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食は命の原点





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日本人は戦後数十年の間に大きく体格が変化してきました。
身長は高く、足は長くなり、堅いものを食べなくなった影響で咀嚼器であるあごは細くなり、顔も体もすっかり細面になってしまいました。
変化したのは体格だけではありません。
昔の日本人の写真を見ると、下腹に帯を締め、背筋を伸ばし、臍下丹田(せいかたんでん)とよばれる下腹の部分に力がみなぎり、腰を土台として身体を使っていたことがよく分かります。
昔の日本人は大人も子どもも、今のインドの人たちと同じように、本当の意味での高い身体能力を有していたのです。

ではなぜその日本人の体格、姿勢が変わってしまったのか。
その最も大きな原因は食生活の変化にあると思われます。

南インドに行く前は、食習慣の異なるインドに行くと食べ物が口に合わず、少しはダイエットができるかななどと考えていたのですが、実際に南インドに行ってみて一番強く感じたのはその食べ物の美味しさです。
南インドの食べ物はおおざっぱに言って、スパイスの効いたカレー味のものが多く、料理のバリエーションはそう豊かではありません。
けれどもどの料理もみな “生きている” という感覚があり、味がいいだけではなく、食べていて体が喜び、イキイキと力がみなぎってくるのがハッキリと分かるのです。

南インドでは多くの日本人の旅行者の方たちと出会い、年配の方の中には日本食が恋しいと言われる方もおられましたが、ほとんどの方、特に若い人たちは南インド料理の美味しさとパワーを絶賛していました。
私もインド(とスリランカ)に滞在した一ヶ月の間、日本食を食べたいと思ったことは一度もありません。
逆に日本に戻ると、またあの生気のない料理を食べなければならないのかと思い、意気消沈していたぐらいです。

インドでは生活リズムが変わって寝不足になったり、夜通し蚊に悩まされたり、送風機の風に当たりすぎて体調を崩しかけたりしたことが何度もありましたが、いずれの時も知らず知らずのうちに体調が元に戻り、体の持つ自然治癒力が日本にいる時よりも高まっているのを感じました。
これはひとえに南インドの食べ物が持つパワーのお陰であろうと確信をしています。


私は南インドの食文化が日本の食文化と比べて優れていると言っているのではありません。
日本は豊かな食文化を持ち、世界最高の健康食とまで称えられていることは周知の事実です。
ただ今現在私たちの食卓に並ぶ食品は見た目は豪華でも、 “生きる糧” として考えると、理想からはほど遠い状態になっていて、このことを問題として考えているのです。


今の日本の食生活は “亡国の食生活” です。
日本が今のままの食生活を続けていると、たとえ経済的繁栄は維持できたとしても、そこに暮らす人々みんなが明るく元気で笑顔を絶やさない、本当の意味での豊かな幸せを享受することは決してできないであろうと思われます。
「なにを大げさなことを・・・」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、これは私が頭で考えたことではなく、南インドの空気を吸い、料理を食べ、その時に体の奥底からわき上がってきた感覚ですので、大きな間違いはないと感じています。


今の日本の食生活を改め、本来日本人が持っていた生きる姿勢、身体感覚を取り戻すために必要なことをいくつか考えてみました。

1.食糧自給率を高める
昨今の世界的な穀物価格の高騰、天災等のリスクから逃れるという意味もありますが、
本来食べ物とは “身土不二” 、住んでいるその土地で、その時季に収穫したものを食べるということが原則です。

2.日本の伝統食を復活させる
現在の私たちの食生活は美食に偏りすぎ、動物性タンパク質の明らかなる摂りすぎです。
穀物、特にお米を主食としてより多く食べるようにし、味噌、醤油、漬け物等の良質の植物性発酵食品を昔のようにしっかりと摂る必要があります。
その他ジャンクフード、ファストフードの氾濫等、今の日本の食生活は問題点山積です。

3.命を与えてくれる食品を
ここでいう食品の命とは、西洋栄養学でいうところの栄養素のことではありません。
農薬、化学肥料、様々な添加物を大量に含んだ日本の食品(食材)は、本来食品が持って  いるはずの “生命エネルギー” がきわめて低くなっています。
最近のニュースで、日本の土壌は酵素が少なく、そこから採れる野菜もまた酵素が少ない  のだということを言っていました。
本当に私たちがよりよく生きる上で必要な栄養、パワー、命を与えてくれる食品とは何なの  か、このことを今一度深く考える必要があります。
それと同時にそういった食品を作るための農業、土壌改良が求められます。


栃木県の那須高原で田舎暮らしをスタートさせて5年目。最近、私の食生活に、ある特徴があることがわかった。
不思議と、家にいる時は食事の量が少なくても満足感が得られるのに、外食の場合だと、満腹になるまで食べても物足りなさを感じるということだ。
これは、家の畑でとれた野菜類が、新鮮で生命力たっぷりなせいだと私は推測する。
だから少量で満足できるのだ。
ということは、食事というのはつまるところ、生命力の摂取のための行為と考えられないだろうか?
                        高木美保(タレント、エッセイスト)


2004年12月にスマトラ沖で大きな地震があり、私の訪れた南インドの村でも津波による大きな被害を受けました。
世界中で20万人を超える方が命を落とし、日本人も40名の方が亡くなりましたが、その被害を受けて命を落とした方たちの死体の中で、日本人のものはすぐに見分けがついたそうです。
それはなぜか、日本人の死体はその食べ物の影響で、いつまでたっても腐らなかったのです。


このような現在の日本の食生活は一日も早く見直すことが必要です。

“教育” という観点から考えると、知育、徳育という、私たちの豊かな頭脳や心を育てるための底辺には、その前提として、生きるための正しい姿勢、立腰という本来的な体育教育が求められます。
これは速く走ったり遠くに飛ぶといった筋力トレーニングではなく、生活するための基礎となる内的な体作りともいえます。
そしてその体を作るためには、命ある食を摂る正しい食育が底辺を支える土台として絶対に必要となってくるのです。

幸せのピラミッド

私たちはみな幸せを手に入れるための権利を持っています。
そしてそれを得るために何か新しいものを求める必要はありません。
ただ少しだけ自分の立っている足下を見つめ直し、本当に大切なものは何かということに心傾ければいいのです。

『幸せは得るものではなく気づくものである』という言葉があります。
ほんの少しの間、『便利で快適になり、モノが豊かになることが幸せである』という考え方を頭の横に置き、昔の日本の、今よりも少しだけ不便で貧しかった頃の暮らしを思い出してみてください。
その頃にあって今の私たちにないもの、自然とともに暮らす人間らしい生活の中に、本当に幸せに生きるためのヒントがあるのではないでしょうか。

貧しいけれど自然とともに豊かに暮らす南インドの人たちから、そんなことを気づかせてもらいました。

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