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2014年1月29日 ・・・ 言葉はいらない

一昨日の夕方、ローフード研究家のリンゴちゃんこと河野孝江さんに誘われて、
広島で最高の憩いの場所「赤い屋根」を訪ねました。
  <りんごのブログ>

インド行きの準備で忙しかったのですが、
赤い屋根に誘われて断るわけにはいきません。
市内中心部で彼女の車に乗せてもらい、
車で20分ちょっとの北の高台へと向かいました。


赤い屋根に着いたのは午後6時過ぎ、
日はすっかり暮れ落ち、
赤い屋根の前の道路から街の灯りが瞬いている様子がきれいに見えます。

店の階段を昇ると、
ママさんが窓際に飾っている白いシクラメンの鉢を
部屋の中へ移動させているところでした。

冬の夜は寒いのでシクラメンたちは部屋の中で過ごし、
朝は7時頃、特に寒い日は少し遅らせて午前10時の開店直前に
窓際に並べるのだそうです。

椅子の上にきれいに並べられたシクラメンを眺めながら、
空いている席に腰を下ろし、
ガラス越しにキレイな夜景を眺めました。

以前このホームページに、
赤い屋根のガラス越しに見る夜景は、
外から直接見るよりも美しいということを書きました。

一昨日もやはり、ほんの少し反射して映る店内の様子とともに見る夜景は、
街のほのかな灯りに赤い屋根の暖かな空気が加わって、
単なるモノからひとつの作品に変わったような、
そんな特別な血の通った温もりを感じました。

リンゴちゃんが赤い屋根に来るのはまだ二度目ですが、
もうこの雰囲気にすっかり魅せられてしまったようです。

自分も何を話すわけでもなく、、
視線はずっと外を見つめ、
ゆったりと流れる時を楽しんでいました。

「ここは時間が止まっている」
赤い屋根を訪ねた多くの方が同じことを言われます。

ここで過ごす一時は至福の時間です。
いろんな雑念が消え去り、今この瞬間の自分と対峙させてくれます。

店の中と外とを隔てる窓ガラスは、
お店をオープンした35年前のものが今も使われているそうです。
その窓ガラスは最新型のサッシではなく、
旧来の職人さんの手によるガラスだから、
そこを通す景色に何か暖かみのある風情を感じるのかもしれません。

けれど、本当にそうなのでしょうか。
赤い屋根で飲むコーヒー、水道の蛇口から出る水、音楽、灯り、景色、・・・
そのすべては赤い屋根というひとつの “作品” を形作るパーツとしての役割を果たし、
そのすべてに誰しもが特別なものを感じます。

赤い屋根で出していただく水は甘みがあって格別です。
けれどそれはどこにでもある普通の水道水です。

赤い屋根で聴く音楽は心に深く染み渡り、
その音色は音楽マニアをもうならせる素晴らしい響きを醸し出していますが、
ステレオ自体は古い安価なモデルです。

それと同様に、窓ガラスが特別なのではなく、
その窓ガラスに赤い屋根の部屋の様子が映るから、
そのガラスを通して見る外の世界に、
いつまで見ていても見飽きないアナログ的温もりを感じるのかもしれません。


赤い屋根のママさん河手靖子さんは、
いつも可愛らしいにこやかな表情を浮かべ、
カウンターの中で静かに佇んでおられます。

ママさんの方からお客さんに余計な口を挟むことは絶対にありません。
ただみんなの話を聞き、静かにうなずき、
それに対して一言、二言思いを述べられるだけです。

その言葉は自分の思いというよりも、
相手に合わせ、その相手の言葉を受けたものであり、
そこで決して強い自己を主張することはありません。

そんなママさんですが、そのママさんの言葉が、
心に強く響くのです。

ママさんの何気ない一言に心を強く揺り動かされ、
その言葉こそ自分にとって最も必要なものなのだと感じたことが、
これまで何度もありました。

けれどそれはその時だけ、一過性のものであり、
その場その時に聞くからいいのであって、
それをメモして保存しておきたいとか、
録音しておきたいと感じたことは一度もありません。

また不思議なことに、
ママさんの言葉に心動かされたということは覚えているのに、
その言葉自体はどんなものだったのか、
少し時間が経つと定かではなくなってしまうのです。

それは頭から消え去ったというよりは、
あまりにも自然であるがゆえ、
心の中に水のように染み入ってしまったのではないかと感じます。

ママさんの生き方、存在は水そのものです。
どんな人に対しても相手に合わせ、
相手の立場から離れることはありません。

そこになくてはならない存在であるにも関わらず、
時折消えてしまったかと思うぐらい、
その場から気配がなくなってしまいます。

水のように優しい柔らかい言葉が、
相手の心の奥にまで染み渡ります。


それは武道でいえば合気道のようなものなのかもしれません。
自分から激しい攻撃を加えるのではなく、
相手の攻撃を受け、その攻撃の力を利用して相手を投げ飛ばす、
例えは適切ではないかもしれませんが、そんな感じです。

そういう意味では、赤い屋根は、
そこに訪ねてきた人に自分を見つめさせる場所であると言えるでしょう。


赤い屋根ではいつも素敵な音楽が流れています。
それは音楽そのものが素敵なだけではなく、
赤い屋根で聴くから素敵に聞こえるということもあるのですが、
その素敵で気に入っている音楽のひとつに「Secret Garden」 というのがあり、
自分が赤い屋根に行くと、ママさんがいつも気を使い、
「サカイさん、Secret Gardenをかけましょうか?」
と言ってくださいます。

Secret Gardenのヴァイオリンの音色は限りなく潤いがあってなめらかで、
まるで深い森の中で長い命を保っているひとつの生き物のように感じます。



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一昨日もそのSecret Gardenを聴いていると、
ヴァイオリンの音色が店全体を柔らかく包み込み、
そして溶け込み、すべてが一体となった幸福感を覚えました。

美しい木造の店内から見える木は、
すべて濃い茶色で彩られています。
それはヴァイオリンの色と同じであり、
だからこそヴァイオリンの音色がきれいに溶け込むのだと感じました。

またママさんは水のような存在です。
五行の理の世界では、
木に養分を与える水は、木を活かす存在(水生木)であると言われていて、
ママさんは、やはりこの “木の世界” を支えるようになっているのです。


ママさんの存在、口から発せられる言葉は、
言葉であって言葉を越えています。
ですからここに懸命になって赤い屋根のことを書いても、
実際はその上っ面を撫でるようなことしか表現できません。

またその場の雰囲気も、
写真に撮って伝えられるものではありません。
一昨日はそのことを強く感じ、カメラのシャッターを切ることはありませんでした。

言葉では伝えられない。
だからこそ言葉が通じない相手にもそのよさを感じてもらうことができます。

明後日の深夜、南インドチェンナイに着きます。
チェンナイの飛行場にはホームのオーナーであるスレッシュが
迎えに来てくれることになっています。

スレッシュ親娘も二ヶ月前にこの赤い屋根を訪ね、
その美しい、彼らにとっては日本的とも言える空間の素晴らしさを、
心の奥で感じ取ってくれました。



普段言葉という制約の中で生きる現代人にとって、
言葉のいらない世界は究極です。

そしてただ何もなく、何を思うことなく過ぎ行く時を感じられるのは至福です。

それが手に入る赤い屋根という場所が広島にはあります。

インドでも、赤い屋根でも、
ただ本来最も身近で当たり前のことを自然に感じることに、
幸せの源流があるのですね。

言葉はいりません。

2014.1.29 Wednesday  
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