疑いから始まる

鵜飼いの鵜

 先年12月、広島で子どもたちの個性、能力を最大限に伸ばす理想の教育を追求しているみんな天才化機構を取材させてもらい、15歳にして社会の本質を見抜き、世間や周りに忖度ばかりしている学校現場に嫌気が差して学校に行かなくなり、2月末にその思いを本として出版するハルヒトくんのインタビュー動画を撮りました。

ハルヒトくんは自らの力でコロナやワクチン騒動のこと、地球温暖化やSDGsのことを調べ、その真実が学校で教わっていることとは異なっていることに気付き、その疑問点を自分の意見としてレポートにまとめ、それを各教科担任に渡してみんなに配って意見を聞いて欲しいと頼んだところ、その内容の是非を検討することなく、ただ「文科省からの方針とは異なる」の一言で却下されてしまいました。
その後教育現場の姿勢に疑問を感じたハルヒトくんは学校に通うことを拒否し、家庭での学習を続けていています。

ハルヒトくんの雄弁さ、論理性は通常の大人レベルをはるかに超えています。
彼と初めて話をした時は、彼の卓越した知性と感性に強い衝撃を受けました。
けれどその思いは、若干15歳でもこれだけの能力を身に付けることができるという事実、そしてその能力を今の学校教育では引き出すことができないという、その現状に対する憂いへと変わっていきました。

みんな天才化機構ではどのような教育方針を持って子どもたちの指導に当たっているのかを聞く機会があり、その際に示されたスライドの中の一言が心に残りました。

みんな天才化機構

『一旦は全てを疑う』

これは今の学校教育の現場で求められているものとは真逆です。
学校では知識として与えるものを、いちいち疑ったり、その理由を考えさせていたのでは効率が悪く、指導にも手間がかかります。
それよりも与えられたものを丸信じさせ、そのまま受け入れさせ、そのまま借り物の知識として吐き出させるのが今の学校教育です。

頭から入った情報を腹に落とし込む、いわゆる腑に落とすことなしに使わせる、まるで首を強く締め付けるられた鵜飼いの鵜のような状態です。
頭だけ使わせればいいということです。

鵜飼いの鵜

そんなことは、「新たなる生命の時代」「精神と肉体」のところでも書きました。

怒りの感情

今の教育や社会の現場が、物事を深く考察することなく、効率的短略思考を求めているのですから、感情を制御できないキレる若者が増えるのは当然の帰結です。

 

先日2022年1月22日は、コロナ、ワクチンの偽騒動に疑問を持つ人たちによる世界同日デモが行われ、自分たち広島のグループも真実を伝えるべく市内中心部をプラカードを持って練り歩きました。

 

 

実感として、政府やメディアによるコロナ煽り、ワクチン接種推奨に疑問を感じる人が増えてきているのように思われます。
またメデイアの報道姿勢もいよいよ真実を隠しきれなくなったようで、徐々に変わりつつあります。

それでも洗脳の解けないコロナ脳の人はまだまだおられます。
今年の年賀状は、昨年はインドに行くことができなかったので、毎年インドの子どもたちの写真を入れるスペースにワクチン接種警告の画像を入れました。

ワクチン、ダメ、ゼッタイ

それを受けてでしょう。
ある親しい方から「ワクチンを打つかどうかは本人の意志です」とあからさまな批判の言葉を投げられてしまいました。

その方はとても恩義のある方で、以前は極めて親しくしていただいていましたが、エセ・コロナ騒動で意見を異にするようになってからすっかり疎遠になってしまいました。
けれど自分の方針は変わりません。
『生命よりも大切なものはない』
これがすべでです。

国会議員、厚労省をはじめとしたお役人の方、メディア関係者、そういった方たちにも是非同じ思いになっていただきたいです。

 

自分たち真実を知る者にとっては、政府発表の統計数値、簡単な医学的常識、ネットで紹介されている学術論文等、誰にでも目にすることのできる資料から容易に本当のことが分かるのに、なぜそれらを調べようとせず、多くの人が扇動メディアに煽られるままコロナの恐怖に怯え、未知の遺伝子ワクチン接種に飛びつくのか、感覚的によく理解できません。

とにかく疑うことを知らず、周りに従順なことが善であるという教育が行き届いているのでしょう。
彼らはまるで自らの思考回路を持たず、完全に外部からコントロールされたロボットのように感じられます。
またそういった人間を造ることが戦後日本の教育方針であったように思います。

 

高度経済成長期の日本のように、それまでの路線でただ前に突き進んでいける時代なら、物事を深く思考することよりも、ただ効率のみを求めて過去の流れの上を歩んで行くのもよかったのでしょうが、今はすべての価値観が変わっていこうとしている時です。
こういった時代には、これまで価値のあったことに対してもすべて疑いの目を向け、必要であればそれらをぶち壊して新たなものを創造していくことが求められます。

今回のエセ・コロナ禍は、日本に於いてはその民族的弱点が露呈し、真実を知る者にとっては、害悪であるものが明確になり、これから進むべき道筋を強く意識することができた意識改革の機会であったといえます。

『一旦は全てを疑う』

グレート・リセット、禊ぎの時、新たなる未来を創造する時です。

 

I just believe in me.
You’ll just have to carry on.
The dream is over.