数感覚の段階的向上

磁石すうじ盤
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「人生という旅」に書いた女性に、今も学習指導をしています。
彼女はここ広島から遠く離れたところにいるので、時折通って学習方法を指導し、普段は自分自身で学習を進めていくといった形です。

算数・数学に関しては、基礎的な数の概念を大きく量的なものと質的なものに分け、その両方を向上させることを目標としています。
そしてその二つはまったく別のものではなく、互いに深く関連し合っています。

それと同様に、数的感覚と理論もまた深い関係で、ある程度数的な感覚が養われると理論もそれに伴って身に付くという面があります。

足す、引く、かける、割る、基礎的な四則計算がようやくできるという状態では、その上に成り立つ様々な分数計算のバリエーションを理解することはできません。
ある新たな理論や概念を理解するためには、その前段階までのものを十分に理解し、それを感覚として身に付けておく必要があります。

 

算数・数学、国語は道具学問と呼ばれています。
道具学問とは、それをいろんな方面で道具として使うものです。
道具は、それを十分に使いこなせなければ活かせません。

自動車の運転でも、ガチガチに緊張してハンドルを握っている状態では長距離ドライブをすることはできません。
またそれで旅行に出かけても楽しくはありません。

道具学問は積み重ねていく学問でもあり、ある段階までのものを完全に習得、習熟しているがゆえ次の課程に入っても楽に学習でき、理論も自然と身に付いていきます。

知る、分かる、できる。
これは理解の三段階で、知るとは、人から説明を受けるとそれが理解できる。
けれど自分で解くことはできないという状態です。

分かるとは、自力で解くことはできるものの、まだ習熟までには至っていない状態です。

そして最後のできるとは、十分習熟して使いこなせる状態で、道具を道具として十分に活かすには、この段階まで至らなければなりません。
今の学校教育では、この習熟に至るまでの練習量が足りないがために途中で落ちこぼれてしまい、また一旦落ちこぼれてしまうと、道具学問は階段状に難易度が上がっていくために、遅れを取り戻すことはとても難しいのです。

 

数感覚、特に数の量的感覚を身に付けるのは数の世界の最も根底です。
それを養うための教具として、自分の知る限り磁石すうじ盤に勝るものはないと考えます。

彼女に対する指導は、まずこれをすることが絶対条件です。
最初は数字の書かれた盤の上に戸惑いながらかなりの時間をかけて磁石の駒を置いていましたが、今は着実に手の動きが速くなり、100の表を五分台で置けるようになりました。

自分も彼女が継続してすうじ盤を実践してくれることを願い、家で100の裏面、数字の書かれていない方に駒を置く練習に日々励んでいます。
いまのところ最高タイムは2分10秒で、続けてやっていると少しずつ脳の処理能力が向上してくるのを感じます。

すうじ盤は公文式のメインであるプリント学習を補佐するための教具です。
公文のプリント学習は、その子どもに合った最適のところ、学校で習っているところよりもかなり易しい、それこそ鼻歌交じりで百点が取れるようなところからスタートし、その子の習熟度合いに応じ、同じく楽々の状態で進度を高めていけるように復習回数を調整するところが公文式指導法の最高の価値であり、ノウハウです。

今の自分は公文式の教材を使うことはできませんが、小学校高学年より下ぐらいまでの段階であれば、そこで培う数感覚は十分すうじ盤学習を徹底することで代替できると考えています。
それは以前公文に勤めていた時に実際に教室で体験したことに基づいていて、もしそうできたなら、より一般化できて素晴らしいことです。

ただすうじ盤の唯一の欠点は単調であること、それゆえに飽きてしまって続かないことです。
それをいかに克服するか、それが最大のポイントです。

 

二ヶ月前に学習を始めた当初、彼女はほとんど九九を言うことができませんでした。
小学校で九九を習った時は、何度練習しても覚えることができず、そこで諦めてしまったようです。

けれど日々のすうじ盤学習で数の量的概念が身に付いてきたこともあり、単語カードで九九のカードを作り、これもすうじ盤同様毎日必ず一通りカードをめくって練習するようにしたところ、今ではほぼスラスラと言えるようにまでなりました。
ところどころ頭が混乱してつかえるところもあり、これは今後も継続して学習していかなければなりません。

九九ができたなら、小さい数字ならば最小公倍数を求める計算もできるだろうと考え、まずは1から50までの最小公倍数のカードも作ってもらいました。
表に青色で数字を書き、裏面に赤でその数字を素因数分解した式を書きます。

