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二度目の訪問を終え

今回二度目のカンボジア訪問から日本に戻り、
今日で12日目になりました。
カンボジアでひいた風邪はいまだ100%完治に至らず、
今もほんの少しセキが出ています。

カンボジアの風邪は強力なのでしょうか、
帰国後すぐにいくつかの大きな会合に出たのですが、
親しい方四人が、その後風邪の症状が出たと訴えています。
原因は分かりませんが ・・・ 。


カンボジアでは風邪で大量の鼻水を出していたものの、
お陰様で体調は特に異常なく、
それで行動を制限されるということはありませんでした。
それでもやはり体調管理には気をつけねばなりません。

昨年からインドに行く時はヨガマットを持参し、
泊まったところでも日本と同様
ほぼ毎日体幹トレーニングをするようにしていたのですが、
カンボジア滞在は短期間ということで、
日々のトレーニングをさぼっていたのも体調を崩した一因かもしれません。

帰国後約二週間ぶりにスーパー銭湯に行き、
いつものように半身浴をしながら肛門を締める運動ムーラバンダをしてみると、
以前よりも肛門の動きが制御しにくくなっているのに驚きました。
やはり日々の鍛錬は大切です。


それとは逆に日本と同様にできたこともあります。
カンボジアの首都プノンペンはWiFiネットワークがどこも完備されていて、
ホテルにいても、ひろしまハウスにいても、
また街中のレストランでもほとんどどこでもWiFiに接続することができ、
日本と同じく快適にインターネットを見ることができました。

ホテルではNHKのテレビも見られるし、
便利と言えば便利ですが、
せっかくアジアの貧しい国を訪れたのに、
外国に来たという意識が薄れてしまい功罪両面です。

これからは東洋の時代、アジアの時代、
伸びゆくアジアの国々と日本との経済、利便性の格差は、
確実に狭まっていく流れにあります。


そのカンボジアの経済発展は、今回の訪問でも強く印象に残りました。

首都プノンペンの道路は慢性的に車の渋滞ですが、
走っている車のほとんどは日本車で、
その中でもやはりトヨタが圧倒的なシエアを占めています。

そして四年前もそうでしたが、
なぜか一般的スタイルの乗用車としてCAMRY(カムリ)が広く普及し、
幹線道路でも、数台続けてカムリが走っているということも珍しくありません。
日本では今はカムリはほとんど見ることはありませんが ・・・ 。

カムリとともに多いのが、
トヨタの上級ブランドであるLEXUS(レクサス)のエンブレムを冠した車です。
通常のセダンから車高の高いRV車まで、
かなり高額であろうレクサスを、
日本でプリウスを見かけるのと同程度の頻度で見かけました。

それだけ十分お金を持っている層が確実に存在しているということであり、
カンボジア人の平均所得や貧しい人々の暮らしぶりを見ると、
貧富の格差はかなり大きいと感じます。

昨年プノンペンにできたイオンモール周辺は富裕層が多く暮らすところですが、
そのエリアはかなり広く、
貧困層と富裕層は、暮らすところやものを買う店に至るまで、
ハッキリと区分された生活をしています。

その富裕層が暮らすエリアは今現在大いに発展中であり、
日本の大都市レベルと比べても遜色ない
立派な住宅街や高級ホテルが数多く建設中であり、その完成の時を待っています。
もし次回プノンペンに行く機会があるならば、
是非そのさらなる発展ぶりを見てみたいと思います。


その反面、貧しい人々の暮らしは相変わらずであり、
ひろしまハウスには貧しさゆえ学校に通えない子どもたちや、
ストリートチルドレンのような境遇の子どもも
無料の授業と昼食の提供を求め来ています。





プノンペン市内中心部を流れるトンレサップ川には、
ボートを浮かべ、そこを住居にする人たちも暮らしています。



今写真を見て気がついたのですが、
左のポートの屋根に乗っかっているのはソーラパネルですね。

カンボジアは年中温暖な気候で、
道路沿いにあるレストランは、
外に向かって開放されているテラス形式のようなものがほとんどです。
そんな開放的なところなので、そこで食事をしていると、
物乞いの人や土産物を売る人たちがたびたび入り込んできます。

