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関空での奇跡

2014年、その年は二度のインド訪問で五ヶ月間インドに滞在しました。
一回目は何度も訪ねているインド最南端タミルナド州の児童養護施設、二回目はその北西に隣接するカルナータカ州のビジャプールという町にあるコスモニケタン日印友好学園という学校です。
コスモニケタンは日本の公益社団法人アジア協会が支援する学校で、ここに三ヶ月半駐在し、日本の支援者の方たちと子どもたちとの里親制度を構築するサポートをしました。

学校に通ってくる子どもたちはみな貧しい家庭出身ですが、彼らの笑顔は一様に明るく、日本からの珍客である自分にとても優しくフレンドリーに接してくれました。
学校や寮では子どもたちと日々戯れ、村を散策し、人間が幸せに生きるための暮らしというものを身近に感じ、たくさんの楽しい思い出とともに、それは自分にとって一生の宝物です。

コスモニケタン

三ヶ月半の任期を終えて帰路についたのは9月末です。
コスモニケタンから日本までは気の遠くなるような長い道のりで、ビジャプールから寝台バスでバンガロールに出て、バンガロールで一泊、国内線でデリーに飛び、そこから国際線に乗り継いで日付けを越えて関西国際空港へ向かうという三泊四日の旅路です。
航空会社は荷物がたくさんある関係でエアインディアを利用し、預け入れ荷物はバンガロールから関空まで直行します。
途中デーリー観光をするぐらいの乗り継ぎ時間があったので、盗難に遭ってはいけないと考え、貴重品はすべて預け入れ荷物の中に入れました。
そして関空に着き、預けた荷物を受け取ろうとすると、二個預けた荷物の内すべての貴重品を入れたバッグが見当たりません。
荷物受取所で一人去り、二人去り、とうとう自分一人になっても荷物が出てくることはありませんでした。

しばらくすると飛行場の係の女性が三名出てこられ、いろいろ手を尽くして調べてくださったのですが、どうやらその貴重品の入ったバッグは関空には届いないようです。
日本円の入った財布、手帳、ケイタイ、パソコン、カメラ、ビデオ、・・・それら貴重品がどうなったのか調べようがありません。
係の方がケイタイ電話を貸しくださり奈良の知り合いの電話番号を調べて電話をしてみましたが、残念ながら留守中で話をすることができませんでした。
まったくの文無し、ケイタイなし、連絡先も分からず関空から一歩も出られない、・・・もう完全にどうすることもできない八方塞がり、人生最大級の危機と言っても言い過ぎではない状況です。

けれどその時、ふとあの貧しい村で暮らす子どもたちの姿が頭に浮びました。
学校には近くの村から徒歩や自転車で通ってくる子どももいれば、スクールバスや公共バス、またバイクで送ってもらう子どもや、学校の隣にある寮で生活している子どもたちもいます。
そして田舎ですのでどの子にとっても外国人は珍しいのでしょう、自分の家に来て欲しいとたくさんの子どもたちから声をかけてもらい、その子たちの家を何軒も訪ねました。
子どもたちの家は部屋がいくつもある一戸建てもあれば、土間のような一部屋に家族数名で暮らしているところもあります。
そんな様々な暮らし向きの中で、最も貧しい暮らしをしている子どもたちでも臆することなく自分を招いてくれることには救いを感じました。

下の写真は、そんな一間の家に招いてくれた時のもの、右の写真真ん中の女の子とその右の弟、
そして両親と家族四人で暮らしています。(左の子はクラスメートです)
みんなは土間の上に直接腰を下ろし、自分にだけはまな板に短い脚を付けたような椅子(?)に座らせてくれました。

インド

部屋の奥にあるかまどのようなところでお母さんがお湯を沸かし、お茶を入れ、もやしにカレー味を付けたような炒め物を振る舞ってくれます。
それをどんな風に食べるのか、全員の視線が自分に集まります。
そしてそれを口に入れ、「美味しいよ」と言ってニッコリ微笑むと、みな安心して嬉しそうな表情を浮かべてくれました。
貧しくて質素でも心のこもった接待、これに勝るものはありません。

関空で完全にどうすることもできなくなった時、この時の様子、たくさんの子どもたちの明るい笑顔が頭に浮び、こんなトラブルで落ち込んでいる自分が急に恥ずかしくなってきました。
自分は三ヶ月半子どもたちから何を学んできたのか・・・、こんなことでショックを受けていては、あの貧しくも日々明るく生きている子どもたちに顔向けできないではないか・・・、そんな思いが胸に浮んできたのです。
自分が子どもたちから学んだこと、それは、
『貧しくても日々明るく生きていくことができる、そしてその明るい気持ちこそが幸せなのだ』
ということです。

そのことを思い出し、今この瞬間生きている、そしてどうにかして広島に戻ればまた普通の生活を送ることができる、その“事実”をあらためて感じ、
『生きてる、ただそれだけで幸せなんだ・・・』そんな思いに満たされました。

するとどうでしょう、まったく突然、これまで感じたことのない至福とも呼べる深い幸福感、安堵感がお腹の底から泉の如く湧き上がり、全身を包み込み、すべての不安が一瞬にして消え去ってしまったのです。
まるで悟りを開いて浄土にでも行ったかのような感覚、あふれんばかりの歓喜、『すべて満たされている』という思いと確信、至福感、恍惚感に全身が満たされました。
最悪の状況の中、これは生まれて初めて味わう『至福体験』です。

『幸せとは周りの条件によって左右されるものではない。
 自らの心の内から湧き出てくるものなのだ』
そのことを歓喜とともに自らの感覚として理解することができました。

すべての不安が払拭され至福に包まれる、こんな不思議な体験があっても、それで目の前の絶望的状況が変わるわけではありません。
このままではどうしようもないということで、係の方に連れられて上の階にあるその方たちの事務所の方に行き、中に入れてもらえるわけでもなく、その事務所の前にあるソファーに腰を下ろしました。
その時、iPadがカバンの中に入っていることを思い出しました。
関空はフリーWiFiがあるので自由にインターネットやメールができます。
取りあえずはお世話になったアジア協会の田中さんにメールをしようと思い、やおら文字を打ち始めました。
そして何気なく顔を上げると、なんと目の前にその田中さんがおられるのです。

なんという奇跡でしょう。
田中さんは自分を迎えに来てくださったそうですが、
いつまで経ってもゲートから現れず、ケイタイにも連絡が
付かないのであきらめて帰ろうとされ、その時にローソン
の看板を見つけ、おにぎりでも買おうと上まで上がってこら
れたのだそうです。
その時の田中さんは自分にとってまさに救いの女神でした。

田中さん

田中さんとは二時間近く喫茶店で話をし、田中さんは13キロ痩せた自分の姿を見て、精悍で若々しくなったと言ってくださいました。
そしてその田中さんからお金を受け取り、無事に広島に戻って来ることができました。
後日行方不明だったバッグもデリー空港で見つかり、数日後に手元に戻り、すべてはトラブルなく無事解決しました。
このバッグ紛失トラブルのお陰で、コスモニケタンでいかに多くのものを自分の中にもらったのか、幸せに生きる上で何が最も大切ななのかということを感じ取らせてもらうことができました。
そしてこれはそれを伝えるための神様からの恵みであったのだと信じています。

『幸せ、それは自らの心が創り出すもの』 『幸せは、得るものではなく感じ取るもの』
そのことを教えてくれたコスモニケタンの子どもたちに心から感謝します。