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経済発展著しいインドですが、
人口12億人の社会を底辺で支える庶民の人たちの生活はいまだ貧しく、
実に質素な暮らしぶりをしています。
今回最初に訪ねたカルナータカ州のビジャプールは、
降水量が少なく気候的には厳しいところで、
大地には青々とした木々よりも赤茶けた裸の地面が目立っていて、
同じ南インドでも、ホームのある緑豊かなタミルナド州とはかなり異なります。
ビジャプールには、貧しい家が密集した村が点在しています。
日本の村とインドの村の違いは、
日本の村は広い範囲に家がポツポツと離れて建っているのに対し、
インドの村は、限られた範囲に多くの家が密集しています。
その理由は、村には上水道が通っておらず、
生活に欠かせない井戸のある周りに家を建てる必要があるからです。
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そんな村にはたったひと間に家族数人が暮らしている家も珍しくなく、
部屋の中にキャンプで使うカセットボンベのようなものを入れ、
炊事をそれで行っています。
もちろんトイレはありません。
トイレは小さな水桶を片手に持って、野原の人の見えないところでするのです。
ですからインド人、特に女性はトイレに行く回数が極端に少ないのです。
このトイレのことは、インドの抱える大きな社会問題のひとつです。
コスモニケタン日印友好学園に通っているある男の子の家は、
両親と兄弟たち三人、五人家族で暮らし、
お父さんはクーリー(苦力)と呼ばれる下請け労働をしていて、
月収はわずか6,000ルピー、日本円にして約一万円しかありません。
物価の安いインドとは言え、
家族五人が月6,000ルピーで暮らすのは大変です。
タミルナド州の州都チェンナイにはIT企業が集まっている地域があり、
そこで働く技術を持った若者たちは、
1ラック以上の月収を手にしているとのことです。
1ラックは10万ルピーのこと、
その収入格差はあまりにも大きすぎます。
チェンナイのマクドナルドでは、
こうした高収入の若者たちや、
近くの裕福な子どもたちが通う大学の学生たちでごった返していて、
彼らと貧しい村で暮らす人たちの姿を頭の中で並べてしまい、
なんとも虚しい気分になりました。
いつも行くタミルナド州のホームは児童養護施設であって、
昔言われていた “孤児院” とは異なります。
子どもたちがホームに入ってくる最も多くの理由は経済的問題です。
片親の子どもたちも多くいますが、
家で子どもたちを育て、学校まで通わせるだけの経済的余裕がないため、
ホームから学校に通わせ、
長期休暇の時に子ともたちは村へと帰省するのです。
それぞれのホームには月に一回程度のペアレンツデーがあり、
親御さんたちが弁当やお菓子を持って子どもたちに会いに来ます。
その時は家族みんなで木陰で車座になり、
実に和やかな雰囲気で、
子どもたちもいつも以上の明るい笑顔を見せてくれます。
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家が貧しいからホームから学校に通わせる、
これは日本人が子どもを全寮制の学校に入れる感覚に
近いのではないかと感じます。
それでもやはり小さな子どもが親元から離れて暮らすのは寂しいもの、
だからこそ、日本からの珍客である自分たちにとても親しみを抱き、
なついてくれるのでしょう。
ペアレンツデー以外でも、親御さんを目にする機会はよくあります。
通学路や学校のところで子どもを待っていて、
子どもを抱き寄せながらお菓子を渡す光景は実に微笑ましいものです。
トリチーのホームでは、みんなで隊列を組んで学校に向かいますが、
その通学路の途中にホームに男の子と女の子、
二人の子どもさんを預けている時計屋さんがあり、
その前を通る時はその子と手をつなぎ、
店先のお父さんに向かって「アッパ〜(お父さ〜ん)」と声を上げ、
手を振るのを楽しみにしていました。
時計屋さんといっても間口が1メートル程度の小さな店で、
時計が十数点と電池等の小物類、
電気、音響製品を修理販売しますという案内が出ている、
そんな感じのささいなところです。
けれどそこのお父さんもお母さんも実にいい笑顔をされていて、
何度も前を通っているうちに懇意になり、
