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2012年10月11日 ・・・ 四国

松山から戻り、本来ならば疲れがたまっているはずですが、
なぜか体が宙に浮いたように元気です。
龍源さんからいただいたセラミックが効いているのでしょうか、
不思議な感覚です。

龍源さん、松山ユースの平野大統領、スーハゆうじんさん、
松山、砥部には傑物が揃っています。
こんな変わった人たちは、広島ではちょっとお目にかかれません。

植物さんの三上晃先生はすでに他界されました。
ご本人は亡くなる以前から、
肉体を脱したらこと座のベーター星に行くのだと言っておられましたので、
今頃はたぶんその星でのんびりしておられることでしょう。

ローゼンクランツの貝崎さんも音の真理を探究する傑物ですが、
今は本拠地を東京に移しておられます。


中四国最大の都市であり、
人類最初の原爆投下から奇跡の復興を遂げた広島は、
世界に冠たる平和のシンボルですが、
そこに暮らす人々のパワーは今ひとつのような気がします。

これは土地の気が影響しているのではないでしょうか。
広島と松山を往復すると必ず(!)感じることですが、
船を下り立った時、体で感じる気の気配がふたつの街ではまったく違います。

松山でまず感じるのは土の匂い、
それとほんわかと温かい柑橘系のような温もりです。

それに対して広島で感じるのは、
コンクリートが混じったような粉っぽい空気と、
それに伴う冷たさです。

松山に到着するのはいつも午前中、
広島に帰ってくるのは常に夜が更けてからなので、
その条件の違いはあるでしょうが、
それを割り引いてもその違いは歴然です。


土地の気は、その土地の地形に影響を受け、
それがそこに暮らす人の気質にも深いつながりを持っています。

穏やかな地形の中で暮らす人は、
人間的にも穏やかな人が多く、
急峻な山間部で暮らす人たちは、
性急な気質の人が多いものです。

これは全国どこに暮らしている人たちも、
自分の回りの土地と人とを考えてみれば、
容易に納得できることだと思います。

地質の専門的なことは分かりませんが、
松山、砥部のある愛媛に限らず、
四国は全体的になだらかな山容を持つ山が多いように感じます。
それ故に人間もまた穏やかなのでしょうか。


また四国は、お遍路さんの八十八箇所に代表されるような霊場です。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、
陰と陽、ふたつの八卦は時空すべての象徴ですが、
それを八十と八とし、合わせて八十八として表すこともできます。

霊場四国(死国)にとって、この八十八、または八は、
その土地に与えられた役割を示すシンボルです。

西の愛媛にある石鎚山は、山岳信仰の山として知られ、
四国最高峰を誇ります。
それに続く高峰である剣山は東の徳島にあり、
ここにまつわる不思議な話が数多く語り継がれています。


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知り合いの風水師は、このふたつの霊山が四国の気の中心となり、
8の字を横に寝かしたような形で気の流れが渦巻いていると話していました。

石鎚山のお山開きの日に前泊し、
明け方から白装束を着て山に登ったことがあります。
その時にはなぜか “障り” があって、
顔全体が蜂に刺されたようにむくんでしまいました。
一日で治りましたが、原因は分かりません。

剣山でUFOを見たという話をよく聞きます。
夢に導かれて剣山に行き、
同様に導かれた人同士が出会い、
不思議な洞窟に連れて行かれた話等、
奇妙な話は限りがありません。

剣は三種の神器のひとつであり、
剣山の麓には、剣山が高天原であると刻まれた石碑があります。
剣山には失われたアーク(聖櫃)があるという話もあり、
剣山はやはり高天原、神々が生まれ暮らすところなのでしょうか。

剣山から鬼門(北東)の方角を見ると淡路島があります。
あわじしま、あわとは、五十音の最初の音と最後の音、
これは神を表します。
じとは路、道のことです。
ですから “あわじしま” とは、神の通る島という意味。

その淡路島を通ると神戸がありますが、
神戸はまさに神の扉、
剣山から神の道を通り、神の扉に至るということです。


四国に行くといつも常識外の話題で盛り上がり、
不思議な感覚にとらわれます。

これからは今まで以上に四国に行くことになりそうです。
そこでまたどんな出会いがあるのか、
そしてそれがどのように発展していくか、
今から心わくわく楽しみにしています。

2012.10.11 Thurseday  
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