ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2017.8.17



ヨガナンダ



2017年8月17日 ・・・ 愛は地球を救わない

今年の夏も少しずつ終わりを迎え、
毎年恒例の24時間テレビが放送される日が近づいてきました。

『愛が地球を救う』をテーマとした同番組も、
今年で第40回とのこと、
39年前の第一回放送の頃はまだ18歳で、
大学で社会福祉を学んでいた友人とサテライト会場となっていた
日本初の複合型ショッピングセンター奈良ファミリーに行き、
いくらかのお金を募金したことを覚えています。

昨年はちょうどこの番組の「絵になる障害者を探せ!」といった
指向に対するアンチテーゼでもあるかのように、
『感動ポルノ』という言葉が話題となり、
NHKが裏番組の「バリバラ」で、
「障害者に感動は必要なのか」というテーマを伝えました。
  <2016.9.1 感動ポルノ>

今年もまたNHKは24時間テレビに対抗するかのようなテーマで
バリバラを放送するようなので、
それについて今から興味のあるところです。

24時間テレビのあり方については賛否両論ありますが、
福祉のあり方について問題提起をしているという点については、
確実に価値のあるものだと感じます。


二ヶ月ほど前、ある勉強会で、
中東在住歴の長い報道関係の方から、
現在の中東情勢、イスラム教の宗派対立などについて詳しい話を聞きしました。

中東は日本からは遠い地域で、
民族、宗教、歴史、何をとっても島国の日本とは大きく異なり、
聞くことすべてが斬新なことばかりです。

テロ集団として問題となっているイスラム国についても話されましたが、
中東の民族問題について詳しく事情を知るその講師の方にとっては、
イスラム国の行っている過激に行動について、
ただ一方的に非難することはできないようでした。

「私は別にイスラム国の肩を持つつもりはありませんが ・・・ 」、
こんな前置きを何度も繰り返しながら、
イスラム国が過激な行動を取らざるえない事情というものを話されました。

自分は中東に行ったことはありません。
またその講師の方の話が信じるに値するものかどうかを
判断する能力もありません。

ただこれまでの人生経験から、
どんな集団の原理にも、
その中に必ず “理” というものが存在するであろうと考えています。

過激なテロや自爆攻撃を繰り返すイスラム国、
あるいはボコ・ハラムやアルカイーダ、
これらは本当に100%悪の組織と言えるでしょうか。

誤解を恐れず言うならば、
同じく自らの命をかけて “敵” と戦った日本の神風特攻隊や赤穂浪士、
これらは100%正義と言えるのでしょうか。

みな自らの信じるもののため生命をかけて行動しています。
それに対して善悪や正義かどうかを決めるのは、
どこかに普遍のものとして存在するであろう倫理観ではなく、
歴史の上の勝者となったものの判断です。

『歴史は勝者が作る』ものであり、
大きな歴史の流れや戦争に於いては、
正義や善悪といったものは、後からいかようにも決めることのできるものなのです。


倫理観を尊ぶ日本人は、正義という言葉を好んで使います。
日本語の正義を英語に訳すと「justice」ですが、
この「justice」という単語で画像検索すると、
このような女神の像が出てきます。



「justice」の語源は天秤の釣り合いを表す「just」であり、
それを剣を持った女神が裁く(justice)というものです。

そしてその正義(justice)の剣を持つもの、
それは普遍的な倫理観ではなく、
東京裁判におけるアメリカ軍のような強者であり勝者なのです。
  <まだ戦後は終わっていない>

「justice」の中には、日本語の正義にあるような倫理観は存在しないのです。


そんな倫理観なき世界情勢の中、
いつ終わるともしれない憎しみの連鎖、紛争を終結させるには
どうすればいいのでしょう。

その勉強会の講師の方は、
「それは愛です。 愛の力です」
と明確に語られました。

その勉強会は女性中心の会合で、
会場にいるのは講師と自分以外はすべて女性、
ほとんどが主婦の方たちといったメンバーでした。

その集まった女性たちはその “愛” という言葉にいたく心を打たれたようで、
神妙な顔をして、さかんにうなづいておられる様子でした。


その後懇親会があり、
たまたま自分の席が講師の方の真向かいだったので、
あえてその愛という言葉について、
自分の持つ考えを述べさせていただきました。

愛というのはとてもきれいな言葉ですが、
愛という言葉の持つ意味は、人によって様々です。

人は愛のために生き、愛のために死ぬことも、
また愛のために人の命を殺めることさえあります。

愛というのは幅広い意味を持っています。
最も身近なものは肉体的な愛、エロスの愛、
モノや肉親、恋人や権威、そういったものに対する執着も愛のひとつです。

逆に最も尊い愛はアガペーと呼ばれる神の愛であり、
これは信じるものにとっては絶対的、至上のものです。

このアガペーをロゴス(論理・概念)として示されたものが
神の言葉としての宗教の教義になるのですから、
西洋的なアガペーを至上とする人たちにとっては、
自ら信じるもの、愛を守るために、人の命を奪うことすら善となりえるのです。


ではなぜその会に集まった多くの女性たちが、
その愛という言葉に即座に深い共感を受けたのか。
それは日本人、特に女性の中にある愛というものの概念が、
極めて “生命” に近いものであり、
その愛を人類すべてが共通して持つことができたなら、
無益な血を流す争いは終わりを告げるだろうと、
直感的に感じたからではないかと思われます。

けれど愛の概念は極めて幅広く、
その女性たちが胸に抱いている愛の概念と、
他人と、また世界中の人たちとが語る “愛” という言葉の概念では、
大きく異なっているということを知らなければなりません。


つい先日、タモリも『愛が平和を妨げる』ということを語っていることを知りました。

戦争が無くならない理由はなんだと思う?

それはな、人間の中に『好き』と言う感情があるからだ。
そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。
また、好きな物を奪った奴を憎んでしまう。
ホラ、自分の恋人をレイプした奴を『殺したい』と思うだろ?

でも、恋人のことを好きじゃなかったら、攻撃に転じることはない。
残念だけど、人間の中に『好き』と言う感情がある以上、この連鎖は止められないんだよ。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。
ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 
難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?



愛が悪いわけではありませんが、
肉体的次元の愛、エロスの愛を強く持つところから執着が生まれ、
憎しみ、奪い合がはじまります。

至上の愛、アガペーも、
信じる神やロゴスが違えば、そこから命を奪い合う争いに発展してしまいます。

愛は深く広いがゆえ、
両刃の剣になりえるのです。

愛は地球を救う、その手助けとなる可能性はありますが、
その逆に、滅亡へと導く危険性をも秘めています。


では地球を救うためには何を目指し、何を尊ぶべきなのか、
それは全人類が共通して普遍のものとして持っているものであり、
既存の道徳観や倫理観、宗教観ではなく、
最も身近でシンプルなもの、
“生命(いのち)” です。

生命とは、この時空の森羅万象を律するものであり、
法則であり、パワーであり、 “すべて” です。

そしてそれを知ることが、生命を尊ぶことなのです。

2017.8.17 Thurseday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.