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2018年8月23日 ・・・ 短略思考が日本を滅ぼす

今週月曜日、埼玉で行われる自衛隊のイベントが、
日本共産党の要請によって中止になったということがニュースになりました、

「子供の迷彩服試着は不安」共産党要請で自衛隊イベント中止 埼玉・鴻巣

8/20(月) 20:21配信 産経新聞

 埼玉県鴻巣市の「エルミこうのすショッピングモール」で20、21日に予定されていた自衛隊のイベントが、日本共産党鴻巣市委員会などの要請で中止されたことが20日、分かった。

 イベントでは自衛隊の子供用迷彩服の試着体験などが行われる予定だったが、市民に不安を与えるとして同委員会が15日にショッピングモールの館長に中止を求めていた。施設側が自衛隊埼玉地方協力本部にイベントの中止を申し入れ、同本部が受け入れた。

 中止となったのは「夏休み特別企画!自衛隊と警察ふれあいフェスタ 2018」。イベントでは自衛隊や県警の合同採用説明会や軽装甲機動車の展示などが行われる予定だった。

 館長に中止を求めたのは同委員会のほか、日本共産党鴻巣市議団、新日本婦人の会鴻巣支部、平和遺族会鴻巣支部などで、同党の鴻巣市議は「商業施設で子供たちに迷彩服を試着させるのは違和感があるとの市民の声もあり、要請した」と話している。


平和ボケ日本、ここに極まれり、
このニュースを目にし、そのあまりの脳天気ぶりに愕然としました。

ここで言う不安とは一体何なのでしょう。
今の日本の日常で、不安を感じずに暮らせるのはなぜなのでしょうか。

今の日本は平和な状態が長く続きすぎ、
「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われるように、
日本が何もしなければ、自然と平和な状態が続いていくものだと
一部の人たちは深く信じ込んでいます。

けれどそれは世界の非常識であることは、
地域、民族紛争が多発し、数多くの難民が生まれている
世界の現状に目を向ければ容易に分かることです。

日本は他の国々とは海を隔てた島国で、
他国の侵略を受けたことがなく、
自らの手で領土を守るという意識が著しく欠如しています。

日本固有の領土である尖閣列島に中国の船が大挙して押し寄せても、
それが今後どの様な事態に発展するかということよりも、
その領土を守ってくれている米軍のオスプレイが
極めて低い確率で民家の上に落ち、被害が出ることの方が、
何より心配でならないのです。

もっともこのことは、反日マスコミによる意識誘導といった面があります。

尖閣列島を自国の領土にしようと狙っている中国が、
なぜ一気に侵攻してこないのか、
それは日米安保条約があり、米軍が沖縄に駐留し、
日本が自衛隊という兵力を保有しているからに他なりません。

過去中国が無防備なウイグルやチベットを侵略し、
どのような残虐行為を行い、
何百万人という罪のない人たちを殺戮してきたのか。

その事実の上で、
中国はなぜ日本に侵攻してこないのか、
それを抑止するものは何なのか、
沖縄基地反対、オスプレイ配備反対を声高に叫ぶ人たちに、
真剣に問いかけてみたい思いです






真の不安とは、スーパーで子どもに迷彩服を着せることではありません。
日本が今置かれている状況を覆い隠し、
国防意識を低下させ、他国が侵攻してくる危機を招くことです。
これは現実問題として十分ありうることであり、
このことをよく理解してください。

どうしても理解できないという方は、
上の二本の動画をご覧ください。


子どものうちからこういった現実を知らせることは極めて重要です。
それは平和とは、
まさに未来を生きる子どもたち自身のためにあるからです。

そんな大切な場を、一部の人間からクレームが来たからという理由で
中止にするというのは極めて残念です。

中止を申し入れた日本共産党は、
与党として政治を司ることが目標ではなく、
「確かな野党」をスローガンに反体制であることを標榜しています。

ですから体制に対する批判、クレームは強烈ですが、
その体制を守る側は理を通し、
筋道の通らないクレームには毅然とした態度で
対処していただきたいと願います。

昨今は社会問題化するほどクレーマーが多くなり、
すべてが事なかれ主義の方へと流されていて、
これはとても危険なことです。


さらに日本共産党についてこんなことがありました。

<綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕されていた!>

これはこの火曜日に配信されたニュースです。
29年前、東京の綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件
そこで行われた少年たちの凶行は苛烈を極め、
当時日本中を震撼させ、今も人々の心に中に強烈に残っています。