近くの店でアイスを食べながら涼んでいると、
「コーヒーを入れたよ」と声をかけてくれるまでになりました。
こんな交流が何より嬉しいですね♪
そこでは、本当は必要なかったのですが、
100ルピー(170円)のデジタル腕時計を買い、
その調整をしてもらったり、電池を二三個買わせてもらいました。
笑顔の素敵なご両親ですから、
子どもたち二人も実に素直で可愛いのです。
その子どもたち名義の預金通帳を、
どういう理由か自分に見せてくださいました。
二冊の預金通帳は、どちらも昨年10月に新規に作られたもので、
それぞれ500ルピーずつ預けられています。
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500ルピーというとわずか850円ほど、
実にささいな金額ですが、
その小さな数字の中にご両親の深い愛情を感じ、胸が熱くなりました。
そしてなぜかご両親の通帳も見せてくださいました。
お二人の写真が貼られたご両親名義の通帳、
そんなのがインドにはあるのですね。
そこには一時は多少の金額が入っていたものの、
今は何度かに渡って引き出され、残高500ルピーちょっとになっていました。
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こんな個人情報を ・・・ とは思いましたが、
インドの庶民と呼ばれる人たちの暮らしぶりを知っていただきたく、
あえて書かせていただきました。
こんな質素な暮らしぶりをあからさまにされたのですから、
必要のない時計も買いたくなってしまいます。
狂ってしまった時計の時間もわざわざ合わせてもらいに行き、
手持ちの100ルピー札をお渡ししても、
お釣りは受け取ることはできませんでした。
何かこのご両親にお土産をと思い、
日本から持ってきた砂時計をプレゼントしました。
時計屋さんだからピッタリです。
そしたらその日の夕方、
子どもたちが下校する時にお母さんがその砂時計を手に持って学校に来られました。
よほど嬉しく感じてくださったのでしょうね。
有り難いことです。
お母さん、左で腕を握っているのが息子さん、
右側の一人おいてお嬢さん、
すぐ右横の女の子はどんな関係だったのかな・・・?
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チェンナイのホームには、
学校を卒業し、町の工場で働くビクラムという男の子がいます。
彼はホームから40分かけて自転車で工場まで通っていて、
その彼がホームにいて自転車が空いている時は、
何度かそれを借りて町まで行かせてもらいました。
ホームにある唯一乗ることができるその自転車は政府支給品らしく、
やはり実に質素なもので、
大昔の日本の実用車といったレベルです。
しかもスタンドは壊れてひもで括られていて、
なんとペダルも左側が壊れていて、ペダルの中心軸となる芯棒しかないのです。
片方のペダルが棒だけだと実に漕ぎにくいものです。
ペダリングはやはり左右のリズムが大切だということを実感します。
そんなオンポロ自転車ですが、
彼にはそれを修理するお金がありません。
ですから自転車を借りたお礼ということで、
町に出た時に自転車屋さんに寄り、
スタンドとペダルを修理してもらいました。
スタンドは大きな新品のセンタースタンドに取り替えました。
ペダルも左側だけ取り付ければよかったのですが、
バランスを考え、左右両方とも新しいものを取り付けてもらいました。
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それだけしてもらって代金は600ルピー、
日本円で約千円、日本の感覚では安いものです。
当然ビクラムは大喜び、何度も感謝の言葉をもらいました。
けれど600ルピーは、
ビジャプールのクーリーの人にとっては二三日分の賃金に相当し、
庶民にとってそうやすやすと出せる金額ではありません。
そう思うと、日本の価値観では安い金額でも、
お金は大切に使わなければいけないと痛切に感じます。
『一円を笑う者は一円に泣く』と言いますが、
円もルピーも、どちらもその尊さに変わりありません。
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上の写真右側がビクラムです。
