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2016年8月8日 ・・・ 平和を思う

被爆地ヒロシマで暮らしていると、
平和という言葉がまるで日常語であるかのように身近に感じます。

そんな中でもやはり八月は特別な時であり、
8月6日、広島の原爆記念日の前後には、
平和に関する様々なイベントが催され、
平和への思いをあらたにします。

広島に原子爆弾が落ちて今年で71年になりました。
今はもう日本国民のほとんどが原爆や戦争の悲惨さを直接知らない
戦後世代となり、
平和の尊さを継承していくことの大切さが声高に叫ばれています。


けれど戦争がいかに悲惨であるか、
平和である今という時がいかに幸せに満ちているのか、
そのことは、いかに理論理屈で説いたところで、
実際に己の身で感じなければ分からないことです。

自分自身を振り返ってみても、
8月6日前後の最も思い出深いことといえば、
今から21年前の1995年、阪神大震災、サリン事件があった年、
8月6日の夜、被爆50年を迎えた広島平和公園の元安川を流れる
色とりどりの美しい灯籠を初めて見た時、
その年の三月に亡くなった母のことを思い、
灯籠のひとつひとつの灯(ともしび)は人の命の灯なのだということを痛感し、
人の命の哀れさ、儚さが強く胸に響いた、そのことです。



広島に暮らし、たくさんの被爆者の知り合いがいて、
数え切れないほどの被爆証言を聞き、
平和公園を日常的に訪れている自分でさえも、
原爆関連の行事の中で最も深く心に残ったのは、
戦争とはまったく関係のない母の死についてなのですから、
人間はいかに他人事には無関心なのかということを、
己の愚かさを振り返って痛切に感じます。

けれど人間は誰しもがこのような愚かさを持っていて、
それを知り、その上で他人と関わっていことが戦争をなくす唯一の道だと考えます。
己のみが正義と信じ、他人をいさめるところから争いは始まります。


今から十年ほど前、平和を愛する数名の方たちと京都を訪ねました。
ちょうど桜のきれいな季節で、みんなでお花見をし、
立命館大学の国際平和ミュージアムを見学に行きました。

そのグループの中にちっちゃなお子さんを二人連れたお母さんがおられ、
自分はその子たちとすぐに仲良しになり、
みんなでミュージアムの見学をしている時も、
子ども二人の手を引いて館内を歩き回ったのがとてもいい思い出です。

その時お母さんがこんなことを言われました。
「自分は子どもを産んで母親となり、初めてこの子たちのためにも平和な社会を作らなければならないと思い、真剣に平和を考えるようになりました・・・」

『人は愛すべき人、守るべき人を持った時、初めて平和について真剣に考える』
これは真理だと思います。

この世の中で最も尊いものは命です。
愛すべき人、守るべき人の命、これはこの上なく大切にしなければなりません。
けれどもこれが、愛すべき神、愛すべき教え、ドグマ(教義)、
さらには愛すべき領土、権利、利権、・・・となり、
それらを命をかけて守ろうとした時には、
愚かな人間同士では収まりのつかない
永遠の争いへと発展してしまいます。

人類は有史以来急速な文明の発展を遂げましたが、
最も尊ぶべき命との接し方は、太古の時代からほとんど進化していません。
むしろ退化したとも言っていいぐらいでしょう。

誤解を恐れず言うならば、
現代人は、まるで幼児が高性能のライフル銃を手にしているようなものであり、
その恐ろしいライフル銃による惨禍が広島、長崎に落とされた原子爆弾です。

『己の愚かさを知る』、『何よりも命を尊ぶ』、
被爆71年を迎えた広島で思うのはこの二つです。


今年も広島で行われた平和イベントのいくつかに参加したり関わってきましたが、
そのひとつが、8月5日、原爆記念日の前夜、
原爆ドーム前の元安川に灯されたかがり灯の祭典です。



五基のイカダ、15灯のかがり灯の炎が元安川の川面を美しく彩り、
川岸から見ている人たちの胸に鎮魂の思いを深く刻み込みました。
本当に美しくも厳かな光景です。

原爆記念日前後に平和公園を訪れたことのある方ならお分かりだと思いますが、
この頃の平和公園は特別な空気が流れています。
人類史上二十世紀最大の事件、
14万人の犠牲者を出した原爆が投下されたという事実は、
何十年経っても消えることがありません。

