手書きの思い

二十年前からパソコンを使うようになり、電話やハガキがメールになり、また最近ではスケジュール管理も手帳ではなくGoogleカレンダーを利用し、年々紙にペンで文字を書く機会が少なくなってきています。

字を書く機会が減ると、ちょっとした漢字も書き方を忘れてしまい、元々下手だった字もさらに下手になったりと、ますます書くのが億劫になってしまいます。

それでもだからこそ手で書くことに有り難みがあると感じ、以前よりも頻度は減ったものの、なるべくマメにハガキは書くようにしています。

書くのはこんな自分で印刷したインドの絵ハガキで、裏面がインドで撮った写真、表の宛名面の下半分にメッセージを書くことにしています。

インドの絵ハガキ

書くスペースがハガキサイズの半分というのはちょっと窮屈で、小さめの字で几帳面に文字を埋めていってもそんなにたくさんの字数は書くことができません。
元々あまり長い文章を書きたくないという思いでこのスタイルにしたのですから、それも致し方ありません。

ペンで字を書くというのはいいですね。
ボールペンのペン先からにじみ出たインクが紙に染み込んでいく、・・・このやり直しのきかない一期一会の感覚というのは、普段接しているデジタルの世界ではなかなか味わえません。
「Ctrl + Z」でひとつ前の状態に戻り、修正、挿入、コピペがなんでも自由なワープロは便利ではありますが、どうしてもそこに深い思いを乗せることはできません。

最近若い人の間でフィルムカメラを愛用する人が増えていると聞きました。
一度シャッターを押すと撮り直しがきかない、撮った写真を見るには現像、プリントしなければならない、その手間に撮る人間の思いがこもるのですね。

ずっと以前から感じていた、ハガキに文字、それも感謝の思いを綴るというのは写経をするのと同じだという感覚、この感覚はデジタル全盛の今だからこそより一層増してきているように感じます。

習慣としてハガキを書くようになったのは今から三十数年前、ハガキ道の提唱者坂田道信先生との出会いがキッカケです。

あの当時でも、電話という便利な道具があるのにわざわざ手書きするハガキには価値があると言われていたのですから、その手間をかける価値というのは今の方が増していて当然です。

それと何事もバランスですね。
いつもいつも修正複製自由自在のデジタル文字と接していると、時折無性に手書き文字が書きたくなることがあります。

下手でもいい、少々文脈が乱れてもいい、自分の心から出た思いをその場その時にストレートに文字として表したい、そんな思いにかられます。

けれどあまり乱れた文章だと相手にも失礼かもしれませんが、特に親しい方ならそれも許していただけるでしょう。
また手書きで少し脈絡がおかしくなった文章も、それを味わいと感じてもらえるかもしれません。

そんな思いで、先日知り合いのお年寄りに近況を知らせる便りを書きました。
それはハガキでもなく封書でもない、その間に存在する郵便書簡です。

郵便書簡

郵便書簡というのはご存じでない方も多いかもしれませんね。
上の写真のように、三つに折りたたむとハガキを少し小さくしたぐらいになる用紙に、裏面と表面三分の一にメッセージを書き、それを折りたたんで三方をのり付けして送るというスタイルで、価格はなんとハガキと同じ63円、しかも中にメモやチケットなどを入れて25グラム以内ならそのまま63円で送れてしまいます。
<郵便書簡 – Wikipedia>

郵便書簡

これだとメッセージを書くスペースがいつも使っている絵ハガキのゆうに五倍以上はあり、安価で気取らない体裁だから書くのもゆったりと気が楽です。

胸の思いを吐き出すように文字を綴っていくと、結構書いた後で表現を修正したいと思うような箇所も出てきますが、それをそのまま辻褄を合わせるように文字を連ねていくのもまた楽しいもので、まるで心の引き出しを開け放してくれるような、そんな解放感を味わえます。
またそんなことを許してくれる相手にしかこういう形の便りは送りません。

ですからハガキでもこの郵便書簡でもそうですが、書かせてもらえる相手がいるということが有り難いのです。

便りに綴る感謝の思い、それは相手に向けてであり、自分に向けての感謝です。