   │                _[係]
   │   J( ;'A`)し       (`Д´ )
   │     (  )\( 'A`) ロロヾ(  )
   │     ||  (_ _)ヾ     ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら


  ( '∀`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした


  ( 'A`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。

                 ('A` )
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ

俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった

                 ('ー`;;)
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ

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227 :Mr.名無しさん :04/09/08 23:49

カーチャン、なかなか親孝行できなくてゴメンな。
本当は家事を手伝ったり、
「カーチャンの作る飯が一番ンマイよ!」と言ったり
孫の顔を見せたりしたいんだが・・・

金銭的な孝行だけで(しかもそれも少ない)スマソ。
大学生の弟が居るんだが、もうじき学費の振込だ。
なけなしの貯金20マソだが、足しにしてくれ・・・

本当はマッサージチェアを買ってやりたかった。40マソはする奴な…ムリポorz


228 :Mr.名無しさん :04/09/09 01:01

>>227
40万が無いなら、お前の両手があるだろ。
その手は飾りか?

カアチャン喜ぶぞ。

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16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:30:25.74 ID:YYXUZlyrO

先月、23を迎えた私。
そして今月、数年前から病を患って入院していた母が死んだ。
呆然としたまま葬儀を終え、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感の中
父親が私に一通の手紙と通帳を渡してきた。

娘へ。
これを読んでいるって事はお母さんは、一足先に空に行ったようだね!
通帳は、貴女が生まれた時からずっと貯めてきたものです。
だから、貴女が好きに使ってくれてかまわないよ。
これだけあれば結婚費用の足しにもなるはずだよね。
本当はお母さんも式に参加して見たかったけど、空から見てるから心配しないで!
あと、お父さんの事よろしくね!

母らしい最後まで元気な手紙。
そして、通帳を見ると私が生まれた1984年の9月から
毎月一日に欠かさずに一万振り込まれている277万円の通帳。
お母さん、お父さん、生んでくれてありがとう。
私は来年、結婚します。

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17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:36:07.91 ID:YYXUZlyrO

母親とつまらない事でケンカした。
つまらない事なのに、凄い暴言を吐いてしまった。
一人暮らし中の私は、そのまま自分の家に帰って
母から電話が掛かっても、絶対に出なかった。

3日経ってやっと頭が冷え、自分のバカさ加減に情けなくなり
「謝らなきゃ・・・」と思うようになった。
とはいえ、直接電話するのも躊躇う。
卑怯かもしれないけど、謝りのメールを母に送る事にした。

『この前はごめんなさい。』 これが精一杯の言葉。
10分後、母からメールが返ってきた。
ドキドキしながら見ると、件名には『アホな娘へ』と書いてある。
もっとドキドキしながら本文に目をやると
『アホやね お母さんは怒ってませんよ(^0^)
夜ご飯食べにおいで 待ってます』

子供の時みたいにボロボロ泣いた。
メールにしといてよかった・・・

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18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:39:33.15 ID:jEftDiJ40

1年半位付き合っている彼が×1だと話した。 
今まで一度も「ダメ」とか「やめろ」と言った事が無い父だったから
いつものように
「お前の好きなようにやれ」
と言ってくれると思ってた。実際は 
「考え直せないのか?」 
でした。。。 この後は、話題を変えてゆったりと飲んでいたと思う。

一緒に実家へ帰り、年越しの晩。
紅白が始まる頃には二人してすっかり酔っぱらいになってた。(母は呑めないので)
それから父が 
ぽつり、ポツリ と話し出した。
「お前は、俺が年いってから(37歳の時)の娘で嬉しかった。
 可愛かったしな(w 
 贅沢はさせられなかったけど大切に育てたつもりだし・・・
 学生の頃のタバコや酒も許した。
 化粧や耳に穴を(ピアス)開けた時だって・・・
 親に迷惑がかからない範囲、
 お前自身で決めたルールを信じてたからな・・・
 でも、
 結婚は違う。
 俺はそぅ思う・・・
 古い人間の考えかもしれないけど、
 賛成できない・・・」と。。。

私が帰る日の朝、駅まで送ってもらう車の中で父が、
「言いたい事言ったらすっきりした。『お前の好きなようにやれ』」
と言ってくれた。
私は「うん」と、うなずく事しか出来なかった。
帰りの高速バスの中で毛布をかぶり、声を殺して泣いた。

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19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:44:40.13 ID:YYXUZlyrO

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

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20 名前:1/2[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:46:06.43 ID:jEftDiJ40

昨日気がついたら車で3時間かかるのにいつの間にか実家に帰っていた。
案の定、お袋は
「突然どうしたの?何かあったの?」
と心配ばかり。
思わず
「何もないけど・・・帰ってきたら不都合だった?」
と悪態ついてしまった・・・

その後、ゆっくりテレビを見ていたら、お袋が
「風呂丁度いいけどついでに入る?」
と言って来た。
言われるがままに風呂に入った。

かーちゃん・・・綺麗な湯と背中に感じる冷たい浴槽が身にしみるよ。
この寒い中、冷えた残り湯で俺の為だけに風呂を洗って急いで
湯を張ってるお袋の姿がハッキリ見えて、風呂場で泣いた。

風呂から上がると晩飯ができていた。
お袋は
「大したものじゃないけど、晩御飯の残り物で悪いけど
 コレでも食べて明日からも頑張ってね。」
と・・・

食器を下げる時に気付いた。
晩御飯の残り物は白飯だけじゃないか・・・
他の料理は明らかに今作った物だった。
「上手かった!」
とだけ言い残しトイレに行った。
お袋の気持ちを考えて・・・又泣いた・・・

日が変わって直ぐ明日も仕事だからと
帰ろうとするとお袋が心配ばかりする。
いつもなら寝ている時間なのに・・・

(お袋も明日は仕事なのに・・・お出迎えはいいから寝ろ寝ろ〜)
と思わず悪態つきそうになったが今度は言葉を飲み込めた。

その後、親父が何かあったんだろ?と背中を押してくれたので
勇気を出して言ってみた。
「別に大したことじゃないけど・・・
 心変わりする事があったから・・・一応・・・一言さ・・・言いたい事があって・・・
 母さん・・・・・・・・・・・・・・・いつも有り難うな。」

お袋は
「突然何言い出すんだい!
 相変わらず可笑しい所は治ってないねw」
と下を向いて笑っていたが、嬉しそうに泣いていた。

たった、こんな一言だけで・・・
お袋って生き物は本当に世話がやけるwwww

と心で誤魔化しつつ・・・・途中のパーキングで何度も泣いた。

ここのみんな有り難う。
そしてお袋・・・いつも有り難うな。
あんたの息子で良かったよ。

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22 名前:1/3[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:52:53.48 ID:YYXUZlyrO

子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。

23 名前:2/3[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:54:36.03 ID:YYXUZlyrO
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、

葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、

私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。

そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、
もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。

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25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:57:55.66 ID:jEftDiJ40

働きながら家事をやってた母親に対して、やれ飯がマズいだの弁当手抜きだの‥ブーブー文句ばかり言ってた。
一人暮らしを始めて、何でも一人でやらないといけなくなって‥‥。
帰省した時に、「文句ばっかり言ってて悪かった」って言ったら、ちょっと涙ぐんでた。
言葉でも親孝行できんだなって思った。

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26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:03:32.18 ID:jEftDiJ40

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。

まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。

高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。
相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。
そしてありがとう、お父さん。