このかがり灯の模様は、
翌6日の毎日、読売新聞両紙の一面に写真付きで紹介されました。
また5日深夜には、Yahoo! Japan のトップページにも
写真付きのトピックスで掲載され、
苦労してこの日を無事終えられたことを深く安堵しました。

この日のかがり灯の様子はまだ動画編集ができていないのですが、
7月16日に行われたリハーサルの様子は、
スタッフ用にYouTubeに上げています。
どんな段取りで行っているのか、よかったら見てください。




今日8日は平和公園の中にある国際会議場に行き、
平和イベントを見てきました。
この写真、ちっちゃいですが、13名の被爆者の方たちによるフアッションショーです。



洋装、和装、色鮮やかなウエディングドレスに身を包み、
十代の若者たちにエスコートされ、
お一人ずつステージの上を闊歩し、ポーズをとり、微笑みを振りまいておられました。

被爆71年を迎え、参加された被爆者の方たちは七十代、八十代、そして九十代と、
みなさんご高齢の方たちばかりです。
被爆都市広島で戦乱の中を生き抜き、
みなさんこのような美しいドレスを身にまとうのは初めてとのこと、
婚礼の時でも当時は特別な衣装を着る余裕などなかったでしょう、
今日のこのステージに立つその喜びはいかほどのものでしょうか。

ステージではお一人ずつ司会の方から名前を呼ばれ、ご紹介を受け、
ステージを歩いた後は、小学四年生の可愛いフラワーガールから
真っ赤な一輪の花をそれぞれ受け取られました。

そして全員の紹介が終わった後、
被爆者の方たちが手に持ったその花を、
今度はエスコートしてくれた若者たちへと手渡しました。
これは被爆体験、戦争の悲惨さを伝える語り部の継承という意味です。

今日のイベントは、広島の若者たちが平和の思いを継承していこうと
「青い空ヒロシマ」という絵本を作り、
その発表の場でもありました。
  <絵本「青い空ヒロシマ」 HPS国際ボランティア>

その作者である若者たちの代表の言葉です。
「さらなる被爆者の高齢化が進む中、昨年の被爆70年までは、被爆者の方が直接原爆や戦争について語る年でありましたが、今年71年目を迎え、これからは次世代の私たちが被爆体験を語り継がなければなりません・・・」

広島は今年の5月、アメリカの現職大統領であるオバマ氏を迎え、
原爆投下71年目にして極めて大きな節目を迎えました。
広島の周りの人たちも、
ほとんどが平和に向けての大きな一歩を踏み出したと感じています。

今年は広島カープが好調ですが、
それもオバマ大統領の広島訪問により、
広島が霊的に向上したからと言われる方がおられます。
真偽は定かではありませんが・・・。

そういった意味でも今年の広島は、
新たなる被爆体験継承、第二ステージのスタートの年といってもいいかもしれません。

それにしても二十歳前後の若者の口から、
「これからは次世代の私たちが被爆体験を語り継がなければなりません・・・」
という頼もしい言葉を聞けるとは思いもしませんでした。


若者たちの言葉に刺激され、
自分でもできる限りの平和メッセージを発信していきたいと心に誓いました。

数年前から広島の役割ということについて考えていて、
身近な何人かの人たちにはそのことを伝えていたのですが、
先日ある会合でそのことを話したら、ほとんどが年配の女性でしたが、
とても大きな共感をくださり、今一度そのことをまとめ直し、
大きく発信していきたいという思いになりました。

また近日中にこのホームページでもそのことをご紹介できるでしょう。


イベントの最後は、大好きな広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏でした。
可愛い子どもたちのマリンバ演奏はこの上ない活気に満ちあふれ、
聴いていて心躍ります。
これぞ最高の音楽の喜びです。



子ともたちから感じる音楽の喜びとは、
身体全体から発散する命の喜びであり、輝きに他なりません。

その命も平和であればこそ保たれ、継承されます。
最も尊いものは命。
そのためにも平和であることは絶対条件です。

2016.8.8 Monday  
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