心のこもったハガキ

郵便に対する思い入れが深くなったのは、今から三十年前、ハガキ道というものを実践するようになってからです。

その少し前、島根県の松江にいた頃、当時の上の事務局だった広島の局長がハガキ道の素晴らしさを感じたようで、ハガキ道を提唱する坂田道信(当時のお名前は坂田成美)先生の講演テープを聞かせてくれました。

その時はただ聞いただけだったのですが、それから約二年ほどした後、その会社を退職して広島に来て、たまたま仕事や理念事業と呼んでいた社会活動の中で、坂田先生と約二年間ほど極めて親しい関係で過させていただきました。

当時の周りはハガキ道を実践している人たちばかりでした。
ハガキ道とはとにかくマメにハガキを書いて相手に思いを伝えるというもの、坂田先生は当時一日三十通のハガキを書くとおっしゃっていました。
今もたぶんそれと同じかそれ以上書いておられるでしょう。

坂田先生のお宅は向原という広島の田舎町ですが、届くハガキの数が膨大なので、個人で専用の郵便番号を持っておられます。

ハガキ道はあくまでも書くということがメインですが、その書いたハガキの内容を残すためにカーボン紙で複写する「複写ハガキの綴り」というものがあり、カーボン紙の色は青、その書式や宛先の書き方等細かい理想とするものがあり、必ずしもそれを守らなければならないということはないものの、ほとんどの人は同じような書き方をしておられます。

『ハガキを書くことは写経と同じ』とよく言われます。
これは実際にハガキを書いてみるとよく分かります。

ハガキに綴る文字はお礼や感謝の言葉です。
送り手への感謝の思いを頭に浮かべ、それをどんな言葉にしようか考え、その言葉を自分の手を使ってハガキにペンでしたためます。

よく願望実現、目標達成の話の中で、「目標は必ず紙にペンを使って書くこと」とあります。
やはり自分の手を使って紙に書いたものは、ただ見たり、キーボードを打ったものよりも深く心に入ってくるものです。

ハガキに文字を書く時、特にカーボン紙をはさんで複写ハガキを書く時は、ちょっとペン先が紙に埋り込むような感触があり、大昔の学校のガリ版刷りで鉄筆を使った時のような、“刻む”という感触があります。

ハガキに文字を書くというのは、その文字、その文字の持つ意味を“心に刻む”ということです。
だからこそ『ハガキを書くことは写経と同じ』という思いになるのです。

ただどんないいことでも絶対ではありません。
ハガキもたくさん書けばそれだけ自分の心が磨かれるというのも事実ですが、その反面、たくさん書くことによってマンネリ化しワンパターンになり、ハガキに心がこもらなくなってくることがあります。

特にハガキ道の書き方には理想とする書式があり、それに従えば従うほど自分というもの、自分の心というものがなくなってくるような面がある、そう感じます。

これは絵手紙の世界も同じです。
自分も昔は一枚に二三十分かけてハガキに絵を描いていたことがありました。
使っていた画材は筆ペンのような水彩マジックで、いろんな画材を試した中で自分に合ったものを見つけました。

けれどその当時も今も、絵手紙の世界は極めて様式化され、ほとんどの人が顔料を使い、同じような、いわゆる“下手ウマ”な描き方に統一されています。

その絵手紙を指導される先生の講話を聞いたことがあります。
その先生曰く、
「絵手紙は下手でいいんです。自由に思ったことを描けばいいんです」
とのことでしたが、でしたらなぜ絵手紙の描き方を指導する教室があるのか、なぜみなそれぞれ個性のある描き方をしないのか、とても疑問を感じました。

あまり悪いことばかり言ってはいけませんが、ハガキ道を実践されている方から出会ってすぐにハガキをいただくことがあります。
そのハガキの中には「出会いに感謝 ・・・ 今後ともよろしくお願いいたします」等のワンパターンの言葉が書かれていて、宛名さえ変えれば誰にでも送れるような内容のものがあり、そういったものはもらっても迷惑なだけです。

自分はそんな思いで複写ハガキは三四年で卒業し、絵を描くことが好きなのと、少しでも字を書くスペースを少なくし相手にいい印象を持ってもらいたいとの思いから、ハガキ絵を書くことにしました。

今は連絡手段としてはメールがメインになりましたが、なるべくハガキや手紙をこまめに出し、何か書類をお送りする時でも必ず一筆添えるようにしています。

ハガキの様式は最近は写真を印刷した絵ハガキです。
裏面にインドの子どもたちの写真をプリントし、宛名面の下半分を通信用として使っています。

インドの絵ハガキ

毎週参加する積極人間の集いにOさんという六十代の男性の方がおられます。
Oさんは大柄な明るい人で、いつも豪快な笑顔が印象的ですが、昨年の夏以降、一年近くの間お顔を見ることがありませんでした。

Oさんのお宅は広島の坂町小屋浦というところ、昨年7月の水害で大きな被害のあったところです。
あの日、比較的海に近い方にあったOさんのお宅にも大量の土石流が流れ込み、家は全壊し、必死に流れに耐えて骨折し、前歯を四本折られました。
そしてその時に山側から流されてきた二人のお年寄りの方を助けたものの、一人の方は助けることができずに流されてしまったとのことです。

豪放磊落なOさんでしたがさすがにそのショックは大きく、しばらくは精神的に立ち直ることができなかったそうです。

今はまだ仮設住宅に入りながらも、毎週会に参加してくださっています。

そのOさんに、家を断捨離して出てきたものを差し上げると、いつもこまめに礼状を書いてくださいます。
自分も必ずその返事を書き、「もうお礼状はいらないから」とお伝えするのですが、相変わらず差し上げた数日後にはお礼状が届きます。
こんな素敵な絵手紙です。

いただいたハガキ絵

ハガキを書くには手間がかかります。
ましてやこんな風にちょこっとでも絵を添えると余計にです。

仮設住宅に入られてしんどい中、ハガキをくださるのは恐縮だといつも思っていましたが、今日いただいたハガキに、

ハガキ書きは相手がいるおかげでかけることに ・・・ 感謝するOより

と書かれていて、Oさんもこのハガキを書くことで心のリハビリをしておられるのだなという思いになりました。

トイレ掃除でもこのハガキを書くことでも、自分の心を磨く手段はたくさんあります。
そしてそれらを行う時、それをなんのために行っているのか、その初心を忘れないようにしなければなりません。

昔は電話と手紙、ハガキだけだった通信手段が、今はインターネットのお陰でメールやLINEといった便利なものも加わりました。

そんな便利になった世の中でも、少しの手間がかかり、ペンを握って手を動かし、そして届くまで数日のタイムラグのある郵便は、感謝の思いがもっとも深く相手の心に届きます。

Oさんのような心のこもったハガキをこれからも書いていきたいと思います。