赤い屋根 〜風がくれた贈りもの〜
「今年の天は筆まめね。雪は天からのお手紙よ」

安佐南区毘沙門台の小高い丘の上に在る喫茶店
「赤い屋根」のママ靖子さんが、哀しみと寒さに震える私に語りかけてくれました。


あれから14年という歳月が流れようとしています。

14年前のあの慟哭の始まり 〜 1995年1月17日阪神淡路大震災の日、
2009年(平成21年)という年が巡って来るなどと思いもよらなかったのに ・・・、
私は心ボロボロに傷つきながらも、その哀しみの歳月を重ね、
今2008年も終わろうとしています。

当時、私には神戸大学2回生で21歳になったばかりの一人息子がいました。

息子が大学に入学する時、寝たきり状態の姑の介護をしていた私を心配して
心を休めるようにと「赤い屋根」を紹介してくれました。
息子が通った安古市高校の通学路に在る「赤い屋根」から眺める景色は
神戸大学が在る六甲台から眺める景色と似ていて、
心が安らぐからぜひ探して行ってみたらどうか、と教えてくれたのです。

しかし、私が「赤い屋根」を訪ねたのは、息子が亡くなって一か月後でした。
息子は震災の犠牲者の一人となり、
世界平和への貢献を願いながらもそれを果たすこともできず、
無念の死を遂げてしまったのです。

その時から私の慟哭の日々が始まりました。

告別式を終え茫然自失の時に流されていた私は、
息子の声を思い出すことができなくなってしまったのです。
喉から胃にかけての異物感、常に心臓を握り潰されているような苦しみ、
愛する息子の声が記憶から取り戻すことができない ・・・、
こののたうち回るような痛みと苦しみは、とても言葉で言い表すことができません。

そんな状態が一か月も続いた2月のある日、思いがけず息子の声が蘇ってきました。


「高校の近くに在る赤い屋根という喫茶店を探してごらん!」
息子の元気な明るい声でした。

私の妹が運転する車で、私たちは逸る心をおさえることもできず、
その「赤い屋根」を探しに出かけました。

団地の中を走り抜け、坂道をぐんぐん登っていると迷うこともなく私たちは
「赤い屋根」 に辿り着いたのです。

息子が三年間毎日通った道の途中に静かに佇む「赤い屋根」を初めて見上げた
あの日あの時の心の昂ぶりを私は忘れることができません。

私たちは車を停め、階段を上って艶やかに磨かれた木枠のドアを開け店内に入りました。

その時急に妹が泣き出しました。
「この曲は・・・」
店内に流れていた緩やかでやさしいピアノ曲・・・
ジョージ・ウィンストンの「サンクスギビング」でした。

George Winston - Thanksgiving


西宮市の下宿先で亡くなった息子を広島の実家に連れて帰るのに、
遺体安置所で検案待ちと霊柩車の確保で三日間もかかりました。
その間、広島の自宅で待機してくれていた妹は、テレビの死亡者リストを一日中視ていました。
亡くなったという事実は確認していたにも関わらず、
テレビ画面に名前が出ないことを願って心のバランスを保とうとしていたのです。

そんな彼女の耳に残っていたのが、
BGMで流れていた「サンクスギビング」のメロディーでした。

何という巡りあわせなのでしょう ・・・、
息子に導かれるようにして探しあてた「赤い屋根」を初めて訪ねた時に、
迎えてくれた音楽が奇跡を感じる音楽であったなんて ・・・。

「貴光がここにいる ・・・」
ただ泣きじゃくる妹、
そしてその妹からその曲のことを聞き、私も共に泣き崩れました。

その日から、赤い屋根と私の深い交流が始まったのです。


お店の広い窓から眼下に広がる広島の街。
天と地の境界線を引く稜線。
その下に帯のように横たわる高速道路。
全てが箱庭のような世界、そのほんの一角に人々は息をひそめるように生きているのです。

私の心が潰れそうな深い悲しみも、高い所から見ると何と小さなことだったのでしょう。

虚しさを覚えながらも、胸のつかえが一瞬取れる時がここ赤い屋根にはありました。

ある日、窓辺に座っていつものように眼下に広がる街を眺めていたら、
突然雪が降ってきました。
雪は上から降ってくるものと認識していた私は、
赤い屋根で下へ落ちてゆく雪を初めて目にして、衝撃を受けました。

雪の日は辺りが真白い世界で閉塞感と孤独感で悲しみが増し辛くなってしまう私でしたが、
閉塞感も孤独感も感じないこの宇宙空間で、私の気持ちは麻痺状態でした。

そんな私を慰めるようにママは語りかけてくれました。

「今年の天は筆まめね。雪は天からのお手紙よ」

その言葉を聞いた私は、その日から雪を待つようになりました。
温もりをいっぱい含んだ真白いお手紙を ・・・。


夕暮れが寂しくて、太陽が西に沈みかけたら涙が溢れていた私。

そんな時、ママは私に聞かせてくれました。

「アルプスの少女ハイジのおじいさんが、夕陽は一日の終わりのご挨拶。
 人はお別れの時、一番美しい心になれるんだよ、と言ったの」

私は夕陽が沈む頃になると、孤独で生きていることが辛かったけど、
その時のママの言葉で、夕陽の美しさに自分の心を重ね、
清らかな気持ちに切り換えられるようになりました。


苦しい時、悲しい時、その深い淵に埋没するばかりでなく、
少し視点を変え、思いを変えるだけで違う世界が開けてくることを私は知りました。

赤い屋根と靖子ママは私の心の故郷であり、宝物です。

その宝物を贈ってくれたのは、六甲の風になった息子・貴光でした。

風がくれた贈りものは、私だけの宝物にするのではなく、
多くの人に伝え、広げ、
皆さんの心の拠り所として在り続けてくださることを心から願っています。

                                    加藤りつこ

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