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27 名前:1/11[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:11:51.51 ID:jEftDiJ40

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┃┃   J('ー`)し       ┃┃
┃┃    (  )\('∀`).   .┃┃
┃┃    │|  (_ _)ヾ    ┃┃
┃┗━━━━━━━━━━┛┃
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初めて動物園に行った時の写真だ。
母はそれを肌身離さずいつも持っていた。


   せ・先生、あらもう診察の時間?

 |
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;) カ・カーチャンオレダヨ
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  タケシダヨ・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    きゃはは 先生ったら冗談ばっかり!

 |
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;)  ・・・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  ・・・・・・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ねえねえ 先生!これ見て見て
  うちの息子のタケシなのかわいいでしょ
 |          ◇
 |   /J( ゚∀゚)/    ヾ('ー` ;)
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 |                    モレ、コノシャシン トッタアト
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;)  オシッコ モラシチャッタヨ ネ
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )   カーチャン・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    そーなのよー もう大変だったの
     でもかわいい息子でしょ?
 |
 |   / J( ゚∀)ゞ     ('ー` ;)  ウン・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


    あら、そういえばタケシ
    どこいっちゃったのかしら???
 |
 |   J(∀゚=゚∀゚)し    ('ー` ;)  カ・カーチャン・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   ちょっと!!あんた誰? なぜ私の
   大事な写真を取ったの??ドロボー!!!
 |
 |   /J(# `Д)/    ('ー` ;)  ス・スミマセン・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     かえせ!!! バカヤロー!!
 |          ◇
 |   /J(# `Д)/ ヾ ('ー` ;)
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽヽ )
 |   |/ /     /|│|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


     脳細胞が破壊される病気で現代の医学では
 |    お手上げなんです。徐々に記憶がなくなって
 |     そのうち心肺機能も停止してしまいます。
 |
 |          ◎__,,     < ̄>
 |    (; 'A`)  (゙A゙ )   J(‘A‘ )し
 |     (ヽ )   ヽ(  )    (y )
/ ̄ ̄ ̄□>> ̄ くく□ ̄ ̄ ̄|│ ̄ ̄


    あれ?おじさんだあれ?
     私のお父さんとお母さんはどこ?

 |
 |   /J( ゚A゚)し      ('A` ;) カーチャン
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  タケシダヨ・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


     お家へ帰りたいよう・・・
     おかあさーーーーん
 |
 |   /J( 'Д`)し      ('A` ;) ・・・・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    |          ジリリリリリーーーーン
    |   ( 'A`)
   / ̄ ̄ヘヘ ) ̄苗 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


            エエ !? カーチャン ガ ??
    |
    |   (゚A゚ ;】>
   / ̄ ̄ヘヘ )~~~田 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


    もう脳の機能も低下して記憶そのものも
    ない状態です・・・
 |
 |          ◎__,,     < ̄>
 |    (; 'A`)  (゙A゙ )   J(‘A‘ )し
 |     (ヽ )   ヽ(  )    (y )
/ ̄ ̄ ̄□>> ̄ くく□ ̄ ̄ ̄|│ ̄ ̄


 |
 |   /~|          ('A` ;) ・・・・・・・・
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                   カーチャン ドウブツエン ニ イクヒ
                   イッショ ニ オベントウ ヲ ツクッタノ
 |                   オボエテルカイ?
 |   /~|          ('ー` ;)
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄


                   モレ、オニギリニギッタヨ
                   ナカナカ ウマク ニギレナカッタ
 |                   デモ カーチャン ホメテ クレタ
 |   /~|          ('ー` ;)  オカズハ タマゴヤキト
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )   ウインナー・・・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                   ウーン・・・
                   アト ナニガ ハイッテタカ
 |                   オモイダセナイヤ・・・
 |   /~|          ('ー` ;)
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


    ア・アスパラ・・・ベーコン巻き・・

 |
 |   /~|          (゚A゚ ;)   カ・カーチャン???
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     あと・・・肉じゃが・・・ね・・・
 |
 |   /~|          (゚∀゚ ;)   キオク ガ モドッタノ??
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    タケシ・・・・
 |
 |   /~|         (∀` ;)   ン?ナニカーチャン?
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


     動物園楽しいかい?
 |                    タ・タノシイヨ!!
 |   /~|         (∀` ;)   スッゴクタノシイヨ
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ・・・・・・・・・
 |
 |   /~|         (∀` ;)   カ・カーチャン??
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


その後 カーチャンは二度と目を覚まさなかった。
脳の記憶が薄れていく中、カーチャンは懸命に
動物園の時の記憶を漏れの為に最後まで
残してくれていたのかもしれない・・・

カーチャンの枕の下には動物園の写真があった。
その写真のネガはもうなく、動物園に行った時の
たった1枚の写真だった。
漏れは棺おけの中に動物園の写真を入れた。





     タケシ、お弁当食べよっか?

              J( 'ー`)し     ウン!!
               (  )\(∀` ).
               │|  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:29:22.27 ID:jEftDiJ40

七年前の七月の私へ。

入院している父を見舞いに行ってる私へ。
「冷たいのが食べたい」って
言う父にしょうがないな〜と言って買いに行くな!
病室に帰ると父は昏睡状態だよ。
もう二度と言葉は交せないよ。

行く前にお願い。
「今までありがとうね。」って言って欲しい。
今となっては
伝える事が出来ない言葉だから。
今までの人生を良かったって
思いながら死なせてあげて・・

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39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:39:58.95 ID:jEftDiJ40

369 :就職戦線異状名無しさん :04/08/16 07:15

内定0の状態が延々と続き、しかも本命の最終落ち・・・と鬱なときに親に電話してみた。
その日はおやじの誕生日。「内定をプレゼントしたかったんだけどね」とおれ。
いつもはあんまりしゃべらないおやじが一言、「それでもがんばるおまいの姿が今年の誕生日プレゼントだ」。
親の前(電話口だけど)ではじめて号泣しますた。悔しいのとうれしいのと、たかがシュウカツでここまで弱ってる自分が情けなくて・・・

でも、本当に親を大切にしなきゃっておもった。「ありがとう」・・・

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40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:44:34.91 ID:7ba2IBunO

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。

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45 名前:1/2[] 投稿日:2007/11/15(木) 08:53:12.65 ID:jEftDiJ40

おれが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな〜い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。

2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。

「知らねーよ。眠いんだから出て行け」

と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて

「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」

といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。

朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。


それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、おれは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。

母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。

誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…

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49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:01:03.53 ID:NMjRmNfa0

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。
私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」

日記はあの日で終わっていた。

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51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:09:19.25 ID:jEftDiJ40

21 :おさかなくわえた名無しさん :2006/09/01(金) 01:02:29 ID:gbVFLusD
母ちゃんのツンデレは分かりやすいよな。

メシの時に「か、片付かないからさっさと食べなさいよねっ」とか言う割に
「片付けるのが面倒なら作んな」って言ったらすっげー怒るし
「今日遅くなるからメシいらね」って電話するとすっげーガッカリした声になるし
俺の好きな料理だったりしてペロリと平らげると
「あ、あたしはもういらないからこれ食べなさいよ」とか言って自分の分をよこすし
ホント、激しくツンデレだな。