その犯行グループの一人だった元少年「湊伸治」が、
このたびはあろうことか殺人未遂事件を起したというのです。

そのニュースの中で日本共産党の名前が出ています。
29年前、当時事件の舞台となったのは東京の密集した住宅地、
犯行グループ一の一人である湊伸治が暮らす一戸建てのその家は、
隣家とは人がやっと通れるぐらいの隙間しかなかったと言います。

記事の中でこう述べられています。

「当時16~18歳の少年が、見ず知らずの17歳の女子高生を拉致し、40日間に亘り監禁した上、なぶり殺し、遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、江東区の埋め立て地に遺棄した――鬼畜としか思えぬ犯行でした。しかも彼らが監禁に及んだ部屋は、少年の両親が同居する実家の2階の自室。その少年こそ、湊伸治(当時16歳)です。両親は共産党系の診療所に勤務し、父は診療所の経営する薬局の薬剤師、母は看護士でした。2人とも共産党員だったため、警察への対応も筋金入りでした。家宅捜索も弁護士立ち会いの下で認めるという具合で、そのために捜査が遅れたと言われたほどでした」(社会部記者)

権力の暴走を抑えるという意味で、
反権力集団の存在は重要です。

ただし権力に立ち向かい、批判の声を上げ、権利を行使するのであれば、
自らの襟を正して臨むことは最低限の必要条件です。

このことで日本共産党の姿勢を全面的に否定することはできませんが、
あの押し込められた二階の部屋で日々地獄の時を過ごし、
最期は自らを殺してもらうことを望んだという被害女性の無念を思うと、
激しい憤りを感じずにはおれません。


最近は『キレる若者』という言葉があるように、
自分の感情が抑えられず、ちょっとしたことですぐにキレ、
後先を考えない凶行に及ぶという異常な犯罪が、
若者を中心に増えています。

こういった感情を抑えられない、
短略化した思考を持つ人間が増えた背景には、
日本の伝統文化の崩壊、食や労働を中心とした生活様式の変化、
人々の価値観の変容といった様々な要因が考えられ、
この短略化し、物事を深く考えられない思考というものは、
社会全体を誤った方向へと導く極めて大きな危険性を持っています。

なぜならば、キレる人たちを見ると分かるように、
思考が短略化して物事の表層しか見られない人間ほど、
問題解決への道は単純なものだと思い込み、
過激な方向へと走る傾向にあるからです。

またそういった動きは、
同じく深い思考のできない周りの人たちを引き込む強い力を持っています。


大きな社会テーマになっている憲法論議は、
日本の行く末を決めるとても大切な問題です。
この大切な論議が、実に浅い次元で行われていることをとても残念に思います。

過去まだ若者だった頃、自分は左翼的平和思想を持っていました。
日本の軍国主義が戦争を引き起こし、
日本が武力を持つことは戦争を誘発し、
それを放棄することによって他国もそれを認め、
戦争のない平和な世界が築けると。
一種の性善説です。

当時は周りの若者を中心とした仲間も、
同様の考え方を持った者が多かったように記憶しています。

けれど少しずつ年齢を重ね、
世の中の実相が見えてくるに従って、
左翼的被虐史観は日本人の持つ自尊心を崩壊させ、
日本を大国の属国たらしめようとする
占領政策を色濃く反映したものだということに気づくようになりました。

また性善説は、その価値観を共有する世界ではうまく働くことができますが、
そうではない価値観を持つ世界の中に於いては、
それは悪を誘発する大きな危険性を持つものになりかねません。