素因数分解カード

自分の考えでは、すうじ盤で数の量的概念を培い、九九もある程度スラスラと言えるようになったなら、少しずつでも数の質的な概念を養う素因数分解の学習に入っていけるものと考えていたのですが、そこには大きな個人差があることを知りました。

たぶんどのような分野でも、それを得意とする人は「一を知って十を知る」ことができるのだと思います。
けれどそうでない人は、一を知って1.5か2、その程度の細かいステップで理解が進んでいくようです。

彼女の場合、素因数分解はまだかなり難しい状態です。
素因数に分解するというのは割り算で、割り算は暗記をする九九とは異なり、また別の感覚を要します。

そこでその前段階として、九九の逆ができるのかをテストしてみました。
3×6=18は答えることができるので、その逆に18は何をかけたものかを聞いてみたのです。

するとこれもやはり難しいようです。
18=3×6さらには18=2×9であることを理解してもらうため、逆九九もカードを作りました。
上のカードの表には青色で9、下のカードには24と書かれています。

逆九九カード

下のカードは最初に4×6と書き、表に青で24と書きます。
そしてその後でかけた答えが24になるのは4×6以外にも3×8があるので、それも小さく裏面に書き加えています。
つまり表が24と書かれたカードは二枚あり、4×6、3×8、それぞれが大きく書かれ、逆に3×8、4×6が小さく書かれていて、大切な合成数は一通り学ぶ中で二度出てくるようになっています。

ただこれもやはりまだ難しく、最も基本である九九を新たな形で学び直すことにしました。
それは二の段から九の段までを続けて数字を言うことです。
二の段なら2、4、6、8、10、12、14、16、18というように、これを九の段まで八枚のカードを作り、九九のカードに混ぜて使うことにしました。

九九カード

これも最初は苦労しましたが、これは九九同様、慣れることによって少しずつ淀みなく言えるようになり、現在後一歩といった状態です。

 

理論、理屈は教えるものではなく、感覚を身に付けて自ら感じ取るものです。
これは学習する上で基本として守っているものですが、なかなか感覚と理論が結びつかない彼女には、その理論を感じ取るためのアシストとして、理論を教えるのではなくあくまでもそのヒントとなることを、すうじ盤を使って少しだけ示しました。

 

例えば、二個の駒が二つ重なったら四個、つまり2×2とは2+2と同じこと、二の倍数、つまり偶数はひとつ飛ばしでキレイに並ぶこと、九の倍数は10×10の盤面上では斜めに並んでいくこと、そのようなことすべてを理解するのは難しいものの、分かる分からないに関わらずサラッと簡単に説明だけしてみました。
つまりコーヒーブレイクのような感覚で、あまり説明がくどくなると自ら学ぶ姿勢を阻害し、また説明自体が楽しくなくなります。

こういった説明をする時にもすうじ盤はとても便利です。
また便利であるがゆえ、ここに駒を並べていくことで自然と数字のつながりを理解していくことができます。

 

彼女への指導を通し、理解の仕方、その進み方は人によって大きな差があるということを知りました。
そしてそれと同時に、着実に理論通り段階を追って学習していくと、少しずつでも確実に進歩していくのだということも知りました。

彼女とは国語の学習も進めています。
日本の国語は日本語で、ひらがな、カタカナ、漢字、それらが入り交じった世界の言語の中でも利便性が高い分だけ難易度はピカイチです。
それを日常会話としてほとんど困ることなく使いこなしているのですから、算数の九九やその応用など、練習を繰り返せばできないはずがありません。

自分はそう強く信じますし、また彼女にもそう伝えています。
さらには周りの大人たちにもそう考えてもらうように話をし、生徒は指導者や周りの期待や予測通りに成長していくというピグマリオン効果の話をさせてもらいました。
<ピグマリオン効果 – Wikipedia>

『千里の馬常にあり、名伯楽常にあらず』
千里を一気に駆け抜ける能力を持つ馬はたくさんいるが、その能力を引き出せる名伯楽(名指導者)はなかなかいないという意味です。

自分も彼女から人間の持つ認知能力の発達の仕方、その多様さを学ばせてもらい、名伯楽への道のりは長いものの、よりよい指導者になれる方向へと導いてもらっています。

 

自らの覚書のようなつもりで書いてみました。
これがどなたかの学習指導される際、少しでもお役に立てれば幸いです。