22 :おさかなくわえた名無しさん :2006/09/01(金) 01:49:38 ID:NL7O9e33
わかるわかる。
好物をリクエストすると文句言いながらも作ってくれる。
口では色々言ってても嬉しそうだし。
で、家族分ちゃんと数分けてよそってあるんだけど
「もういらないから食べても良いよ」ってくれる。
母と私の好み一緒だから多分好きだろうに。
母じゃなくて父もそんな感じでくれるけど。夫婦揃ってツンデレ……

後うちも悪いことした時は説教とかゲンコツ飛んできたりはあったけど、
ご飯とか弁当とかはいつもちゃんと作ってたな。
同じくそういうのは当たり前だ、という意識。


書いててもっと親孝行しなきゃという気になってきた。

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52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:12:23.84 ID:jEftDiJ40

思い出の一本 (   )y−o O O
541 :名無しは20歳になってから :03/10/28 16:03

初めて親の前でタバコを吸った時。
ハタチ過ぎてたけど緊張したな〜・・・
吸い始めてから少しして、父親から
「1本くれ」って言われて2人で家の前で吸った時は
何故か嬉しかった。
少し遅いかもしれないけど、その時に
オトナへの仲間入りを果たせたような
嬉しい1本の思い出です。

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54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:21:52.17 ID:jEftDiJ40

うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。
家のことなんて全くしない。
子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。
私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたり
とにかく気難しい。

反抗期だった私はなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ〜、と母に言ったら
「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。

父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが元で
精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて
線路に飛び込んで心中を図った。助かったのは5〜6才の父だけ。
それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、
大変な少年時代を送ったらしい。

『だから性格がひねくれたんだねぇ(;´Д`) 。
 でも、何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、
 「天涯孤独な自分にも家族が出来た」って泣いたんだよ。
 お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど
 A子はあの人にとって、一番の宝物だよ。』

この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。
「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と
母に相談していた父の気持ちを思うと
切なくて泣けた。お父さんに優しくしないとなぁ…

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55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:26:25.20 ID:jEftDiJ40

906 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:06:37
もし、貴方の命で死の床に伏した母を救えるとしたら、どうしますか?

と聞いてきた友達がいたんだがどうだろうか?
自分の命を捧げてまで母を助けられるのだろうか?


908 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:20:53
>>906
たった今リアルにカーチャンに聞いたところ
「どの世界に子供の命を引き換えに長生きしたいなんて母親がいる?」
と真正面から顔を見てハッキリ言われた。
鳥肌が立った。

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56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:34:08.52 ID:jEftDiJ40

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

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57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:41:16.72 ID:jEftDiJ40

うちの父も酒が好きな人だったんだが、一緒に飲み交わしたことってないんだな。
俺が酒が嫌いなのと恥ずかしかったのと、あと酒を飲んでる時の父があまり好きじゃなかったってのがその理由。

酒を飲んでは道端で寝て警察に保護され、二日酔いで仕事に行っては足場から転落して骨折し、毎月の小遣いだけでは足りずに
母から金をせびっては飲み歩いたり・・・
肺を患って煙草を止めたときも、酒だけは止められないと言ってたな。
最後には小雨の降る中飲み屋に出かけ、自転車でフラフラと走ってたところを車にはねられて死んだ父。
ほろ酔い気分で逝けたのははたして小さな幸せだったのかどうか・・・
それは俺にはわかりそうもないけど、せめてそうだったと信じたい。

んで、こんなうちの父の話はどうだってよくて、「親父と一緒に酒を飲みたい!」と思うのなら、一緒に飲んであげてほしいなと思う。
親孝行の形なんて一つであるわけではないし、自分がやりたいと思った形でやればいいと思う。
その気持ちさえ通じればいいんだと思う。
家族揃っての楽しいひと時ってのは、家庭を持つものが求める幸せの一つだと思うし、それが酒を仲立ちとするものであったとしても、その時間は
貴重な時間であることにはかわりはないと思う。


実はそんな風景に憧れていた親不孝な男より。

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58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:50:36.96 ID:jEftDiJ40

おれのカーチャンもそう。
おれの顔は人並みだけど、かっこいいと言う。
みんなが100点取るようなテストで100点取っても大喜びで誉めてくれる。
誰でも出来るような、例えば逆上がりみたいな簡単な事でも喜んで誉めてくれた。

小学生の時は「へー。おれってすごいのか?」と思ってた。
中学生で「いや、こんなんみんなも出来るし」って思い始めた。
高校生になると「こんな事でいちいち騒ぐなようるせーな」って逆に嫌がるようになった。
正直、自分からみたらつまんない事を大げさに誉めてくれるカーチャンをバカにしてた。
もっと凄い奴だっているのにカーチャンは知らないのかと。

今は院生。
大抵の事はカーチャンより上手に出来るようになったし、体力でも知識でも負けない。
カーチャンが何考えてるかも分かる。カーチャンを凄く小さく感じるようになった。
そんな、何も分かってないような人間の評価より、社会的な評価とか自己評価とかの方が大事になった。

でも、なんか最近はカーチャンに誉められると、小学生の時みたいにすげー嬉しく感じる。
こないだとか、おれの書いた論文見せたっけ英語なんて読めないのに「凄いねえ、凄いねえ」って。
お前は内容分かって言ってんのかと。
エロゲについてくだらん事をグダグダ書いてんのかもしれないじゃねーかと。

多分、カーチャンの限界が見えて「盲目的な愛」ってもんが分かっちゃったからじゃないかと思う。
カーチャンは他人みたいに「凄い事したから誉める」んじゃないんだよ。「カッコいいから誉める」んじゃない。
自分の息子が何事かをした、ってそれだけで嬉しいんだなと。だから誉めてくれる。
「盲目的」ってのはある意味危ないけど、でもどんな時でもこの人だけはおれの味方でいてくれるんだなと思う。
それは凄く幸せな事で。
外でどんなに辛くて嫌な事があってもう氏にたいとか思っても、
家に帰ればカーチャンがいて「あんたは凄いよ」って誉めてくれるんだろうなって思えるのは凄く有り難い。
ほんとに凄くなってカーチャンの評価を世間の評価にしてやりたいと思う。 顔は無理だけど。

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59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:54:55.63 ID:jEftDiJ40

件名 ナナオです

本文 お久しぶりです ナナオです 最近とつても暑いですね
    ○○くん元気でおしごとがんばつてますかなてな
    おかあさんもおとうさんも○○くんのこと心配してますよ
    たまには電話くださいね
    ぼくは最近缶詰を少したかいものにかえてもらいました嬉しい限りです
    

実家で飼ってる犬の振りしてメールしてきた('A`)
仕方ねえ、盆に帰省するか。

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60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:57:29.13 ID:jEftDiJ40

今まで当たり前だと思ってきた家族の優しさ。
実はちっとも当たり前なんかじゃなかったことにようやく気付いた。

お父さん、最初は反対してたけど、お金のかかる東京の私立の大学に行くことを許してくれてありがとう。
休日も返上で一生懸命働いてくれてありがとう。
お母さん、帰省したとき、いっぱいおいしいご飯食べさせてくれてありがとう。
お母さんが自分のために高いものなんか買ってるの見たことないのに、
「なんか欲しいものある?足りないものはない?」って私のことばっかり気にして…。

いざ会うとなんか恥ずかしくて素直に言えないけど、本当に感謝してます。
ありがとう。

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62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:04:06.35 ID:jEftDiJ40

50 :おさかなくわえた名無しさん :2006/09/08(金) 03:00:46 ID:QAt0Hee6
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。

俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。

単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?

