本との出合い

今日は読みかけを含め三冊の本を読みました。
インド滞在中についた読書習慣は今も続いています。

インド滞在四ヶ月間後の日本で以前と変わったことのひとつがWiFiのモデムです。

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これまでのモデム(上の画像)は旧規格のWiMAXで、大きい、電源を入れてから立ち上がるのが遅い、回線速度も遅い、電池の持ちが悪いとなかなか低性能なものでしたが、某ビジネス組合から低価格でレンタルしていて、これひとつで二つのパソコン、iPadも利用でき、容量制限がまったくないことが何よりの魅力でした。

そのWiMAXもいよいよ新規格へ完全移行ということで、インド滞在中にモデムが切り替わり、今は新規格のWiMAX2+のものを使っています。

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さすがは新規格、使用感はなかなかですが、唯一気になるのが容量制限が三日間累計で10GBで、それを超すとその翌日の繁忙時間帯の通信速度が制限されてしまうことです。

通常の使用でその制限を超えることはまずありませんが、毎日気になるので使用状況をチェックし、ノートパソコンやiPad、スマホのアップデートは他のWiFi環境があるところで行うようにしています。

たぶん容量オーバーして少しの時間通信速度が遅くなってもたいして困ることはありませんが、それでも数字を気にするのは、そうすることで少しはネット離れができるのではという思惑があるからです。
あまりネット依存になりたくありませんので。

三日間で10GBというのはかなりの容量で、毎日動画をたっぷり見てもなかなか達する数字ではありません。けれど二日前の日曜日、なぜか一日で8GB超使ったことになっていて、昨日、今日と意識してネットから遠ざかり、お陰で本をしっかり読むことができました。

モデム

日曜日は早朝5時に東京から広島に車で戻り、二日間完徹したのでその日は死んだように眠っていた日です。
なぜその日に8GBも回線を使ったことになっているのかまったく謎ですが、ネットから遠ざかるキッカケが得られたのでよしとしています。

読書ほど安く簡単に有益なものが手に入るものはないとする人がいる一方、本ばかり読んでいると頭でっかちになってよくないと言う人もいます。
島田紳助やイチローなど直感が鋭いタイプの人は、まったく本を読まないそうです。

これは人それぞれタイプによって異なり、どちらがいいと一概に言うことはできません。
また長い人生に於いて、しっかりと読書をすべき時期と本を読むよりも実践を重視すべき時期があるように感じます。

自分の場合、学生時代にたくさんの本を読んだことは知識の蓄積として後々役に立つことが多かったと強く感じています。
また人生のバブルが崩壊して土木の現場仕事に身を投じた時期は、本を読むよりも週一回の登山で自然と触れ合うことを何よりの生きがいとしていました。

そして今はコロナ禍によって世界が大混乱する中、これまでの人生で極めて大切にしてきた音によって様々な世界が拓けてきていて、それを許容する器を広げるためにもどちらかと言えば自分に適正があると思える読書を積極的にしていきたいと心で強く感じています。

インドで電子書籍をスマホで読み、毎日Amazonの日替わりセール本を楽しみにして購入することで、幅の広いジャンルの本を選択して読む楽しさを知りました。

これはこれからも大切にしていきたいと感じ、今日はこれまでまったく読んだことのない幸福の科学の本を二冊読みました。
いつも参加する会で出会う信者さんがプレゼントしてくれたものです。

幸福の科学

本を読む時、あるいは人から話を聴く時も同じですが、自分というものをしつかりと持ち、決して他人の意見を丸信じしたり絶対視しないということが大切です。
これができていれば何事、何者にも惑わされることがありません。

自分はこれまでの経験から何かを絶対視することの怖さを十分に知り、常に自分を中心として回りのいいところを取り入れていきたいと考え、それが実践できていると思えるので、幸福の科学の本を読んだこと、自分の精神世界の出発点が天理教であること、いつもお世話になっているインドのホームがキリスト教で、そこを紹介してくれたお上人さんたちが日本山妙法寺であることなどを、何のためらいもなく話をすることができます。

幸福の科学について言うと、雑誌に書かれている時事問題は共感することが多く、政党としての幸福実現党は、既存政党の中で最もまともな意見と政策を持っていると感じます。

ただし教祖を神のように崇め絶対視する姿勢は受け入れることができません。
今日読んだ松下幸之助氏の霊言なるものも、その半分以上が心に響きませんでした。

誤解を恐れずに言うならば、何かを絶対視し、崇拝し、それに自らの価値観と判断力を依存してしまうのは、危険ではありますがとても楽なことです。
なにせ自分でひとつひとつ判断していく必要がないのですから。

ですから何かの宗教を熱心に信仰する人というのは、心のどこかに弱い部分を持っているのではないかと感じます。
特に特定の宗教を信仰することのない無宗教者とされる人が多い日本の場合はそうではないでしょうか。

本の中の霊言で「これからは宗教の時代である」といったことが述べられていますが、これには同意できません。

今現在、宗教というのは何か形あるものを信じるといった意味で解釈されていると考えますが、これからはそういった目に見えないものに対する思いが外から内へ、そして内なるものが外側全体のすべてと等しいということを感じる時代になるのだと思います。
    <Everything Great>

そうなれば特定の神名や教義は必要ありません。
それらは思想や哲学という形では残るでしょうが、より絶対的存在である宗教は消えていくべきものと考えています。

自分のこの考え方が正しいかどうか分かりませんが、自らの考えに合わせて本を読み、そしてもし自らの至らなさを感じることがあれば潔くそれを修正していく、こうしていければ読書は最高に楽しいものだと思います。

毎週金曜日の早朝に参加する積極人間の集いが楽しいのは、ゲストスピーカーの話だけではなく、その後に参加者全員の一言コメントがあり、そこでその人の人となりを感じ、多様な意見があるということを知ることができるからです。

読書も同じです。
多様な世界観があって玉石混淆、いいも悪いもいろいろあってそれだから楽しいと感じられれば最高で、また人生とはそういったものだと感じます。

最近いろんなジャンルの本を読むことで、いいも悪いも必要も不必要も関係ない、要はその出合いの中から自分が何を感じ取るか、これがすべてであると感じています。

一期一会、次はどんな本と出合えるかが楽しみです。

読書