相手を信用して武力を放棄したら、
相手はその善を感じ取って悪い行いはしないと信じるのは、
世界的非常識であり、
家のドアに鍵をかけなかったら泥棒は来ないと考えるのと同じことです。
事実はその逆、鍵のかかっていない家を狙って泥棒はやって来ます。



憲法九条は平和憲法であり、
それを保持することが世界の平和につながると言う人は、
是非ともそのことを論理で説明していただきたいと思います。

彼らは『憲法九条 イコール 平和憲法』であると頑なに信じ、
改憲論者をあたかも侵略主義者、
戦争を賛美する人間であるかのように非難します。
けれどそれはまったく事実に反します。

現在自分の周りは、
いわゆも右翼、日本を愛する人たちがほとんどとなりました。
特段そういった人たちだけが集まるところに行っているのではありません。
自分なりの良識を求め、同じ志を持つ者が集うようになると、
自然とそういう形になったのです。

いわゆる右翼的と呼ばれる思想を持つ周りの人たち、
自分が知るその人たちの中で、
戦争が起きたらいいとか、日本は覇権をふるって他国を侵略すべくだと
考えている人は誰一人いません。

世界中から戦争をなくしたい、
今の平和な状態が続けばいいと願い、
その上で憲法を改正し、
自国の防衛手段としての兵力を保持すべきだと考えているのです。

憲法論議の争点は、
どのようにしたら今の平和を維持でき、
戦争を起きないようになるかということです。

けれど『改憲論者は戦争賛美者』と信じ込んでいる人たちとは、
この当たり前の論議にすら入ることができず、
表層の水掛け論に終始してしまいます。


たしかに、右翼の街宣車などを見ると、
愛国精神は戦争賛美で恐ろしいとイメージするのは致し方ありません。
けれどここで考えていただきたいのは、
なぜ右翼の街宣車は周りの人たちに
あのような恐ろしいイメージを与えるのかということです。

あの街宣車を見て、
国を愛すること、天皇を敬うことは素晴らしいと感じる人はいないでしょう。
それは当然彼らも分かっていて、それが彼らの狙いです。

彼らは愛国者集団ではなく、その逆で、
『愛国 イコール 恐ろしいこと』という、自らの国を蔑み、
国を愛することを否定する精神を植え付けることが目的の反日集団です。
実際に彼らの中には日本国籍を有しない者が多数含まれています。

『街宣車は恐ろしい、だから右翼は危険』
こういった短略的思考は持たないようにしてください。


最後にこれも大切な問題、原発についてです。
原発事故によって放たれる放射能は目に見えないものであり、
身体を内部から蝕み、
それゆえに人間の根源的恐怖心を駆り立て、
それが正常な判断力を失わせる原因ともなります。

原発は完璧ではなく、事故を起す可能性を含んでます。
そしていったん事故を起したならば、
大きな被害が出ることがあり、
これは原発のデメリットであり、事実です。

けれどそうだからと言って、
原発をストップすれば幸せになれるかというと、
そんな単純なものではありません。
それは短略化し過ぎた思考です。

原発問題を正しく捉えるには、
原発のメリット、デメリット、
それとともに、原発をストップした際の
メリットとデメリットをも考えていく必要があります。

福島第一原子力発電所の事故は甚大なものでした。
その安全管理には大きな問題があり、
直後の対処方法も最適であったとは言えません。

けれどここで最も大切なのは、それを非難することではなく、
そこから何を学び、どう活かすかということです。
福一の事故から大きな教訓を得られるのであれば、
それをしっかりと検証し、
それでもって今後原発事故の危険性が激減するのであれば、
それを活かしていく方法を考えていくべきです。

それを検証せずして、原発は恐ろしいからストップというのであれば、
それは論理的思考とは言うことはできません。


脱原発を願う人たちは、
原発再稼働を望ましいと思う人たちを金の亡者のように言いますが、
実際に稼働可能な原発を停め、
他の発電方式で電力をまかなおうとした場合、
どれだけのコストがかかるのか、
これを正しく計算した上で判断しなければなりません。