おまいらも数えてみ?
あと何日カーチャンと会える日があるか。


54 :おさかなくわえた名無しさん :2006/09/08(金) 21:33:35 ID:poxB7CWL
>>50
あと1年くらいって計算だ。これは笑えねぇよ。

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63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:06:53.71 ID:jEftDiJ40

火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
母親が仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」

車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。

無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。

母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。

今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろうな、俺は。

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64 名前:1/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:14:27.50 ID:jEftDiJ40

俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。

検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教大学出身
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々話をさせた
学校 進路 夢
思えば何であのとき気がつかなかったんだろう…

涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い判定
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに

それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい
一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい
俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く 俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「うけてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した

そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…

病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…

かーちゃん…

俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさい ありがとう を全部語った。

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69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:30:41.22 ID:jEftDiJ40

俺の母は俺が中3の頃死んだ。
技術家庭の授業中に担任が飛んできた。
母の死を告げられても不思議と落ち着いていた。
家に帰ると妹が大泣きしていた。父は憔悴していた。

滞りなく、告別式、葬式が終わり普通の日常に戻ったとき
初めて泣いた。食卓の席が一つ空いていたから。

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70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:38:08.39 ID:jEftDiJ40

小学生の頃、実習で作ったドーナツが美味くてうちでも作りたいといって、作った。
当然温度管理ができて無いからべちゃべちゃで油すって大変なのができたわけだが、
父さんはこれうまいな、っていって、パクパク食べてたっけ。
母さんは元コックだからそれを食ってきてる父さんは勿論舌が肥えているのに。

今、うちは会社が倒産仕掛けで、父の顔には笑顔が無い。
私は遠方で一人暮らしをしている。少ない収入から仕送りをしてもらいながら。

一人暮らしをするようになって料理をし、母の影響か人より美味いらしい。
いつも実家に帰っても、「母さんがいるから私作らないよ」って言ってきた。
でも、今年の夏は帰省したら作るよ。絶対。
有難うっていいにくいから、作るよ。

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71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:38:48.14 ID:YYXUZlyrO

中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・

あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った

その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた

「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った

その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている

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72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:46:01.94 ID:jEftDiJ40

そういえばふと考えるとさ。

俺の母親は自分の服や鞄は全く買わないんだ。化粧もしない。
昔は「女なんだから少しは気使えよ!」って思ったけどさ。
そうじゃないんだよな。
自分の物買うより家族の物を買ってたんだよな。
子供の服や文房具代や生活費や。

食事もそうだ。そういえば好きな食べ物なんて知らないんだ。
俺達(子供)が欲しがったら全部くれるんだ。
「いいのよ。全部食べなさい」って。

母親の好きな食べ物ってなんだろう。
明日聞いて買いに行こうと思う。

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73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:52:52.08 ID:jEftDiJ40

今日さ、友達の買物につきあってデパート行ったわけ。
遠方に住んでる両親に送るプレゼント選ぶとか言って夫婦茶碗とか見てんの。
ようやく決めて会計する時に、10日に着くように送ってくださいとか頼んでて。

で、10日ってその子の誕生日なんだけどさ。
なんで自分の誕生日なのに親宛でプレゼントとか贈ってんのw
と聞いたら友達が照れくさそうに笑って

『あ、これね、産んでくれてありがとうのプレゼント』

だってさ。
自分で稼げるようになってから毎年贈ってるらしい。
なんか家帰ってからじんわり涙でた。

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76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:02:45.21 ID:jEftDiJ40

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。
でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。

だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、
財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。

そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。
ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。

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78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:04:28.76 ID:KPeBEKut0

俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい

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79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:05:04.59 ID:jEftDiJ40

J( 'ー`)し たけしへげんきですか。いまめーるしてます

(`Д)   うるさい死ね メールすんな殺すぞ

J( 'ー`)し ごめんね。おかあさんはじめてめーるしたから、ごめんね

(`Д)   うるさいくたばれ、メールすんな

J( 'ー`)し お金ふりこんでおきました。たいせつにつかってね 食事はしていますか?

(`Д)   死ねくそ女

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            o
__        ゚ 
 母 |
 の |
 墓 |  ∴  ('A`)カーチャン..........
──┐ ∀  << )

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80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:12:37.72 ID:KPeBEKut0

そんな話より聞いてくれよwwwwwwww
俺のかあちゃん白い箱の中に入って帰ってこないのwwwwwwww
今はもうその箱もないんだけどさwwwwww
あー早くかあちゃん帰ってこないかなwwwwwwwww
大好きな焼きそば作ってやるのにwwwwwwwwwwww

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81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:16:15.05 ID:KPeBEKut0

小さい頃、母親と水族館に行った時に母親に買って貰ったソフトクリームを転んで落とした。

号泣してる私に母親は「痛かったね、ママのソフトクリームあげるからね」といってなだめてくれてたけど、
私は本当は「母親が買ってくれた」ソフトクリームを落とした事が申し訳なくて泣いていた。

あれから13年経って、母親が死んだ。
私は、伝える事が出来なかった話を死んだ母親の前で泣きながら話した。

ずっと前に「死ね」と言った事をずっと謝りたかった事。
彼氏が出来た事を報告しなかった事。
お嫁さん姿見たいって言ってたのに見せられなくてごめんね、などたくさんの事を話した。

そんな時急にソフトクリームの話を思い出した。そして死んだ母親に言った。

「あの時私が泣いたのは申し訳なかったからなんだよ」

するといつからいたのか、父親が後ろから、
「お母さん全部知ってたよ。あの時、お母さんは“○○が私の為に泣いた”って言って泣いてたから覚えてる。ホント親子揃って泣き虫だ」と言って、泣いていた。

嬉しくて悲しくて涙が止まらなかった。
謝ってばかりいる事が情けなかったもっとありがとうを言えばよかった。

お母さん、本当にありがとう。
こんなとこでしか言えなくてごめんなさい。

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82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:17:05.32 ID:jEftDiJ40

今まで2,3ヶ月に一度しか実家にいかなかった。
何人かの人が書いていたようなTVだけをみている生活の親。
親も何をしていいのかわからない様子。(すでに片親です)
本当に何が楽しいのかと思うが、親の生活に口出しはすまいと3年経過。

訪問するのがつらかった。TVしかみていない親と
何の会話をすればいいのか?ムリに明るい雰囲気を作るのがつらかった。

先日軽い痴呆の可能性があるとの診断がでた。
本人にはいっていない。

診断がでて、肩の力が抜けた。テンションを上げる必要なんてない。
ただ訪問し、おせっかいでも親の手の届かない掃除などをして
2,3時間過ごす。掃除の合間に「手伝ってー」とか
「休憩。おやつあったらくれる?」と、TVをみている親に
ちょっかいをかける。「これおいしいなー」とかくだらない、
まさにただの日常会話をして、そして掃除を再開する。

半日滞在して会話している時間は20分程度かもしれない。
でもお互いなんだか穏やかな雰囲気だ。

これからもこうして当たり前の時間をすごしたいと思う。

親に会うのが照れくさい人、家に行ってごそごそするだけでもいいんですよ。
きっと。

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83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 11:37:50.77 ID:jEftDiJ40