店の人もそれを特に拒否することもなく、
他の国はどうか分かりませんが、
これはカンボジアのひとつの文化なのだと思います。

今回は四年前と比べ、物乞いの人は少し減ったように感じましたが、
装飾品やキーフォルダー、絵ハガキ等を売る人たちは、
いつもお金を持っていそうな外国人を見つけては、さかんに声をかけてきます。

その中には、まだ小学校に入るか入らないかの小さな子どもや、
明らかに親子と思われる母親と子どもたち数名という人たちもいて、
そんな子どもたちが、本来だったら親子団らんで楽しく過ごすであろう
夜の遅い時間に、繁華街を商材の入った箱を体の前にぶら下げて歩き回るのです。
これには本当に胸が痛みました。

カンボジアではこういった日常の目に付くようなところだけではなく、
危険な工場での労働や、田舎での農作業の手伝いといった
数多くの児童労働の実態が大きな問題となっていますが、
近年、その解消に向けた取り組みも進んでいて、
確実に改善の方向に向かっています。


人間の幸せとは何かを考えたなら、
貧しさは必ずしも悪ではありません。
貧しさが悪であり物質的豊かさが善であるならば、
豊かな国とされる日本やアメリカは、
国民の幸福度が他国よりも圧倒的に勝っていなければならないはずです。

けれどその貧しさには限度があります。
農村でも都市部でも、日々の食事に事欠く人々がいるならば、
それを救っていくのは社会の持つ責任です。

質素な暮らしがイコール不幸だとは限りませんが、
芳しい文明の香りを横目で見ながら、
それを享受できないことに悲しみを感じるのは、
人間として当然の感情です。

どのような暮らしが幸せかは人の価値観により異なりますが、
最低限自らの意志と行動で、
いかなる暮らしも選択できるようなチャンスは与えるべきです。
そのチャンスが子どもたちの教育を受ける権利だと考えます。


今回は日本の団体が運営するくっくま孤児院を訪ねました。
そこには27名の子どもたちがいましたが、
その中で両親ともいない子どもはわずか3名で、
そこに来るほとんどの子どもたちが、
経済的理由で学校に通わすことのできない家庭出身です。

この事情はインドのホームも同様で、
インドのホームは以前は孤児院と紹介していましたが、
途中から児童養護施設と名称を変えるようにしました。

そこで親元から離れて共同生活する子どもたちは、
みな一様に心に寂しさを抱えているのでしょう、
インドのホームと同様、ごく短時間の触れ合いで、
とても親しげに接してくれるようになりました。



まだ幼い子どもたちが膝の上に乗っかってくれたあの感触は、
今も忘れることができません。

長い人生に於いて、何がプラスになってマイナスになるのかは、
容易に判断することはできませんが、
施設で暮らす子どもたちにも、
できるならば親元から学校に通わせてあげるのが幸せだと感じます。

また施設で暮らしていかなければならないのであれば、
その中で少しでも多くの幸せ、温もりを見つけてもらいたい。
そのことを心から願います。

そしてこういった問題が経済的貧しさから生じるのであれば、
やはりそれは解消に向けて最大限の努力をするべきです。


話がインドに飛んでしまいますが、
今から二年前の2013年、インド チェンナイのホームで、
とても可愛いダッチャニという女の子との別れを体験しました。


  (左がダチャニ、右のとても素直なシンドゥーと親友です)

彼女は他の誰よりも明るく、お茶目で子どもらしい可愛さを持っていて、
周りの友達からもとても好かれる存在でした。

ところがインド滞在中の最初に州都チェンナイのホームを訪ね、
その後各地を回った後、最後に再びチェンナイのホームを訪ねると、
そのダッチャニがホームシックになったとのことで、
田舎の家に帰ってしまっていたのです。

