タオへの道

昨日の「根源に還る」に書いたタオを生きる—あるがままを受け入れる81の言葉、まだほんの最初の数ページしか読んでいませんが、とてつもなくすごいです。
これは究極の世界です。

これは自分にとってアドラーの「嫌われる勇気」を読んだ時以来の衝撃であり、アドラーを受け入れるのに数ヶ月間かかったのと同じく、この本は1ページずつしっかりと味読し、読み終えるまでにかなりの期間がかかると思います。
そしてその後は自分が大きく変わっていけるものと確信します。

元々タオを説く老子の教えは人類の目指す最終の姿です。
そしてそれは最終でありまた原初でもあります。

悟りを得た老師と純真無垢な幼子が同じ境地というのもまた真理です。

人間が潜在意識の存在を知り、少しずつ悟りの段階を昇っていく十牛図では、一番最初の仏性を感じず自由気ままに生きている姿と、最終的に悟りを得、それを超越して無為自然に生きる姿は外見的にはほとんど変ることはありません。
<十牛図 – Wikipedia>

外見的に似ていても悟りの段階はまったく異なるものの、その姿から、原初のものと最終的、究極のものにはやはり大きなつながりがあるのだと感じます。

タオは究極であるがゆえ、誰もが、いつでも目指すべき世界ではありません。
人間には心身ともに成長の段階があり、学校でも幼い頃に通う義務教育の課程では規律が重んじられ、少しずつ成長し、大学、大学院になったなら、その人自身の自主性が尊ばれます。

人間の成長過程では儒教的な仁義礼智というものも大切であり、それをおざなりにして自由な生き方をも求めるのは、無為自然ではなく無秩序というものです。

人それぞれに時期、タイプというものがあり、今の自分にとって何が必要なのか、何を目指すべきなのか、やはりそれを見極める判断力が大切です。

「タオを生きる」は最初の項からすごい言葉が並んでいます。

私は自分の考え方を探究することで、あるがままの現実に異議を唱えるのはまともではないということが分かりました。
今起きていること以外のことが起きて欲しいとはもう思いません。

ある時、男が私のお腹に拳銃を当て、撃鉄を起こし、「殺すぞ」と言ったことがあります。
  (中略)
空や雲、月光に照らされた木々の眺めに感動を覚えていました。
この驚異的な人生を、一瞬たりとも見逃すことがないことは、何て素晴らしいことでしょう。
そして私は待ちました。
さらに待ちました。
結局、彼が引き金を引くことはなかったのです。

この言葉を読んで、胸に熱いものがこみ上げると同時に、懐かしいという感情が湧き上がってきました。

これは自分にとっての魂の故郷なんだ・・・、そんな大昔に感じ、またこれから進んでいく先にあるものを、この言葉の中に見た思いです。

自分がこの肉体を持っている間、ここまでの境地に到達できるかどうかは分かりません。
分かりませんが、これこそが己が目指すべきものだという指針を与えてもらえるのは何よりの幸せです。

7月24日から食べ物をしっかりと咀嚼することを心がけ、体が変わり、心が変わり、そして人との出会い、運気も変わってきているのをハッキリと感じます。

そしてほぼちょうど二ヶ月経ってタオと出合い、これは今の自分を導くためのものだということが心の奥で理解することができます。

先の「なずな農園見学会」に書いたように、この14、15日の土日は、大分のなずな農園に循環農法を実践する赤峰勝人さんを訪ねてきました。
この会に参加している方たちは自然農法を志しておられるだけあってとても意識が高く、自分のインドでの活動や生命の探究にもとても興味を示しくださり、これから大いに輪が広がっていきそうです。
これも咀嚼を意識しだしてからの出会いのご縁です。

旅行では自分が一眼レフカメラを持っていき、レンズを交換しながらたくさんの写真を撮りました。
花の写真はマクロレンズを使うととてもきれいに撮れますね。

花

この写真、ちょっと汚れが付いているのがお分かりでしょうか。
センサーに付着したゴミが画像に汚れとして写っています。
拡大した写真の右下に写る黒い米粒のようなものです。

センサーの汚れ

今頃の一眼レフデジカメはセンサークリーニングの機能が付いていて、旅行から帰った後、それを作動させて汚れを落とそうとしましたが、うまく落ちてくれませんでした。

そこでネットで調べ、市内のカメラ屋さんに持っていくことにしました。
そこでのセンサークリーニング代金は二千円プラス税とのことです。

そのカメラ屋さんに行く途中、急にトイレに行きたくなり、近くの市の施設に立ち寄りました。
するとそこで来年の会場予約の順番待ちをしている知り合いとバッタリ出会い、それまであまり親しく話をしたことのなかったその方と四時間ほど話し込み、とても深い部分で共感を得ることができました。
本当に、咀嚼を意識しだしてからこんな出会いがよくあるのです。

その日預けたカメラはゴミがセンサーの裏側に付いているらしく、その店ではクリーニングできないので他へ送ってクリーニングするとの連絡が預けて数時間後にありました。

そして今日で八日目です。
クリーニングだけにしてはあまりにも時間がかかりすぎるので、今日確認の電話をし、その後また店から連絡をもらったところ、センサー裏面に付着したゴミは分解することのできないところにあり、センサー自体の交換が必要で、費用が五万円以上かかるとのことでした。

ご、ごまんえん・・・!! w(☆o☆)w
それだと本体価格とさほど差がありません。
まだ買って一年も経っていないのに・・・。

心が激しく動揺します。
タオの境地にはまだまだ遠く至っておりません。

これまで、何か大きく心を定めた時は、それを試すかのような大きな試練がやって来ることはよくあります。
今回もまたそれがやって来ました。
この意味は何なんでしょうか。

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