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2015年8月28日 ・・・ インドを思う

今日インドの友人ヒラマスとスカイプで話をしました。
彼は昨年三ヶ月半滞在した学校のスタッフの青年で、
最近スマホを買い換えたのか、やっとスカイプができるようになりました。

彼は今学校を離れプネという街で研修を受けているそうです。
プネは彼が勤めている学校のあるビジャプールから
約200キロほど離れた都市ですが、州が異なるため、
話されている現地語も異なり、
彼はあまり得意ではない英語を使って研修を受けています。


インド人の逞しさ、逆境の中でも明るく生きていく強さには
目を見張るものがあります。
それは本来人間ならば誰しもが持っているものかもしれませんが、
この点は、日本人も大いに見習わなければなりません。

昨年滞在したコスモニケタン日印友好学園の子どもたちは、
貧しい暮らしをしながらも、それを恥ずかしいと思うことなく、
さかんに自分の家に来るよう、たびたび声をかけてくれました。

わずか六畳ほどの土間のような部屋、
そこに両親と子ども数名が肩寄せ合うように暮らし、
そこに入っていくと、部屋の奥にあるかまどで火を起し、
お茶を入れ、あり合わせの総菜を出して歓待してくれました。

あの時、お茶を飲む自分の姿を嬉しそうに微笑みながら
見つめていた子どもたちの顔、
どんなに貧しい暮らしをしていても、
その笑顔の輝きには一点の曇りもありません。



彼らから教えてもらった本当の幸せ、喜び、
そして豊かさとは何であるのかということ、
このことは、今も心に深く刻み込まれています。


南インドは熱帯で、多少肌寒い時期はあったとしても、
一年を通して寒さに震えることはありません。

コスモニケタンには寮があり、
四十名ほどの男の子たちがそこに寄宿し、学校に通っています。
ヒラマスは併設の工業技術学校で教師をしながら、
寮の子どもたちの面倒もみていました。

寮の子どもたちが暮らす大部屋にはベッドも机もありません。
あるのは私物が入った鍵のかかる大きなトランクケース、
それと寝る時に敷く薄いシーツ(タオル)だけです。

子どもたちにベッドがなく、硬い床に直接寝るのは可哀想だと
日本人的感覚だと思うのですが、
インドではそれが当たり前です。

極貧の子ども時代を過ごしたヒラマスは、
障害を抱えた姉を含めた家族七人がひとつの部屋に暮らし、
子どもの頃寝る時は、硬い床にシーツを敷いたことなどなかったそうです。


   学校行事でヒラマスから花輪を受け取りました。

一年ぶりに彼の声を聞き、明るい顔をスカイプで見せてもらい、
彼をはじめ、たくさんのインドの人たち、子どもたちからもらった
“幸せの本質” のようなものを、再び思い出すことができました。


インドではカメラはとても大切なコミュニケーションツールです。
インド人はみんな写真が大好きで、
学校でも、ホーム(児童養護施設)でも、町でも市場でも、
写真を撮ろうとカメラを構えても、それでいやがられることはほとんどありません。
逆にみんな大喜びし、貧しい村では、
おばあさんが孫の手を引っ張ってきて、
「この子の写真を撮ってくれ」と頼まれてしまうほどです。

ホームでは写真を撮ると、できるだけそれをプリントし、
子どもたちに渡すようにしています。

子どもたちは自分の幼い頃からの写真を大切に持っていて、
それを嬉しそうに披露してくれるのですが、
枚数はほんの数枚程度、日本でいうサービス判程度の小さなそれらの写真は、
何度も手に取っているからでしょう、たいていはボロボロになっています。

そんな状態ですから、子どもたちにとって写真はまさに宝物のようなもの、
子どもたちに写真をプレゼントした時の喜びようはまさに大はしゃぎで、
渡した方もとても幸せの気持ちになるのです。

子どもの頃の姿は一過性のもの、
その頃の写真は、将来どんなに頑張ってもお金を積んでも、
ほとんどの場合手に入れることはできません。

今年ホームを訪ねた時、
二百名ちょっとと最も子どもたちの数が多いトリチーのホームでは、
ほとんどの子どもたちに写真をプレゼントすることができなかったので、
来年もしっかりいい写真を撮り、子どもたちみんなにプレゼントしたいと考えています。




今日のNHKのネットニュースで、親と娘が一緒の写真を撮り、
インド社会に根付く女性差別をなくそうとする運動が報じられていました。
  <「娘と写真」で社会を変える インド NHKニュース>

