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2018年2月2日 ・・・ 免疫寛容

十年ほど前、家の近くの図書館で、
1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進博士と
立花隆が対談した「精神と物質」を手にしました。

精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫)
立花 隆 利根川 進

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学生時代からの研究者としての歩み、
学者としての姿勢、学会や研究の流れ、
その時々の分子生物学の発展の詳細が述べられていて、
とても興味深い内容です。

図書館で手にした時には冒頭しか読むことができなかったので、
いつか全文を読みたいと願い、数ヶ月前に購入し、
つい数日前に読み終えることができました。
学術的内容が多く含まれていて、読むのにかなり時間がかかりました。


その中で、これは生物学的には初歩的知識だと思うのですが、
「免疫寛容」という作用があるということを知りました。
これは心、意識の中でも同じ働きがあるものです。

免疫寛容とは正式名 免疫学的寛容現象と言い、
特定の抗原、一種の外敵のようなもの、に対し、
免疫反応を起こすことができなくなった状態です。

通常は、外部からの菌やウイルスから生体を守るため
自己でないもの(非自己)に対して免疫反応が起き、
それを排除しようとしますが、
それを受け入れてしまうことが免疫寛容です。

二卵性双生児というのは遺伝的に同一ではありません。
その二卵性双生児の牛の間で皮膚移植が成功し、
その原因を調べると、
胎児期に血管が癒合し、それぞれの赤血球の一部が混ざり合い、
本来非自己と認識されるはずのもう一方の赤血球を、
自己と認識して受け入れていたということが分かりました。

これは胎児期、あるいは出生直後の免疫能力の低い状態の時に
侵入して起こるものです。


免疫は、体内に侵入しようとする菌やウイルスから身体を守るため
なくてはならない自己防衛システムです。
これがなくては生きていくことができません。

これを心や意識というものに例えると、
好き嫌いの感情や、その人独自のものの考え方というものが
広い意味で免疫に相当するでしょう。

よく「心のブロックを取り払おう」とか「心の壁を乗り越えよう」
と言いますが、このブロックや壁というものも、
その存在の善し悪しは別として、
自己に入ってこようとするものを防ぐ免疫作用と言うことができます。

だとしてら、心の壁やブロックというものも、
一概に悪と決めつけるのはおかしいなことだと言わざるえません。


人間の脳の処理能力には限界があり、
身の回りのすべての情報を受け入れることはできません。
ですからそこにどうしてもフィルターを設けざるえません。

人間の脳の重さは体重の約2%ですが、
その消費エネルギーは人体の基礎代謝の二割を占めています。
そして脳はその持てる能力のほんの数%しか使っておらず、
もしこの脳をフル回転させたなら、
人間の持つ消化器系では全必要エネルギーを供給することができず、
脳がその能力を制御し、
適度な“免疫作用”で外部からの情報をシャットアウトするのは
やむを得ないことです。

初めて海外旅行で訪れた地は、
見るものすべてが新鮮で、
目に入ったものすべてを脳に焼き付けようと働きます。

日々同じルートを辿る通勤時の風景は見飽きたものであり、
目を向け、視界には入っているものの、
脳はその視覚情報を受け入れようとはしません。

外部情報のフィルターという意味で、
これは脳の免疫作用と言えるでしょう。
  (免疫とは疫を免れるという意味、
   外部情報は必ずしも“疫”ではありませんが ・・・ )


免疫寛容が起こる胎児期、出生直後は、
まだ自己が確立されていない、ある意味無防備な状態です。

これも心や意識に例えるならば、
知人が提唱する「ホワイトボード理論」、
進学や就職、結婚等で社会環境、家庭環境が大きく変った時、
その初期の段階で身についたものは、
将来的に継続して残っていく確率が高いというのに相当します。

大きく環境が変った時には心の中は不安であり無防備で、
その中で自己をどう確立していったらいいのか戸惑う時期です。

鳥の雛が出生直後に見たものを親と認識してどこまでもついていくように、
その時に与えられた価値観や行動規範は免疫寛容となり、
自己のそれとなりやすいのです。


心の壁、ブロックを取り除くことは、
100%素晴らしいことばかりではありません。
通常スピリチュアルワークなどで取り払うそれは、
自己を規制する偏見やこだわりといったものでしょうが、
中には以前問題となった宗教法人 法の華三法行のように
「頭を取れ!」などと言って、
自分たちにとって都合のいい理屈を相手に刷り込ますことに
利用されかねません。

大切なのは、自分は何を受け入れ、何をプロックすべきなのか、
それを感じ、自らの意志と感性でコントロールすることです。

今日は金曜日、毎週参加している早朝の異業種交流会
積極人間の集いがある日です。

会でははじめにその日のゲストスピーカーのお話を聴き、
その後参加者全員が一言スピーチをします。
その時に参加者一人一人の個性豊かな意見や感想を聞くことができ、
その人たちのお人柄とともに、自分の個性、
自分が他の人たちとは違うどんなフィルターでもって話を聴いているかが
よく感じ取れます。


心の免疫寛容は、周りの環境が大きく変った時だけではなく、
自らの意志があれば、いつでも起すことが可能です。

人間にはみな個性があります。
外からの情報、それらすべてを受け入れることは不可能です。
この二つの大前提を踏まえ、
ブロックするもの、自らの意志で免疫寛容するものを
感じ取っていくことが大切です。

そのための大切なひとつの方法が、
昨日書いた三木成夫氏の唱える植物性器官を大切にし、
その意志を尊重することです。

これは頭で考える思考ではなく、
腸という消化器官から発せられる心の奥のメッセージ、
真我と呼べるかも知れないその意志に耳を傾けることです。


免疫とは、自己と非自己を見定めることからはじまります。
では自己とは何なのか、それは頭(脳)で考えていては分かりません。
宇宙に直結した腸から感じ取ってください。


<追記>

三木成夫氏は、こんなことも話されます。

我々は内臓の中に心を持っています。
腸は宇宙と直結し、
そこから出るウンコは宇宙全体からあなたに届いた便りです。
ですからウンコのことを大便、大いなる便りと書きます。
そしてそれは心の状態をも表し、
ウンコの形を見てください。
“心”という字と似ているでしょう。 ...... (#+_+)


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2018.2.2 Friday  
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