子供の頃は両親だけでなく家族全員が永遠だと思ってた。

わからないことや困ったことは親に相談すれば解決策を示してくれた。

でも今は新しく買った電子レンジの操作がわからなくて私の書いたマニュアルを貼り、
ビデオの配線がわからなくて私に電話してくる。

ぼけちゃいないんだけど、新しいことへの適応能力は確実に低くなってる。
私が子供の頃お年玉ためて買ったオーディオセットの配線は
親が全部やってくれたはずなのに。
宿題のわからない所は、夜までかかって教えてくれていたのに。

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85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 12:09:02.26 ID:YYXUZlyrO

前の会社で働いていた頃 母親からこずかい毎月一万ほどせびられた
一人暮らしの俺にとってはつらかった 払わないと「親不孝者」、「バカ息子」など
罵倒の嵐 この糞ババア いつかマジで呪った事もあった
しかし 中学時代 グレて散々迷惑をかけた手前 半ばあきらめていた事もあった 
 やがて俺が社会に働きに出て数年後 おふくろは死んだ その時 通夜の席で親戚に
一冊の預金通帳を渡された 額は100万程度 聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが
毎月俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい
 それを聞いた時、俺は号泣して泣いた 金を請求されるという表向きの事にとらわれ
なぜおふくろが金を請求するのかという事を考えもしなかった自分自身が誰よりも許せ
なかった 母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ貯金も無く失意のどん底だったが
この100万円のおかげでホームレスにはならなくて済んだ 今でも駄目なリーマンには
変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる 今さらだけど・・・・・。
お母さん・・・・・・。ありがとう・・・・・。

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89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 12:34:42.08 ID:jEftDiJ40

中学生卒業と共に親元を離れ、地方の進学校に入学。
タバコを吸っている友達はいたが俺は吸わなかった。

そして、大学に進学。サークルの飲み会の席でタバコを
無理矢理勧められて以来、やみつきになってしまった。

でも、俺はそれまでずっとタバコが嫌いだったのだ。

夏休み、帰省で親元に帰った俺は実家で何気なくタバコに
火を付けた。それを見た母親は当然の如く仰天。
「あんた、いつからタバコ吸うようになったのさ?」
「2ヶ月位前かな」

俺がタバコを吸う様を黙って見ていた親父が口を開いた。
「お前がタバコ吸うなんてなぁ… お前覚えてるか?」
「え?何を?」
「お前に小学校6年生の時に怒られたんだよ。
『タバコ嫌いなんだよ、吸うな!』って。」
「へぇー、そんなことあったんだ。」
「それ以来俺はタバコを吸っていないんだ。」

親父は笑いながら、黙ってグラスに焼酎を注いだ。
俺も黙ってまたタバコに火を付けた。煙が部屋の天井の方へと
流れていく様を見ていた。

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93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 12:46:18.91 ID:jEftDiJ40

「沖縄に行かない?」

いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。
自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

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94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 12:48:04.66 ID:YYXUZlyrO

実家が港町で蟹が取れるので、季節になると度々母が蟹を送ってきてくれていた。
ある日、母に「蟹は身を取るのが面倒でねー」と何気なく言ったのだが、その後送ってきて
くれた蟹は、見事にほぐした後の蟹の身パックだった。
驚いて母に電話してみると、「ほぐすのが大変だっていうから、一晩かけてほぐしちゃったよ(w」と笑っていた。
その電話で「その荷物の新聞紙にいいものが張り付いているから、ちゃんと見てね!」とも言われた。
良く新聞紙を見てみると、張り付いた一万円札が…。

いつも娘のウケを狙う母親だった。荷物に空瓶入れてタイトルが「○○(田舎の名前)の空気♪」とか、
留守番電話に入れる最後の言葉は「バイナラ」だったり…。

去年母が亡くなって、こういう凄い些細な馬鹿思い出が、私の中でホローリとくる思い出に変化した。

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96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 12:48:37.68 ID:jEftDiJ40

母の部屋には私達が子供の頃の写真が飾ってある。

その中で、引き伸ばして一番大きな写真があるのだけれど
それは家族で山登りをした時の写真で、
私も兄も妹も疲れ果てていて汗だくだしニコリともしてなくて

ハッキリ言って全然可愛くない写真だった。飾るのはかまわないけれど
わざわざ大きく引き伸ばすほどのものではないと思い、

「他にもっといい写真あるでしょ。どうせなら
 可愛く撮れてるヤツを引き伸ばしてよ」

と言ったら、

「これがいいんだよ。アンタ達の素の表情なんだから」

と母はやたらと嬉しそうだった。

「私が死んだらこの写真も一緒に燃やしてね」とも言われた。

まだまだ死なないでね。

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105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/11/15(木) 13:59:50.23 ID:d2HK3G9X0

俺が7歳の時親父が亡くなった。入退院を繰り返してたけど
死ぬなんて思ってなかった。見舞いに行って2人になった時
急にすごい力で抱きしめられて、びっくりした俺はいやがって病室
から出ようとした。その時父は俺に「○○、パパのこと好きか?」って聞いた。
俺は「大キライ!」っていった。
1時間ほどして戻ってきたらもう危篤だった。なぜあの時あんな事を言ったのか、
20数年経ったいまでも悔やんでる。
大好きだったのに…

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115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 15:41:26.44 ID:jEftDiJ40

前、実家帰って、帰る時のこと。
俺は母子家庭で仕送りもらってるくせに
冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃ちょうだいと母にせがんだら
「何言ってんの!うちもキツキツで生活してるのに、自分で払いなさい!」
と怒鳴られた。

俺も腹立って、電話でタクシー呼んでそのあとは一言も母とは口聞かなかった。
しばらくしたらタクシーが来て、俺は何も言わずに家を出てってタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、母が財布もって慌てて外に出てきたけど、
その時ちょうどタクシー発進。
俺は自分の情けなさと母ヘの申し訳なさと感謝の気持ちと後ろめたさに
振り向くことができなかった。
タクシーの中で涙こらえるのに必死だった。
後味の悪い帰省だった。

俺の母親が作った弁当はいわゆる「のり弁」
蓋にのりがはりついてるのはいつものことで。
学校が冬休みでも頼んで朝作ってもらってさ、それをコタツにいれて保温してたのをわざわざ昼まで待って食う。
それが弟と俺の休みの日の楽しみだったんだ。

弁当箱の殆どが飯で、オカズは1,2品と漬物って感じだったけど。
このスレを読んで、今度また頼んで作ってもらうかー、なんて思ってはいたけど、忙しさにかまけて電話もほとんどしなかったんだよね。
俺が作っても微妙に似て違う味なんだよ、甘い卵焼きとかさ、かあちゃんは丸いフライパンでどうやって作ってたのかな?
もう一回会えたらまた弁当作ってほしいな。
ふつうのご飯のオカズでもいいんだ。

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119 名前:1/2[] 投稿日:2007/11/15(木) 15:50:58.95 ID:jEftDiJ40

オレが小さい頃両親が離婚した。
家族構成は父・母・兄・オレ・妹の5人家族だった。

父親は兄や妹は可愛がっていたんだが、何故かオレだけ憎たらしいのか
(オレが外で喧嘩とか問題起こすからかもしれないが…)
いつも殴られたり蹴られたり、真冬に裸足で外にホッポリ出されたりしていた。(北海道なんでめちゃ寒い)
オレは子供心に「オレが悪いからいけないんだ。」と思っていた。
母親はそんなオレを見て「あんたはやりすぎだ!」といつも親父と喧嘩してたのを覚えてる。

