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2017年7月23日 ・・・ 救いの雨

日本全国梅雨が明けて夏本番、
広島も連日厳しい暑さの日が続いています。

夏の風物詩のひとつが大きな打ち上げ花火です。
広島は市内の川沿いであった太田川花火大会というのが
十数年前になくなり、
今は市内で行われる花火大会は、宇品という港で行われる
広島みなと夢花火大会ひとつになってしまいました。


昨日22日はその宇品の花火大会が行われ、
会場の近くである自宅の周りは、
花火大会に向かう人たちでごった返していました。

家のすぐ近くに大きなショッピングセンターがあり、
花火大会の日はそこまで車で来て、
そこから市内電車に乗り換えて会場へと向かう人が多いのです。

若い人たちのグループ、家族連れ、
最近は浴衣姿の女性もよく見かけ、
みんなウキウキと楽しそうにしておられます。

けれど今の家に住むようになって十数年経ちますが、
いまだ宇品の花火大会を見に行ったことがありません。
一緒に見に行く世代の仲間がおらず、
ものすごい人出で、一人でぶらぶらと行くようなところではないからです。


打ち上げられる花火を自宅から直接見ることはできませんが、
直線距離で2.5キロほどしかないので、
花火が爆発する音は盛大に耳に入ってきます。
家で一人で聞く花火の音というのは、なかなか寂しいものがありますよ ・・・ 。

昨日も少し薄暗くなりかけた午後7時頃、
大きな音が一発響きました。
もうこんな時間からスタートかなと思ったら、
『本日開催』の合図のようなもののようでした。

本番は午後8時スタート、
何発も続けざまにバーン、バーンと大きな音が響き渡ります。
それはまるで数十メートル先で大太鼓を打ち鳴らしているようで、
腹と胸に染み入ります。

打ち上げ花火の強烈な音は、
見ている人たちみんなの夢を乗せた巨大なエネルギーです。
その音に乗せて花開く色とりどりの炎を何万人という人たちが眺め、
思い思いの夢を膨らませていることでしょう。

その音の大きさは一人では決して響かせることのできないものです。
たくさんの人たちの思いが集まったその力強さを、
花火の音から感じ取ります。


昨日は午後から雨が降るという予報だったのですが、
幸いなことに花火開始まで雨粒が落ちてくることはありませんでした。

けれど開始から三十分ほど経った午後7時半頃、
ポツポツと小さな雨音が聞こえてきたなと思ったら、
ほんの十秒ほどの間に雨脚が強まり、
ザーッという音とともに激しい雨が降り出しました。

夏の夕立というのは一気です。
その雨音を聞いて花火は中断かと思いましたが、
まるで激しい雨音に抗うかのように、
また続けて何発かの花火の音が遠くから聞こえてきます。

雨音に邪魔されているものの、
バーン、バーンという大きな音の響きは変わりません。

けれど花火にとって雨は大敵です。
その美しい炎のアートが雨によって色褪せてしまっていることは、
見ていなくても十分に想像できます。

人間の力は偉大な自然の前では無力です。
さっきまであれだけ強烈に感じられた花火の音が、
実に寂しげで悲しげな弱々しいもののように響きます。

その激しい雨脚はしばらくの間続いていました。


本当に正直に心の内を明かせば、
花火は中止になってくれた方が、
家で一人寂しく音だけを聞くことはないという思いがあります。

本当は花火大会の時はどこか遠くに行ってしまいたい、
そんな気持ちです。

これは否定することのできない人間の弱い面であり、
自分の中にはそんな弱虫なところがたくさんあります。


昨日は午前中世界遺産宮島に行き、
仲間とともに島内六ヶ所の公衆トイレを掃除してきました。
宮島のトイレ掃除は2009年に始まり今年で九回目です。

今回は知り合いが小さな子どもさんとともに参加してくれました。
小学一年生のおとなしい女の子で、
最後の挨拶では、「来年もまた来たいですか?」という質問に、
大きな声で「ハイ!」と答えてくれていました。
その姿がとっても可愛らしかったですね♪


そのお子さんがお父さん一緒に宇品の花火を
見に行ったかどうかは分かりませんが、
激しい雨の下、花火大会の会場に集まっている人たちの姿を
頭の中で思い描くと、
その子や、浴衣姿の可愛い子どもや若者たち、
はたまた関係のないインドの子どもたちといったたくさんの姿が頭に浮んできて、
その子たちの雨に濡れて可哀想な表情を思うと、
胸が締め付けられるように苦しくなりました。

なんとかこの苦しみから逃れたい、
その子たちのためではなく、自分のために雨が止んで欲しい、
そう願い、自分にできる方法で懸命に雨が止むことを願いました。

その願いが届いたのかどうか分かりませんが、
二三分して雨脚が弱まり、
その後雨は完全に止んでくれました。


人の幸せを願えるのは何よりの幸せです。
けれど人はなかなかそうはなれず、
ねたみ、そねみといった感情を持ち、
自分で自分を苦しめ傷つけています。

フエイスブックやツイッターというSNSと積極的に関わる人は、
自分を幸せと感じられなくなるという報告をよく目にします。
SNSに書き込まれる日常は、
ほとんど上澄みのようないいところばかりであり、
人間はそんな他人の幸せと自分とを比較し、
落ち込み、自己否定の感情が湧いてくるのです。

自分も内面にそんなところを強く感じるので、
SNSとは、トイレ掃除の告知以外ではほとんど関わらないようにしています。


花火大会で雨に見舞われた方たちは大変だったでしょう。
けれど通り雨でおさまり、
雨の降らない天候の有り難さを身を以て感じられたことと思います。

自分も昨日の雨のお陰で、
心の切り替え方というものを感じ取らせてもらいました。
自分にとってはまさに『救いの雨』でした。


晴れの日もあれば雨の日も。
雨を題材にした歌はたくさんあり、
人の心は天候によって移り変わり、
そこからいろんなことを感じ取るのですね。

最近はこの曲がお気に入りです。



2017.7.23 Sunday  
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