あの可愛いダッチャニがいない、
そして誰よりも明るく楽しい彼女がホームシックだったということに
強いショックを受けたのですが、
偶然か必然か、最後に祖父母とともにホームに挨拶に来た時に
彼女と会うことができました。

彼女には父親がおらず、家には祖父母と母親が暮らしていて、
彼女の姉と弟もホームから学校に通っています。

ホームでは、彼女の祖父母がホームのオーナであるスレッシュと
現地語でいろいろと話をしていましたが、
その横であの明るいダッチャニは終始うつむいたままでした。



スレッシュたちが何を話しているのか、
横で聴いていてもまったく分からないのですが、
ダッチャニのとても悲しそうな姿から、
普段は決して見ることのない、
ホームにいるすべての子どもたちが抱えている深い悲しみを感じ、
頬を伝う涙を止めることができませんでした。

ダッチャニに対しては、
もしかして前世自分の娘だったのではないかと思えるほど
特別の深い感情を持っています。

そのダッチャニが、自分にホームにいるすべての子どもたちの思いを伝えるべく、
ホームシックになり、そのホーム最後の時を自分に示してくれたのだと感じています。

フェイスブックはほとんどやらないのですが、
そのプロフィール写真は、
ダッチャニを抱きかかえたお気に入りの一枚を使っています。



やはり自分は子どもが好きでとても可愛く感じます。
その可愛い子どもたちが恵まれない環境にいるのなら、
なんとかして手助けをしてあげたい、
その方法を模索し、実行していきたい、
そのことを今回のカンボジア訪問で強く感じました。
これはインド訪問でも毎回感じていることです。


子どもたちの可愛らしさが、その純粋さ、素直さにあるのならば、
カンボジアで日本語を学ぶ学生たちにもそれと同様のものを感じました。

カンボジアの学生にはひとつのものを習得したい、学びたいという強い意志、
ハングリーさが感じられます。
これは何をを学ぶ上でも最も大切なものです。



日本語を学びたい、そしてその学び取った日本語を使い、
自分の将来の夢を築き上げたい、そんな彼らが思いを強く感じ、
とても大きな勇気と力を受け取りました。
そして彼らの夢が実現できることを強く願いました。


プノンペンにはひろしまハウスという素晴らしい建物がありますが、
今は貧しい子どもたちの学習の場としてしか活かされておらず、
まだまだこれからの発展の余地が大いに残されています。

そのひろしまハウスをこれから、
カンボジアにいる日本人、日本人旅行者、
また熱心に日本語を学ぶ多くのカンボジアの若者たちに役立つ場にしたいと考え、
今回のいろいろとその方策を探りました。

けれどそのことは自分の一存で決められることではなく、
今後その建物を運営するひろしまカンボジア市民交流会の人たちと話し合い、
決めていくべきことです。
ですからここではあまりひろしまハウスについての
詳しいビジョンや現状については書きませんでした。
そのことは、今後順次実現されてから書いていこうと考えています。


カンボジアでもインドでも、
これから伸びゆく国のひな形となるのはやはり日本です。
何度も繰り返し書いてきたことですが、
その日本が人間の幸福と文明の発展を共存さすべき範を示し、
多くの今後発展していく国々を導いていくべき役割があると考えます。

豊かな日本には、多くの国を物心両面で支援していく責務がありますが、
その根底には、日本が本来の持つ日本文化の持つよさを取り戻し、
真に国民が幸せを感じることのできる国にならなければなりません。

日本はこれまでのようにたくさんの車や電気製品を輸出するだけではなく、
これからは未来型の、持続可能なライフスタイルを
提言していく役割があると考えます。

そのためには温故知新、古き良き日本の基底文化を取り戻すこと、
そして他の国々の持つよさを互いに学び合い、
そこから新たなものを創り出していくことが大切であると感じます。

日本の持つ『和の文化』、
これが真の意味での幸福のグローバリゼーションとなるものと考えます。

2015.9.22 Tuesday  

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