切り取り報道

昨今のマスコミの偏向報道ぶりは目に余るものがあります。
けれどそれは今に始まったことではないのでしょう。
昔はそれに気付くことさえできなかったのが、今はインターネットがあり、そんなウソはすぐに知れ渡ってしまいます。

反日展示で話題となった「あいちトリエンナーレ」の「不自由展・その後」、の展示中止を巡り、反日マスコミはさかんに芸術表現の自由を守るべきという反日プロパガンダ擁護の報道を続けてきました。

この偏向報道に対し、今日の夕刊フジはその偏向ぶりをキチンと報道していて実に痛快です。

「不自由展」税金投入に反対95% zakzak緊急アンケート途中経過 大村知事VS河村市長は後者に賛同多数

愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、いったん中止になった企画展「不自由展・その後」が6日にも再公開されるが、名古屋市の河村たかし市長は「昭和天皇の肖像を焼いて、足で踏みつけるもの(作品)を、補助金を出して公開するのか」と猛反対している。夕刊フジは1日午後2時から、公式サイトzakzakのツイッターで緊急アンケートを始めた。2日朝までの途中経過では、公開への税金投入に95%が「反対」と回答した。

(中略)

ただ、企画展が問題視されるなか、左派メディアを中心に、慰安婦像とされる少女像については何度も取り上げられたが、昭和天皇に関する作品については大きく報じられなかった。

(後略)

こうした正しい報道姿勢を持ったマスコミがあるというのは救いです。
このような姿勢は夕刊フジが一貫して持っているものでしょうか。
気になって調べてみると、夕刊フジを「ネトウヨ」(ネット右翼)と叩くページをいくつか見かけました。

けれどこの不自由展の問題は、「日本人としての誇り」に書き、夕刊フジの記事にもあるように、明らかに多くの反日マスコミが問題点を最も “無難” な慰安婦像にすり替え、中止に追い込んだことをいかにも強権的であるかのような印象操作を謀っていました。

たとえ芸術だとしても、その表現方法には最低限のモラルが求められます。
ましてや自治体が主催者として名を連ね、公的資金を注入するのであれば、そこに一定の基準が存在するのは当然です。

その自らの反日主張を広げるため意図的に報道内容をねじ曲げることは、特亜思想を持たない一般の人から非難を浴びるのは当たり前であり、もはや報道機関と呼ぶに値しない存在です。

先のページに書いたことの繰り返しになりますが、天皇の肖像を燃やし、踏みつけるのを芸術と主張することなど、近所の公衆トイレの便器をぶち壊してきて台の上に並べ、それを芸術だと称するのに等しい行為です。

それでも日本は思想・信仰の自由、表現の自由はかなりの寛容度をもって守られています。
どうしても自らの持つ特殊な思想を広めたいのなら、自らの資金を使って仲間内でしてください。

これも当たり前のことですが、事実と真実は異なります。
事実とは部分的なものであり、それをたくさん集めたから全体の真実が分かるとは限りません。

ある人の寝姿ばかりを毎日写真に撮り、それを百枚並べ、
「これらすべて寝ている写真です。だからこの人は日々寝続けているんです」
と言ったところで、その写真が実際のものであったとしても、そこで述べられていることは真実ではありません。

「真実」ではない「切り取りの事実」を組み合わせ、自らの意図に沿うように報道するマスコミの力は、政治家の権力をも上回るもので、だからこそこれまで政治の力でマスコミを規制することができませんでした。

これは一昨年の東京都議選で敗れた中村彩氏の言葉です。

中村彩、敗戦の弁

中村彩、敗戦の弁

ここでも述べられているように、これから自らの意見を正しく国民に伝えようとするならば、時間や字数に制限があり、記者や報道機関の主観が入るマスコミによる報道ではなく、自らの声で国民に訴えられるネットを媒介とすべきです。

実際今はその動きが着々と進行してきていて、政治の世界でいうならば、今の時点でネットとマスコミの力はほぼ半々ぐらいではないかと思われます。

そして当然この力関係はネットの方へと傾く一方であり、偏向報道機関は淘汰されるか、その姿勢を見直さざる得なくなるでしょう。

最後に、デイリー新潮のこの記事が興味深かったので引用します。

元朝日新聞記者で、現在はフリーで活動している烏賀陽弘道氏は、新著『フェイクニュースの見分け方』の中で、一般の受け手が情報の真偽を見抜くためのポイントを各章の最後にまとめている。そのうちのいくつかを紹介してみよう。

・「何を書いているか」と同様に「何を書いていないか」に着目すべき。

・ウソではないが本当でもない記事がある。

・メディアは「わからない」と言いたがらない。

・匿名発信者はモラルが下がる環境にいる。

・引用の正確さで、発信者が事実の正確さにどの程度注意を払っているかがわかる。

これらが書かれた時点では、上記の加計学園問題も、都議選も想定されていない。烏賀陽氏が記者としての経験をもとに抽出したものであるが、一連の騒動を見る限り、普遍的なポイントであると考えていいだろう。

切り取り報道