8.6に思う

今年も広島で一番暑い日、8月6日がやって来ました。
被爆75年を迎える今年はコロナ禍の影響で例年にない静かな一日でした。

下の写真は昨年の8.6の前夜8月5日に行われたかがり灯の祭典です。
今年も昨日5日に予定していたものの残念ながら中止となりました。

被爆75年が経ち、現存する被爆者の方たちの平均年齢は八十を越え、広島の自分の身の回りでも原爆手帳を持たれる方は片手で数えられるほどとなりました。

今年は新型コロナの影響で広島は外国人観光客の姿が消え、原爆資料館が三ヶ月間もの間閉館し、今も入場制限が行われていることもあって平和公園を訪れる人も激減しています。
先月平和公園の中を通りながら慰霊碑の方を眺めると、日中であるにも関わらず誰一人慰霊碑の前に立っている人がいないので驚きました。
広島に来て31年、そんな光景を目にしたのは初めてです。

時とともに昔日の記憶が風化していくのは致し方ありません。
けれどヒロシマの平和の願いは、恒久的世界平和実現の日まで絶やしてはいけないものだと考えます。

その平和を脅かす最大のものが核兵器、原爆、水爆です。
今は国家間の力関係が大きく変わろうとしている時であり、核兵器を保有する中国、アメリカ、北朝鮮、インド、パキスタンなどで国際的緊張が高まっている非常に危険な状態です。

また中国の水害よるダム崩壊の危機、昨日のレバノンでの爆破事故等、天災、人災による大きな災害もいつ起こるか予測不可能です。

ヒロシマの願いは恒久的な核廃絶ですが、その理想に至るまでは険しい道のりです。
今日も平和公園では核廃絶を訴え、憲法九条を死守すべきだとするグループが幟を掲げて行進していました。
その彼らと最終的には同じ願いを持ちながらも、彼らとまったく逆の意見を持ち、憲法九条が平和への道を遠ざけているという人たちがいます。

憲法九条が平和憲法なのか他国の侵略を誘発するものなのか、また核兵器保有が戦争につながるのかまた逆に戦争を遠ざけるのか、今は対立するグループが互いに意見交換をすることなくただいがみ合っているような状態に危機感を覚えます。

作家の百田尚樹氏は、今月1日に日本も核兵器を持つべきだとTwitteし、物議をかもしました。

このような発言は、左翼的平和主義者の方たちから見れば激怒以上のものだと思います。
自分も世界最初の被爆都市広島に暮らす者として、核兵器保有に対しては極めて高い心のハードルを持っています。

けれど、憲法九条を死守すること、非核三原則を守って日本が核兵器を持たないことが本当に将来的な日本や世界の平和につながるのか、もしそう考えるのであればその論拠を示し、納得させてもらいたいと思います。

憲法九条や核兵器保有は目的ではありません。
真の目的は世界や日本を平和に導くことです。

自らの覇権を限りなく伸ばし、隣接する国々の領土や海洋権をかすめ取ろうとし、実際に今もチベットやウイグルの人たちを虫けらのように扱い惨殺している中国が、日本固有の領土である尖閣諸島を奪い取ろうとしている現状で、今の憲法、軍事力で日本を守れるのか、平和を維持できるのか、真剣に考えてみる必要があります。

平和はただ願うだけでは実現しません。
三次元的な肉体を持つ人類は、それを維持するために行動を起こす必要があります。

優しさはその対極の厳しさがあって初めて価値を発揮します。
性善説、性悪説、そのどちらか片方だけでは役には立ちません。

慰霊碑

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

広島平和記念公園の慰霊碑に刻まれたこのあやふやな言葉に、具体的な意味、方策を与えていくことことが、これからの人類に課せられた使命だと考えます。

左翼の人も右翼の人も、平和を願う尊い気持ちは同じです。
それを感じ合い、ともに歩んで行くことこそ真の平和への第一歩です。

右翼と左翼、ひとつになってみんな“なかよく”。