生血ほとばしる音

インターネットが普及することによって、音楽を視聴する環境は以前では考えられないぐらいによくなりました。
いつでもどんなジャンルのどんな曲でも、ほぼすべてを無料で聴くことができます。

昭和の時代にはFM雑誌と呼ばれるものが数誌あり、その日のFM番組とそこで放送される曲目をチェックし、気に入ったものを聴いたり、当時エアチェックと呼んでいた録音をしたものです。
またその頃の音質面で最もクオリティーの高い音楽ソースはレコードであり、レコードは盤面に刻まれた溝を針がなぞることによって音を出し、毎回聴く度にほんの少しずつその溝は削られていき、レコードで音楽を聴くという行為は、まさに大切な魂をすり減らすに等しい思いがありました。
だからこそ心して大切に聴いたものです。

人間、何事も便利になると有り難みを忘れてしまいます。
ネットで聴く音楽は基本無料です。
またCDやダウンロードされた音楽ソースは、繰り返し聴いても劣化することはありません。

それはとても便利で扱いやすいものですが、その便利さゆえ、それを受け取る人間はその音楽に対する思いが薄らぎ、まるで使い捨ての消耗品を扱うがごとく気楽さで聞き流してしまいがちです。

ネットサーフィンという言葉があるように、現代の音楽もまた、まるでサーフィンをするがごとく流してしまうのが当たり前になっています。
そして受け手側がそのように変化したのに伴い、作られる音楽また、ただ単に耳に心地よく、深みのないものになってしまっています。

GoogleのアカウントでログインしてYouTubeを観ると、トップページには自然と自分がよく観る動画が並ぶようになり、本当に上手い具合に興味を引くようになっているなと感心させられます。

そしてそれらの動画を観ることにより、音楽では、随分といろんなジャンル、いろんな演奏家を知ることができました。
それは本当に素晴らしい恩恵です。

けれどそれに比例して、やはりひとつひとつの音楽を深く聞き込んでいないように感じます。
このことは常に自問しなければいけないことです。

何か作業をする時、YouTubeで音楽を流しながらということがよくあります。
クラシックではピアノソロを聴くことが最も多く、YouTubeの画面にはピアノ演奏がいつも並んでいます。

つい先日、その中のひとつ、アリス=紗良・オットの「Alice Sara Ott Piano Recital」というプログラムを聴きました。
<アリス=紗良・オット – Wikipedia>

彼女の流麗で繊細な音の響きはとても心地よく、YouTubeにアップされている彼女の演奏をこれまで何本も聴いたことがあります。

その日は完全にBGMとして聞き流すつもりで動画をスタートさせた後は画面を見ることもなく、机の上での作業に意識を集中させていました。

するとどうでしょう、パソコンの画面とスピーカーから何やらただならぬ殺気のようなものを感じるのです。
まるで妖気とでも表現するのが相応しいような、そんな奥深い気配です。

驚いて画面を見、音に意識を傾けると、彼女の演奏に、これまでになかった新たな世界が加わっているのが感じられました。
若く美しい彼女のこれまでの演奏は、色で例えるなら赤や水色といったイメージです。
そして今画面の中で演奏している彼女の音楽には、その衣装の色と同じ、漆黒とでも表現されるような深い精神世界が加わっています。

この演奏を聴いていると、人体の精神のエネルギースポットである7つのチャクラ、その下から三番目と四番目、みぞおちと胸のあたりにエネルギーを感じます。
またなぜか、遠い昔に忘れてしまった、そんな懐かしくも大切な記憶が湧き上がってくるようです。
これは自分にとって素晴らしいヒーリング音楽です。

なぜこんな若い彼女にここまで深い陰翳のある世界が表現できるのでしょう。
これは技術だけの問題ではないと思います。

アリス=紗良・オット、彼女のことが今年初めにニュースとして流れました。
2月15日、彼女は自身のホームページを通じ、多発性硬化症という難病であることを明らかにしました。
多発性硬化症は自己免疫疾患の一種で、手足の感覚障害を引き起こすことがあり、ピアニストとしては演奏家生命を左右しかねない重病です。
<多発性硬化症を公表=ピアニストのアリス・紗良・オットさん:時事ドットコム>

彼女は1988年生まれの三十歳、この才能ある若きピアニストにこの病の宣告は残酷です。

上の動画の演奏は2018年9月27日とのこと、確かなことは分かりませんが、もしかして彼女はこの時点で自らの身体に起こった異変を感じていたか、病の宣告を受けていたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、その苦悩がこの演奏をこれほどまでに深いものにしたのだと思われます。
あくまでも想像ですが。

アリス=紗良・オットの演奏を聴いて、先日再読した「100分de名著 生きがいについて」が思い浮かびました。

社会的死を宣告されたのも同様の隔離病棟で生涯を過ごさざるえなかったハンセン病患者の方たち、自らも肺結核やガンと闘いながらその方たちとともに過ごし、その中で “生きがい” というものを求めていった神谷美恵子、そこに綴られている一言一言には、慟哭と呼べるような深い苦しみを自ら乗り越えた、またはともに分かち合ったものでしか表現できない深みが込められています。

どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出るような文字、そんな文字で書きたい、私の本は。

何事も便利になったこの世の中で、この神谷美恵子の “生血” 、 “生血がほとばしり出るような文字” という言葉、これは限りない重みを持って感じられます。

アリス=紗良・オットの演奏は、そこに生々して鮮血の匂いはしなくても、そこにはまるで自らの生命を削り取ったかのような生血(せいけつ)の流れを感じます。

文章でも音楽でも、絶対に生き様はごまかせません。

もっともっと音楽とは真剣に対峙しなければなりません。
それがその音楽の持つ真の価値を引き出すことであり、また価値ある音楽との出合いの縁を導くものと信じます。