体外離脱<2>
不思議な体外離脱体験、それは心地よい思いをするのと同時に、
様々なことに対しての気付きを与えてくれる素晴らしいものです。

今から十五年前のことです。
知り合いの家で食事をし、酒を飲み、
そのままそこのソファーで横になり、寝入ってしまいました。

そのとき突然そのビジョンは現れました。

目の前に透明な座禅をしている姿、シルエットが浮かび上がります。

それは自分自身の姿でした。

なぜそれが自分自身だと分かるのか。

それは「目の前にいるのは自分自身だ」
という確信が心の内から湧き上がってくるからです。

その透明な座禅をしている自分の身体、
その基底部(お尻の部分)が光りだし、全身を包み込むように、
その光が少しずつ上へ上へと昇っていきます。

「クンダリーニが覚醒しだした」
そう感じた私は、すぐに心を落ち着かせ、恐怖心を捨てることに専心しました。

クンダリーニとは、基底部にある生命エネルギー。

クンダリーニが覚醒し、背骨を伝って上昇する時は、
体中が炎に包まれた様になるといいます。

そしてその際は、絶対に恐怖心を持ってはいけないと、
知識としては知っていました。

お寺の門の両脇に立っている仁王様
一説によると、仁王様の恐ろしい形相、姿は、クンダリーニが上昇していることを示し、
クンダリーニが上がらなければ、お釈迦様には近づけないということを意味しているとか。

その上昇しだしたクンダリーニ、最後の頭部も白い光で包み、
全身が真っ白になった瞬間、バッとビジョンが切り替わりました。

座禅を組んでいた姿が一転して、横になって寝ている姿になりました。

空から白い光の帯が下りてきます。

その光の帯に導かれるように、横になったまま空中に身体が浮かび上がってきます。

家の屋根を通り抜け、どこまでもどこまでも空高く身体が昇っていきます。

白い光に包まれて、
それは言葉で言い表せないような心地よさです。

その時、耳にハッキリとした言葉で真言(マントラ)が聞こえてきます。

残念ながら、その文言は記憶していないのですが、
流れるようなとても美しい日本語であったことは強く印象に残っています。

ところどころの記憶の断片に
宇宙、地球、浄化・・・
そのような単語があります。

空高く、どこまでも昇っていき、
このまま戻りたくないという気持ちがありましたが、
いつしか上昇が止まり、元の地上の身体の中へと帰っていきました。

目を覚まし、そのあまりにもリアルなビジョンに
しばらくは興奮状態でした。

まだ夜明け前でしたが、
思わず隣の部屋で寝ていた知人を起してしまいました。

とてもそのまま眠る気持にはなれなかったので、
とりあえずは近くにある自宅まで歩いて帰ることにしました。

トボトボと一人真っ暗な夜道を歩いていると、
南の夜空に光り輝く星の様なものが見えます。

その光がゆっくりした速度で東の方角へと移動していきました。

なんなのでしょうか。
飛行機の飛ぶ時間ではないし。

私の魂の故郷であるどこかの星、
そこのなんらかの存在がこのビジョンを見させてくれて、
空の光点は、その証の一端として現れたものと感じています。

その後二年間ほどは、何度も同様の体験をしました。

ある時、その体験の最中に、
「自分の願ったものは何でも見ることができる」
というインスピレーションが湧き、
「自分の魂が見たい」
という願いを持ちました。

すると目の前に黒檀でできたような仏像の頭部が現れ、
目の前をぐるぐると回転したことがあります。

またある時は、
右耳、左耳、右耳と、交互に5,6曲、
耳のすぐ近くで音楽が聴こえてきたことがあります。

どの曲もすべて音楽の種類や言語が異なりましたが、
いずれも極めて生々しいものでした。

一曲だけ、フランスのシャンソンと似たような曲調であったことは覚えています。

これはすべて過去生で耳にした音楽であり、
今生、音や音楽に対して異常に執着心を持つのは、
この過去生からの記憶のせいではないのかと考えています。

その他にも、ある人の魂の声を聞いたり、
光として見たりとか不思議なことが多々ありました。

なぜその時期にそんなことが立て続けに起こったのかよく理解できませんが、
永遠不滅なる魂の実在というものを自分なりに確信できるようになったことは事実です。

そしてそういった体験をしたということは、
そこから何かを学べということだと思います。

歴史の大転換期の今、
様々な真理が明らかになってきています。

新しく蒔いた種が大きく花開く時です。

この数万年に一度の素晴らしい時代、
たくさんのことを学び体験すると同時に、
己の役割をまっとうしたいと心から願っています。

2004.11.16 Tuesday



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