そしてオレが小学4年の時に両親が離婚し、3人の子供は母親が引き取った。
理由を母親に聞いたら「借金ばっかりしてるからだ。」と言っていた。
(実は親父の浮気が問題で、兄も妹もオレも事前に親父に女を紹介されてたので知っていた。)
親父は兄と妹は引き取りたかったらしく、「どっちと一緒に暮らしたい?」なんて聞いてたが母親はそれを許さなかった。

当時小学生だったオレは、「父親がいなくて恥ずかしい」と思っていた。
学校行事、特に参観日なんか母親が来るのを恥ずかしいと思い、
「来ないでいいからね。」と 繰り返していた。

中学に入り、少しグレ始めたオレは飲酒・喫煙・万引きなんかしていて、友達に
「ばれて親呼ばれたらどうする?」って聞かれた時に、
「父親がいないのが悪いんだって言ってやるよ。」なんて話してた。

中2のある日、同じ学校の奴が万引きで補導された。その時にオレの名前を吐いたらしく、担任が家庭訪問してきた。
母親は担任に怒られ「本当にすみません…。ちゃんと言い聞かせますので…。」の言葉を繰り返していた。

2時間くらい説教され、担任が帰ると母親は
「あんた悪いことするんじゃないよ〜。」
と軽くオレに言っただけで別段怒る様子も無かった。

そんな母親を見て、オレは自分のしたことをとても後悔した。

それからオレは毎日勉強した。

友達に紹介してもらって新聞の朝刊配達も始めた。
少しでも家計に役立つようにと給料の半分を毎月母親に渡した。
母親の誕生日にガラスの置物をプレゼントした時に「ありがとう。」と
にっこり笑って受け取ってくれた母親の目に涙が浮かんでいたのを今でも覚えている。

高校も公立でそこそこのところに入学し、一生懸命勉強した甲斐あって奨学金も受けることができた。
高3になると母親が「あんた進路どうすんのさ?」と聞いてきた。

どうすんのさなんて聞かれても、進学する金もないし
「就職するんじゃない?」と、適当に答えると
「あんた勉強頑張ってるんだから大学いきな!」って言ってきた。
「そんな金ねーだろ!」って言うと
「金ならなんとでもなるんだ!」と、言って進学を勧めてきた。

オレも”記念受験くらい、いいだろ”と思い、ある私大を受けたらどういう間違いか受かってしまった。
母親が合格発表を見ると喜んで
「あんた頑張りなよ!」とオレを進学させてくれた。

大学を無事卒業し、そのまま就職、今は結婚して子供も一人いる。
妻から聞いた話ですが、母親は離婚した理由を
「いつも○○(オレのこと)ばっかり殴ったり蹴ったり見るに耐えられなかった。」と話していたようだ。

それを聞いてオレは自分が恥ずかしいのと母親の暖かさに涙が出た。
今は照れくさくて感謝の言葉を言えないでいるが、いつかは心から
”生んでくれて、育ててくれて ありがとう”と言いたい。

夏休みで実家に帰省していた最後の日に母親が
「これ持っていきなさい」と、おにぎりを渡された。
すでにタオルや洗剤を、お土産?として持たされていた俺は、
「これ以上は、荷物が増えるから、こんなんいらねー」って断ったんだけど、
母親は「いいから、この位持っていけるでしょッ」と強引にカバンに詰め込みました。
それで、お互いにムッとして気まずいままに、俺は実家を出ました。
でも実際、住んでいる所へ戻る途中、お腹が空いたので、
そのおにぎりを食べたのですが、何年かぶりに食べた母親の大きなおにぎりは、
コンビニのおにぎりよりも断然に美味しかった。

母さん、ゴメンナサイ、アリガトウ。

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122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:00:44.34 ID:jEftDiJ40

今日も晩ご飯をつくって、遊んでいる幼い子供達(4歳と2歳)を食卓に呼ぶ。
おいしそうに食べる子供達を見ながらの食事は、至福の時間だ。
でも、もう誰も、「ご飯だよ〜。」と私を呼んでくれることはない。

私は馬鹿でわがままな子供だったから
自分のために用意された食事の贅沢さ、豊かさに気づきもしなかった。
「おかずが少ない。」「おいしくない。」そんなことばかり言ってた。
子供の頃、うちは貧しくて、その中で母が工夫して
一所懸命作ってくれた食事だったのに。
実際、母は料理は結構うまかったのに。

あの頃に戻れたら・・・というのはとても不毛なフレーズだけど
もしあの頃に戻れたら、子供の頃の私の頭を張り倒して
「ママの料理は世界一おいしいよ!」と言いたいよ。

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123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:05:14.36 ID:jEftDiJ40

俺は入学式で着たスーツ・ドンキで買ったYシャツとネクタイで就活を終わらせた。
でもさすがに新社会人になるにあたってスーツを欲しく思い、
「スーツを買おうかな、なんて」と母ちゃんにメールを送ってみた、
するとすぐさま電話掛け直して来て「いいよ、いくら送ればいい?」と即答してくれた。
受話器からは風を切る音が聞こえた、パートに出かける途中だった。
こんな風の強い日にも…。電話じゃ言えないからここで言うわ、ほんとごめん、ほんとありがとう。
たった5分前の出来事。

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124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:10:44.35 ID:jEftDiJ40

子供向けの漫画とかでよくある、
おかず作ってる母親の目を盗んでツマミ食い、っていうのをやってみたくて、
決行した。
揚げたてのおかずををひっつかんで。
それがトンカツだったんだ。
遊び場でもしゃもしゃ食べた。

で、夕食は当然トンカツだったんだよね。
自分の皿にはトンカツがある。
でも母ちゃんの皿にはキャベツだけ。
母ちゃんのおかず、キャベツと味噌汁だけ。
夕食の間、顔が上げられなかった。
トンカツ食ったけど、紙粘土食ってるみたいだった。

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125 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:15:03.31 ID:jEftDiJ40

漏れは特に親を大切にしてきたわけでもなく、
親に大学まで行かせてもらってる。
両親共働き苦労してるよ。まぁ兄弟3人だしな。

毎年、漏れの誕生日には
2000円くらいのものではあるけどカーチャンがプレゼントくれるんだよな。
20歳の誕生日って、なんとなく区切りの歳だろ。
漏れ、逆に何かプレゼントしてやろうと思って一日かけて探した。
カーチャン、コーヒー飲むのが好きだから、
結局買ったのがコーヒーミル(コーヒー豆挽くやつ)とコーヒー豆。
まぁ、それでも二つあわせて4000円くらいだ。
我ながら良い物買ったなとか思ったよ。

いつもよりちょっと豪勢な晩御飯の時に例年通りプレゼントもらった。

漏れも照れくさかったけど、
「まぁとりあえず20年ありがとうということで・・・これ」
ってプレゼント渡したんだ。

そしたら不思議そうな顔して大粒の涙をこぼした・・・
今まで、馬鹿なことして泣かしたことは何度かあったけど、
喜んで泣いてもらったのは初めてだったな。
さすがに驚いた。こんなことでも泣いてくれるのかって。
逆に自分はこんなこともしてこなかったってことだよな。

今漏れは22歳、無事就職も決まって卒業を待つばかり。
これからはもう少しカーチャンを大切にしようと思う。
無償でこんなに大切にしてくれる親って、やっぱりすごいよな。

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126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:19:17.41 ID:jEftDiJ40