「娘と写真」で社会を変える インド


インドの農村で村長を務める1人の男性が、娘と一緒に撮影した「セルフィー」=自分撮りの写真を共有することで、社会に根強く残る女性差別をなくそうというキャンペーンを始め、注目を集めています。
キャンペーンを始めたのは、インド北部ハリヤナ州の農村で村長を務めるスニル・ジャグランさんです。
ジャグランさんはことし6月、フェイスブックを通じて娘と一緒に自分撮りした写真の投稿を呼びかけたところ、インド全土から予想を上回る2000枚の写真が投稿されました。
ジャグランさんがキャンペーンを始めた背景には、インドの農村部に根強く残る女性への差別があります。農村部では家や財産を継ぐことができるのは男性だけという考え方が強く、娘より息子が重んじられ、娘には十分な教育の機会を与えない親も少なくありません。
さらに、結婚の際に、花嫁の親が花婿の親に多額の持参金を渡す慣習があり、娘が産まれてくることが分かると中絶を選ぶ親すらいます。持参金は法律で禁止されていますが、効果はありません。
ジャグランさんが住んでいる地域では、男女比率のバランスが崩れ、結婚相手が見つからない若い男性が増えています。社会に根づいた価値観を変える必要があると感じたジャグランさんは、娘との自分撮りの写真をほかの多くの親たちと共有することで、女性を大切にしようという機運を盛り上げたいと考えました。
キャンペーンは大きな反響を呼んで国のトップをも動かし、インドのモディ首相はその趣旨に共感して国民に参加を呼びかけました。大きな後押しを受けたジャグランさんは、1人でも多くの人に参加してもらおうと、ほかの地域に出向いて娘との写真の撮影会を開催しています。
貧しい地域では多くの人が娘と写真を撮ったことさえなく、ジャグランさんがスマートフォンを使って撮影すると、自然と笑顔がこぼれていました。
参加した父親は「娘との写真を見て、改めてかわいいと思いました。大切に育てていこうと思います」と話していました。
ジャグランさんは「写真には人々の心にある娘への愛情が、笑顔という形で表れます。親たちが娘を大切にしていることが伝わるのです。国民皆にキャンペーンへの参加を呼びかけて、女性への差別をなくしたいですね」と話していました。



インドは経済発展が著しく、ほとんどの大人がケイタイ電話を持ち、
それが徐々にスマホへと変わりつつあります。
写真が大好きなインド人は、そのケイタイやスマホで写真を撮り、
ネットから音楽や動画をダウンロードし、いつも楽しんでいます。

けれどその陰では、時流に乗れない人たちも数多く存在します。
“貧しい地域では多くの人が娘と写真を撮ったことさえなく、ジャグランさんがスマートフォンを使って撮影すると、自然と笑顔がこぼれていました”

こういった現実があるからこそ、
ホームの子どもたちに写真をあげると大喜びするのです。


インド社会が抱える闇は日本人の想像を絶します。
女性差別は結婚後も続き、夫を亡くし寡婦となった女性は、
大きな社会的制約を受けたり、
夫を火葬する火の中に入り、妻が焼身自殺することを強要するサティや、
持参金(ダウリー)が少ないということで妻を殺すダウリー殺人も横行しています。
  <インド: 忘れ去られた女性たち(6月23日は国際寡婦デー) - YouTube>

そんなインド社会を少しでもよくしていくためには、
日本でトイレ掃除活動をする者として、
まずはどこに行ってもゴミだらけの町の姿を変えることだと感じています。

けれどゴミや汚物を清掃する仕事は、
カースト制という身分、職業差別によって、
代々最も身分の低いものがする仕事とみなされていて、
一般の人が、たとえそれが家の前だとしても自らゴミを拾うことはありません。
  <インド:カースト制度が強いる生業としての排泄物清掃 - YouTube>


現在のインドの人口は13億人弱、
インドの人口はこれからも増加することが見込まれ、
たぶんここ数年のうちに中国を追い越し、世界一の大国になるものと予想されます。

経済の伸びも順調で、
経済的破綻を間近に控えた中国を押さえ、
今後はアジアの盟主になっていくことは間違いありません。

そのためにも、今のインドの抱える前時代的不合理な社会的習慣は、
すぐにでも手放すことが求められています。

そんな中、日本人である自分に何ができるのか、
そのことを日々模索し、インドの明るい未来を頭の中に思い描いています。

インドの可愛い子どもたちの笑顔はこの上なく輝いています。
その笑顔の輝きを絶やしたくない、
それが自らが持つ強い願いであり、
たくさんのことを教えてもらった彼らにできる唯一の恩返しです。

2015.9.27 Sunday  
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