ただこれにはいろんな考え方や計算式があり、
簡単には結論の出ない問題です。


そして最も大切なこととして考えなければならないのは、
原発の持つ危険性とともに、
脱原発の持つ、その危険性です。

『原発の放射能は恐ろしい』、そのことを強く考える人は、
原発をストップすれば安全が手に入ると単純に考えているようですが、
実際はそんなことはまったくありません。

原子力による電力供給をストップすると、
今現在の風力、太陽光など代替エネルギー源による
電力確保が難しい状況では、
どうしても化石燃料による発電方式に頼らざる得ません。

この化石燃料による発電は大量の大気汚染物質を発生します。
世界に於ける大気汚染による死者は年間610万人と推計され、
その一割程度が化石燃料の発電によるものと考えられます。


また石炭の採掘で年間一万人以上が亡くなり、
化石燃料の発電は地球温暖をも招き、その影響は未知数です。


ですから、原発は危険で、脱原発は安全・安心だという
理論的根拠はまったくありません。

にも関わらず、それを感情的に訴えることは、
表層的な感情、感覚だけで物事を判断させ、
人間の思考能力を低下させる印象操作と呼べる愚かな手法です。

またまた日本共産党の例ですが、
近くの家の壁にはこんなポスターが貼られています。



これを見た何も知らない善良な市民は、
原発、放射能は恐ろしい、
その恐ろしさの元凶である原発をなくせば平和な暮らしが手に入る、
そう単純に考えるでしょう。
またそう思わせるのがポスターを制作した日本共産党の狙いです。

自分は原発を強力に推進したいと願っているのではありません。
原発は、遠い将来はなくしていかなければならないものだと考えます。
けれど今の段階では、福一事故の検証をしっかりと行い、
その上で、これまでより格段に高い安全性を確保した原発を
再稼働していくことが必要だと考えています。

さらにはエネルギーの安全保障の問題を、
これからも感情論抜きで、
深く論理的に話し合っていくことが必要だと考えます。


その国の政治のレベルは、その国民の意識の表れだと言われます。
今の政治の場は、テレビのワイドショーを見ても分かるように、
スキャンダルや失策を題材に、
対抗勢力の足を引っ張ることがメインとなり、
とてもこれからの日本を考えた
重要指針を建設的に話し合う場とは言えません。

今のこのような状態を作った原因は、
政治家か国民か、どちらが先かはよく分かりませんが、
政治家も人気稼業と考えるならば、
感情論、短略化した思考の方が国民の受けがいいと判断すれば、
政治家もそういった思考にならざるえないという面があります。

大切な国会での質問時間を低俗なスキャンダル追求に費やす議員に、
国民が選挙でノーを突きつけたなら、
議員の姿勢も変わらざるえません。
けれど現状そうなっていないのは、
やはり国民、有権者自身のレベルもその程度ということでしょう。


究極、自分は変えることができても、他人は変えることはできません。
自分にできる唯一のことは、
自分自身の意識と行動を変えていくことです。

今は時代の大きな転換期、長く続いた古い制度や価値観が崩壊し、
それに換わる新たなものが生まれてくる時代です。

そしてそれに上手く対処していくためには、
素直な目で物事の本質を捉えなければなりません。
先入観を持ち、感情的、短略化した思考でもって対応していては、
新たな時代の流れに乗ることはできません。

“キレる”とは、頭で捉えたことを瞬間的、感情的に爆発させること、
求められているのはこの逆です。
頭で捉えたことをしっかりと噛み砕き、肚(はら)に落とし、
じっくりと時間をかけて判断することです。

深い思考とは、肉体的には四感を司る器官のある頭部から、
身体の中心軸を通って下半身にある丹田、肚まで
しっかりと落とし込むことです。


これからは東洋の時代、
その中で、東洋の盟主である日本は極めて大きな役割を担っています。

短略思考は日本だけではく世界を滅ぼし、
自分自身をも滅ぼす道を造ることです。

そのことを肚に銘じてください。

2018.8.23 Thurseday  
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