おまいら小学校の授業参観って覚えてるか?
授業参観でおれが後ろを向くと、
必ず母親がこっち見て笑った。

ついこの間なんだが、小学校の授業参観を思い出して
おれが後ろをみる度にこっちを見ているということは
母親は授業の間中ずっと、よそ見もせずに俺のことばかり見ていたんだと
二十年後にして初めて気が付いた。

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127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:24:48.04 ID:jEftDiJ40

おれは、ガキの頃シンプルなものが好きだった。
チャーシュー麺よりラーメン
海鮮ピラフよりたまごピラフ
けんちん汁よりみそ汁
色々と具が入っているのは面倒くさく感じていた。
おれがガキのある日、
かあちゃんが「きょうはうどんにしよう」と言った。
おれは迷わず「かけうどん」(関西でいう素うどん)を要望した。
出てきたものは鶏肉やら野菜やら具沢山のうどんだった。
おれは「これ、かけうどん?」と聞くと
かあちゃんはそうだと言う。
仕方なくおれは全部喰った。
その後「かけうどん」なるものは何度も食卓に登場した。
いつもいろんなものが乗っている「かけうどん」だった。

おれも、いい年になった。
インチキ「かけうどん」のおかげかどうかは知らんが
好き嫌いもないし、いたって健康だ。

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128 名前:1/2[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:30:55.40 ID:jEftDiJ40

母子家庭で育って、30目前にして初めての一人暮らし。
オレはどうにかこうにか生活している。
日本じゃないので言葉の問題もいろいろあるけど、どうにか暮らしている。

今の時代、メールがあるから日本の友達やカーチャンとも連絡がとれる。
だから全然さびしくない。
別にホームシックになんかなっていない。
なるわけがない。
自分で望んだ異国での生活だし。
仕事は実際楽しいし、生活も楽しい。
そう思っていた。

ある日カーチャンから段ボールが届いた。
久しぶりに見るカーチャンの字。見慣れた達筆。
ああ、この字って小学校の頃自分の身の回りのものに書いてあったなあ。
なくすといけないからって、何にでも名前書いてくれてたなあ。
なんだかひさしぶりだなあ。
一人きりの部屋でちょっとだけしんみりした。


129 名前:2/2[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:31:11.27 ID:jEftDiJ40
段ボールの底に手紙も入っていた。
小さなカード。

「元気にしていますか。
 寒いと思うのでトレーナーを送ります。
 何か必要なものがあればいつでも教えてね。
 また会える日を楽しみにしています」

泣いた。号泣した。
短い文章だけれども、カーチャンの愛情がぎっしり詰まっているのがわかる。
正直言ってこの年まで気がついていなかったのかもしれない。

遅すぎるという奴は笑ってくれ。
気が済むまで笑ってくれ。
指差して笑ってくれ。
「親孝行のできない奴は所詮何にもできない」ってのはきっと真実だ。
オレはオレの母親がカーチャンであったことを誇りに思う。

直接言うのは、それでもやっぱり照れくさいからここで言わせてほしい。

カーチャン、今までありがとう。本当にありがとう。
心配ばかりかけてしまって、ごめんなさい。
こっちでの仕事が終わったら、オレの愛車でいろんなところに連れて行ってあげるから。
どうか元気でいてください。
時間があったら、こっちに遊びに来てください。
おいしい食べ物をたくさんご馳走するからさ。

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130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:36:57.18 ID:jEftDiJ40

てめーら!両親に内定出たところのパンフだけ送ろうと思ってたら、このスレみて
感謝の言葉ばっかりの恥ずかしいお手紙同封しちゃったじゃないかYO!!
しかも、次から次へとありがとうの言葉が出てきて何回もミスっちまった!

とーちゃん、かーちゃん!
地元中小と都会の大手、、、自分のエゴで都会を選択しちゃってごめんよ
地元企業の内定もあるって言ったら、表情が何かホッとしてすぐ隠したのを漏れ、
わかってたんよ
でも、やっぱり自分を試したかった・・・
そばに居てやれなくて本当にごめんなぁ、ホントにホントにごめん

こんな末っ子気質万点な漏れでも兄貴に負けないぐらい恩返しするから、、、
絶対するから
だから、だからもう無理はしないで、自分たちの人生を楽しんでくれよな

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131 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:37:20.42 ID:jEftDiJ40

今までは「勉強しろ!勉強しろ!」だった漏れの親。
就職に関してもうるさく口を出してくるのかと思っていたが、
なぜか「好きなようにやれ」って言ってる。

勉強勉強で漏れの自由を奪っているように感じた時もあったけど、
就職活動してみてようやくわかった。

「勉強しろ」って言ってたのは自由を奪うとかそんなことじゃなくて、
漏れが自由にやっていくための土台を作り、
好きなことをやるための可能性を広げようとしてくれていたんだな。

今更ながら感謝!

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132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 16:37:48.36 ID:jEftDiJ40

コーン、ベーコン、ジャガイモが入ったチャウダーみたいなやつ。
親父は「かあちゃんスープ」と呼んでいた。
そのスープが出るといつも、親父と最後の一杯争奪戦が繰り広げられた。
そのくらい俺と親父の好物だった。

大き目の鍋一杯に作ってくれるのだが、夕飯が終わると鍋は見事にカラになる。

どんな作り方してるのか聞いた時母さんは、
「スープの素と牛乳で簡単に作れるわよ。本当はもの凄い手抜きなの。
 結婚して以来、ずっとお父さんは喜んでくれてるから言えないけどね」
って笑ってた。

そんな母さんが先月逝った。長い闘病の末に。
親父がすっかり飯を食わなくなった。
俺が「かあちゃんスープ」を作ってみた。親父はおかわりしてくれたけど、
鍋には半分も残ってる。いつも綺麗になくなってたのに。

母さん。どんなに簡単な料理でも、同じ味にはならないよ。

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137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:12:57.07 ID:jEftDiJ40

俺の母はは滅多に自分の物を買わない。
母の着ている服はというとめちゃくちゃ安いヤツでしかも10年
前のもの。その代わり、俺には良いものを買ってくれる。
どこの親もそうだと思っていたら、中学の頃友達が
母の服の話をしていた。俺はびっくりした。他の家の母はめちゃ高い
ブランドのカバンや服などを買っていた。
その話をこの前母に話したら、「そんなの買うくらいなら、お前に買って
何かあげた方が良いと思って買わなかった。」と言った。
母ちゃんごめん、俺当たり前のように服買って・・・。俺は大馬鹿だ。
老後はどんな家より豪華に暮らさせてあげるから。俺がんばるから・・・。
俺の母は見かけは質素だけど、どんなブランド着ている母より美しい母です。

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138 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:16:18.36 ID:ON6nABuL0

俺は実家から会社に通ってるから特にカーチャンのありがたみって
それほどよく無いんだよな。

そんな中、俺が出張から帰ってきたら布団とか干したみたいでふかふかだわ
部屋はなんか小奇麗になってるわで、ほんとはありがたいんだけど、
勝手に部屋入られて頭にきたってのが強かったんだ。

んで、怒鳴りつけてやろうかって思ったまさにその瞬間、俺が幼稚園はいる前から
大事にしてたぬいぐるみがなんか紙切れ持ってるの。

その紙切れには
「おう、出張大変だな。お前がいない間に部屋掃除して布団干しといてやったぜ。
仕事大変だろうけど、がんばれよな。  ゴン太(ぬいぐるみの名前)」

ってお袋の字で書いてあって、
なんか、頭きてた俺がすげー馬鹿みたい。カーチャン、俺、がんばるよ。

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139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:17:34.34 ID:jEftDiJ40

