廃れゆく職人文化

今日はTwitterでこんな投稿を見て、昔土木の仕事をしていた時のことを思い出しました。

こんな酷いコンクリートの打ち方があるなんて驚きです。
今は土木建築の現場は人手不足だとよく聞きますが、人手不足でここまで作業員の質が落ちているのでしょうか。

ずさんな作業や手抜きにもいろいろあって、それを覆い隠せるものもありますが、このガタガタに波打ったコンクリートのままでは次の作業に入ることができません。
Twitterの文中にもあるように、これは機械でハツって平らにしなければその上での作業はできないでしょう。

現場監督の目が行き届かなかったのか、それともその監督を含めて経験不足の素人集団なのか、昔日本が誇った職人文化はどこかに行ってしまったのでしょうか。
これではある日突然無傷のマンションが倒壊するどこかの国と同じです。
日本も何十年後かにはそれと同じことが起こるのかもしれません。

今はデフレが進み、手近なもののほとんどは百円ショップで手に入るようになりました。
消費におけるネット通販の比率は年々高まり、そこで売られているほとんどは街中の店で買うよりも価格が安く、その影響で、モノは「安かろう悪かろう」というのが当たり前になっているように感じます。

職人技を活かした手作りの逸品、普段気付かないところにまで神経を行き渡らせた商品というモノが身近なところになくなってしまいました。

自分も以前土木建築の現場で働いていて、コンクリートを打設したことは何度もあります。
コンクリートを打つ際は、マメと言われる空洞ができないよう、下や横から型枠を木のハンマーで叩いたり、電動バイブレーターをコンクリートの中に突っ込んだりしてコンクリートを型枠の中にまんべんなく行き渡らせます。

そしてその後は表面を左官さんが滑らかにし、鉄筋や鉄骨に付いた余分なコンクリートはプラシを使って拭き取るというのが一連の流れです。

これはある程度大きな現場ではきちんとした監督さんがいて、必ず守らなければならないものです。
けれどそういった監督する人がいない小さな現場では、施主が見たらビックリする、考えられないような手抜きも当たり前のように行われています。

住宅の基礎工事を仕事では、型枠の寸法は尺に基づきある程度決まっているので、今は金属の型枠を大小組み合わせて組み立てます。
その型枠の中に基礎の中に入るべき鉄筋が細い番線(針金)を使って組まれていて、それを埋めるようにコンクリートを流していきます。

住宅の基礎工事

金属の型枠は何度も使うもので、流したコンクリートが固まった後はそれをきれいに外さなくてはなりません。
そのため、型枠には金属とコンクリートが剥がれやすいようにする液体の剥離剤を塗る必要があり、それは本来型枠を組む前にその一枚一枚に塗るべきですが、そんなことをしていたらとても手間がかかるので、上の写真のように完全に型枠を組んだ後に上のすき間からスプレーで振りかけていきます。

そうするとどうなるか。
当然しっかりとコンクリートの強度を保つべく入れられた鉄筋にもかかってしまい、その鉄筋に基礎のコンクリートと剥離する作用を与えてしまうのです。

コンクリートを打設する作業はなかなかの重労働です。
住宅建設の現場でも、小さなポンプ車が来てホースを遠くまで動かしてコンクリートを流し込んでくれる場合もありますが、だいだいはミキサー車をどこかに停め、そこからコンクリートを一輪車で運んで流し入れるというのが普通でした。

コンクリートはかなりの重量です。
また型枠の中に入れたコンクリートはドロッと固まっていて型枠の中をなかなか流れていきません。
そこでミキサー車の人に頼んでコンクリートに大量の水を混ぜてもらうのです。
そうするとコンクリートの量が少なくてすみ、型枠の中で水のように流れて作業も楽になります。

ただしそうすると乾燥後のコンクリートは空洞だらけになり、強度は著しく低下します。
けれど普通の住宅建築の現場では、そんなことを後々検査して指摘されることはありません。

土地の上に住宅を建てる際はその地盤の強度を検査して、もしそこが弱い場合、強度を持たせるために鋼管を何本か地中深くに打ち込みます。
何年か前、マンション建設でこのくい打ちの手抜きがあり、マンションが傾いて建て直すという事件がありましたね。あれと同じです。

地中に打ち込まれる鋼管は管ですから中は空洞で、そこにコンクリートが入ることによって設計通りの強度が保たれます。
この鋼管の末端が基礎の中に出ていて、基礎のコンクリートを打つ際に、その鋼管の中にもコンクリートが流れ込むようになっています。

それもやはり、ほんのわずかなコンクリートの量をケチり、羽根のようになっている鋼管の蓋の羽根を足で踏みつけて閉じてしまい、そこにコンクリートが入らないようにするのです。

中が空洞の鋼管とコンクリートが詰まっている鋼管、その強度の差は歴然です。

これらは自分自身が体験した現場での手抜きですが、たぶん各作業工程において似たようなことはあるのだろうと思われます。

それを悪いことと非難するのは簡単ですが、コストカット、納期短縮、上の方は末端に向かって何でも命令をするだけで、すべてのしわ寄せが末端に押しつけられてしまい、手抜きをせざるえない、そして上の監視業者はそれを見て見ぬ振りといった構造があるように感じます。
なにぶん昔のことですが、たぶんその構造は今も大差ないでしょう。

福島第二原発の危険な放射線作業も元請けから下は五次下請けぐらいまで会社があって、上の東電から末端の現場に行くまで何度もピンハネされ、現場の作業員は薄給で危険な環境に晒されているといったニュースを何度も目にしました。

産廃業者の不法投棄も時折ニュースになりますが、産廃の運搬といた仕事は特に高いスキルを要せず、誰にでもできる代わりに競争が激しくて低収入で、それに反して産廃の処理は年々厳しくなって価格も高騰し、その中で少しでも利益を確保するためには違法なこともせざるえない・・・、自分も過去その業界に身を置いていたので、彼らの気持ちがよく分かります。

末端の現場にしわ寄せがいき、若い職人が育たない環境が続いた結果、日本の現場はこうなっています。

Twitter

もう手遅れ、と言ってしまえば何も始まりません。

今の自分にできることは何なのか、先日書いた食に対して心を込めて丁寧に接するのと同様、すべてのものに愛着を持ち丁寧に接する、そうするとそれが行動の規範となり、そういうものしか求めなくなる。

「自分さえよければいい」と、スーパーの食品棚の後ろに手を伸ばすその行為を止めることにより、本当に相手の立場に立った仕事ができるようになる。

いずれにしてもこれは民族の持つ根本の精神文化の問題なので、簡単に解決はできません。
けれどその糸口はやはり自分からです。
まずは現在の日本の持つ課題を認識し、自らの行動の中に旧きよき日本の文化、心の持ち方を取り戻しましょう。

まだ間に合います。
まずは自分からです。