そして左にいるのがマラルというホームの女性スタッフです。
インド女性の年齢は本当によく分かりません。
彼女は年齢35歳、そう言われればそんな感じだし ・・・ 。
豪放磊落なインド女性、特に庶民的な女性は年齢の概念を超越しています。
チェンナイのホームには女性スタッフが五人いて、
二人は男の子と女の子のコテージを担当するハウスマザー、
二人は調理担当、そしてマラルは今のところ
サイクロンで被害のあった倒木の片付けをしています。
彼女の働きっぷりはなかなかのものです。
斧を右手に持ち、実に正確に倒木の枝にヒットさせ、
木を細かく整理していきます。
やったことのある方ならお分かりと思いますが、
斧は適当に振り下ろしていてはダメで、
狙ったところにV字形の切り込みが入るように左右から狙いを定め、
確実に、そして効率よく枝を切り落としていかなければなりません。
インド人の身体能力の高さにはいつも驚かされます。
そんな彼女と毎日一緒に作業をさせてもらいました。
彼女は英語をほとんど話すことができません。
けれど実に大らかな性格で、笑顔が絶えず、
意味の分からないタミル語を一方的に話しながらも
適当にコミュニケーションを取り、
彼女の側にいるだけでそこはかとない幸せを感じていました。
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そんな彼女の片言の英語によると、
子どもさんは三人いて、
それぞれプライマリーやハイスクールに通っているとのこと、
そんな小さな子どもさんが三人いて、
一人離れて住み込みで働く出稼ぎ労働は、
さぞ辛いことだろうと思います。
けれどいつも明るい彼女からは、
そんな辛さは微塵も感じられません。
もうすぐ学年末が来て、
田舎にはいつ帰るんだとその予定を聞かせてくれました。
また子どもさんたちも三人でチェンナイのホームに遊びに来るそうで、
そんなことも笑顔で話してくれました。
ホームで子どもたちに風船を配っていると、
彼女は子どもたちにもあげたいからと、
風船を三つ欲しいと言いました。
彼女の子どもたちのために、何かいいものを渡せればよかったな・・・、
そんなことを後になって思いました。
ホームを離れる間際、
英語が流ちょうなイングリッシュミディアムに通う子どもから聞くところによると、
彼女の旦那さんは転落事故で生命を落としたとのことです。
ですから必然的に三人の子どもの母親である彼女が一家の大黒柱となり、
こうして家を離れて働かざるえないのでしょう。
たぶん彼女の受け取る賃金は、
先のクーリーのお父さんと同程度だと思われます。
これが社会のひとつのあり方だとはいえ、
やはり胸の痛みを禁じ得ません。
インドには、結婚の際に花嫁側が持参金を渡すダウリという風習があります。
これは地方によってかなり実態の差があるようで、
チェンナイのある女性スタッフの地元ではこの風習が根強くあり、
彼女がもし結婚する時は、ダウリ(持参金)として10ラックス、
つまり百万ルピー、日本円にして百七十万円ほど必要だと話していました。
けれど彼女は貧しく、また彼女には未婚のお姉さんがいることから、
到底結婚することができないと嘆いていました。
彼女の月収は一万円前後でしょう。
ダウリの10ラックスという金額は彼女にとって途方もないものです。
インドではこのダウリを巡って起こる殺人、
ダウリ殺人がよく話題となります。
つまり嫁側が払うダウリが少ない場合、それが原因で婚家でいじめを受け、
場合によっては殺されてしまうことがあるのです。
ある日のインドの新聞を広げると、
そこには大きくベンツの広告が載せられていました。
ベンツの車両価格は日本のものと大差ありません。
先のダウリ10ラックスよりもはるかに高い金額です。
インドでは、10ラックスがまったく手の届かない金額として
高くそびえる人もいれば、
それより高額の現金をすぐに財布から取り出せる人たちもまた存在します。
自由主義経済を悪とは言いませんが、
貧しい暮らしの人たちを身近で見ていると、
貧富の差は不幸を生み出す大きな要因であると強く感じます。
人間の幸不幸はすべてその人の心が決める、
けれど社会からの呪縛は、お金によって大きく左右されることもまた事実です。
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