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると
母の口が動いた。何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。


「ママの作ったスパゲッティー大好き!」
口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

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141 名前:1/7[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:19:48.39 ID:jEftDiJ40

俺にも言わせてください。
ありがとうって言いたいです。
いつも毒男板に来ては煽ってばかりいた性格の悪さを省みています。
きっと俺に罰が当たったんだ。悪性リンパ腫って…手遅れって…

母さん、マジでありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

生んでくれてありがとう。こんな俺でも生んでくれてありがとう。
愛情を注いでくれてありがとう。沢山笑ってくれてありがとう。
一緒にへこんでくれてありがとう。一緒に泣いてくれてありがとう。
あなたは最高の母親です。オヤジも鼻が高いさ。
いっぱい泣きたい。あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。
俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。
顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。そして食べながら泣かないで…

母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。
母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。
母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。



すいません。今まで泣いてました…
厚かましいけど、書かせてくれ。お願いします、書かせて下さい…

最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。
寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。母さんをすぐに蝕んでいくんだ。
薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ〜!!」
って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。
俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは親心なんだって気付いたよ。
母さん、俺バカでごめん。

だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。
俺はたまに買って行ってやるんだ。母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで…食べながら泣いて…

日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、涙が出てしまうくらいのものだよ。
俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度に
そのキラキラした日常を思い出して、泣いて、「ありがとう」って感謝するんだろうね。
本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。
絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。
だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。
…もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。



今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって
感じだろうね。病院行きたくないんです。
母さん、死んじゃった。

朝死ぬことねぇだろ…本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ…

母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。

何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。
買って行くから、また食べてよ。また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。



最初って涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。

一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。
オヤジが、「うまくないなぁ…か…」
って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。
俺はすぐ分かった。その、「か…」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいっては
よく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。
オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って
いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。何かしゃべったら俺も崩れてた。

今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ…
思わず寄ったよ。特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。
「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね〜ッ!」って、
一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さを
うるさく言う母さんの声が聞きたかった。
ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。
本当はバカみたいにキラキラしてて、素晴らしいものなのに。
いなくなってしまってから初めて分かるんだ。
それがビー球みたいにいろんな色があって綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。



もう今日でここに書き込むのは最後にします。
みんな色々と辛いことを乗り越えての今があるのだと思いました。
だから俺だけ弱くてうじうじしていてはいけない。みんなが通る道なんだよね。
けど、今だけ俺の弱さをどうか許してください。昨日の今日では強くなれない…

悲しすぎる。

オヤジが俺に封筒を渡してきました。葬式までに必ず読んでおけって。
オヤジはその中身を知らなかったらしい。
姉ちゃんの分もあるって言っていたから、母さんからのものだってすぐに分かった。
俺は本当に弱い。もっと強いものかと思っていたら全然違った。弱すぎだ。
その封筒の中身を読んで、泣きじゃくった。今も涙が止まらない。
どうして2chに書き込んでいるのかもよくわからない
誰かに聞いて欲しいからかな。誰かに何か言って欲しいからかな。

「 アツシへ
お母さんがこんな手紙を書くことなんてなかったからさぞかしビックリしているでしょう。
アツシも知っている通り、お母さんは後三ヶ月くらいなんだってね。
今のお医者さんはすごいね、余命をすぐに言ってくるなんてね。
時代は変わりましたね。
お母さんがお婆ちゃんを亡くした時は、ひた隠しにされたのにね。こっちの方がスッキリしていいかもね。
お母さんね、もっとアツシとナミを見ていたかったんだけどね。ごめんね。
あと三ヶ月しか見れないのか、うーん、残念だよ。
アツシ、旅行に連れて行ってくれるって言ってたしね。
お母さん、北海道がいいな。
美味しいものを家族で食べに行きたいじゃない。
それで小樽にも行ってみたいんだ。
アツシ、お母さん頑張って元気になるから、その時は北海道旅行をよろしくね。



あなたは家族思いの良い子です。言葉遣いは汚いけど、それが照れ隠しなんてお母さんはちゃんと知っているんだからね。
だてにあなたを23年間も育ててきた訳じゃないんだから。あなたとナミは私達の自慢の子供です。
あなたもいずれ親になって分かると思います。自分の子供がどんなにかわいくて仕方ないか、絶対に分かる日が来ます。
お父さんが頑張って働くのも、お母さんがご飯を一生懸命に作るのも、あなたたちがかわいいから。あなたたちを愛しているから。あなたたちと幸せを創り上げたいから。それが親心だよ。アツシも絶対に分かるはずだよ。
けど、お母さん、子供孝行出来てないよね。あと三ヶ月の間に出来る事って何かを考えたんだけど、お母さんバカだから分からないや。ごめんね。
だから、この手紙はあなたたちに謝りたくて、今こうして書いているの。
無責任な親だね、無責任なお母さんだね。ごめんね、お母さん無責任で。
アツシ、お母さんの子供で幸せでしたか?
お母さん、自信がないな。お母さんなりに頑張ってきたつもりだけど、自信ないよ。
だから、この手紙を読んだら、素直にお母さんに言って。
お母さんの息子で幸せだったか、素直に言って。
もし、幸せだったなら、お母さんもっと頑張っちゃう。
もし、幸せじゃなかったんなら、お母さんもっともっと頑張っちゃう。
大好きなあなたたちの為に、お母さんは頑張るよ。エイエイオーって頑張るよ。
あなたたちを授かって良かった。本当に良かった。
お母さんは幸せ者だね。幸せすぎるね。

あ、しつこいけど、お母さんは夏くらいに北海道行きたいな。
家族で行こうよ、北海道。きっといいところだよ。美味しいものたくさん食べようね。
アツシの運転する車で、北海道をぐるぐる家族四人でまわるの。ステキでしょう。
期待してるよ、アツシ。ナミには別のものを頼んであるから一人だけの手柄なんかにしないこと!
夏に家族四人で北海道行こうね、お母さん頑張るよ!!

字が汚くてゴメンね。
お父さんも、ナミもアツシも、お母さんはみんな愛してるよ。幸せだよ。

                                アツシのお母さんより      」

って。書いてあった。



これで最後です。
俺は忘れてはいけないことがあります。
俺が自己満足で書き込んで、それに対しての温かい言葉、煽り、
全てにありがとうと言いたいです。

みんな、ありがとう。

母さんを北海道に連れて行けなかったことが残念でなりません。
そして、弱い俺はいまだに涙を流しっぱなしです。
家族を大切にして下さい。愛情を素直に受け取って下さい。
小さな幸せを大切にして下さい。恥ずかしがらずに「ありがとう」と言って下さい。

俺はみんなに感謝しています。みんなの優しさにひたすら感謝です。
夏が過ぎて秋になって、冬になって、どんどん季節が廻ります。
その中での「ありがとう」って、誰にでもあるはずです。
素直にありがとうと言える事は素晴らしいことです。
涙が流せるくらい、美しいものです。

みんなありがとう。

母さんありがとう。






「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?FLASH
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133



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149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:23:57.81 ID:jEftDiJ40

  明日の俺へ

  今日の決意を忘れないでくれ。俺は変わりたいんだ。
  けっこういい年になっちまったけど、それでも変わりたいんだ。

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