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2019年2月26日 ・・・ 今と未来

最近思いの置きどろころについて、
ひとつ腑に落ちることがあり、
それをシェアさせていただきたいと思います。


心の迷いはどこから生じるのか。
心理学者アドラーは、
「人間の苦しみのすべては対人関係から生じる」
と語ったように、
自分の外側、周りのもの、周りの人たちに意識の中心を
持っていくこと、これがひとつです。

もうひとつは過去を憂い、未来を案じる、
もう過ぎ去ってしまったこと、
また訪れていない先のことに意識を向け、
今という時から目を逸らすこと、
心の迷いはこの二つから生じます。

つまり今この時、この場所というただ一つの原点を見つめること、
これが心の迷いを消し、
正しく物事を見つめる最も大切なことである。
これは多くの宗教やスピリチュアルな世界でも説かれていることです。

このことを考えながら、
さきほど永平寺の修行の様子を報ずる動画を見ていました。


永平寺は深山幽谷の中にあり、
日々の座禅を含め、生活すべてを作務ととらえ、
一日のすべてを厳しく定められた規律の中で過ごします。

生活すべてが修行であり、
その一瞬一瞬を見つめる、
これはまさに今この時、この場所、
そこに強く意識を置くための行と言えるでしょう。


これは深い真理ではありますが、
普通の人間にはなかなか実践するのは難しいものです。

また形だけそれができたとしても、
足下だけを見て歩いていると、
ほんの目の前にある石につまづいてしまったり、
また過去の足跡を辿るとジグザグ歩きをし、
あらぬ方向へと進んでしまうこともあるかもしれません。

深く真理を見つめ、実践するということは、
それに応じてその人自身の器も大きくなる必要があるのだと感じます。
またそうでなければ、その状態を続けて保つことはできません。


この時、この場所を見つめることとは対極的な、
先の目標をしっかりと持ち、
それを常に意識するというものがあります。

そしてその目標は具体的なものがよく、
具体的な目標であればあるほど、
その目標は実現されやすいとも言われています。

目標設定の大切さを説く本に、
このような事例がよく紹介されています。

アメリカのエール大学で行われた調査によると、
卒業生の3%は将来の目標を明確にし、文章化し、
13%は目標は持っていたものの文書化されておらず、
残りの84%は目標をまったく持っていませんでした。

そして20年後に追跡調査をしたところ、
目標を文書にしていた3%の人たちの総所得は、
残りの97%全員の所得を合わせたよりも大きかったのだそうです。


なるほどこれはよく納得できます。
やはり具体的で大きな目標があった方が、
日々の行動が律せられ、無駄なく目標実現に向かって進んでいけます。

少なくとも悟った仙人のような人でない限り、
この目標を持つということがよりよく生きる上で現実的なような気がします。


ではなぜこのような対極のことが言われるのか・・・、
と思いましたが、
よく考えてみればこの時空はすべて相対関係で成り立ち、
対極のものが合わさって太極になる、これが真理です。

では、今この時、この場所に意識を向けることと、
未来に目標をすえ、どう歩んでいくのかということ、
これはどういう関係なのかと思案してみたところ、
これは人体に於ける脳と腸の関係と似ていることに気がつきました。

脳と腸は身体の中心軸の上端と下端、両極端のところに位置し、
フラクタル(自己相似形)であり、
脳は表面的な意識と感覚を司り、
腸はより深い思考に影響を与えるという、相補的な役割を果たしています。


つまり、まずは脳の部分である、
今この時、この場所、ここに意識を向けて心を安定さすためには、
腸の部分である生き方とか人生目標、
そういった根底がしっかりしていることが求められる、
こういう関係ではないかと感じます。

禅の世界で今だけを見つめる、それを徹底して追い込み、
それで究極の世界を目指していけるのは、
豊かな自然環境の中で厳しい修行に明け暮れ、
肚(はら)が座り、その人の生き様がしっかりと確立されるという、
腸の部分ができているからだと思われます。

その肚をすえ、生き様を確立する別の手段として、
しっかりとした目標設定があるととらえることができます。


もっと細かく具体的に見ていくと、
たとえば高校生で、
将来は医者になりたい、弁護士、教師になりたい、
そんな目標があったとします。

こういった目標は、肚にすえるものではなく、
脳と腸の中間にある胸に抱くものでしょう。

肚にすえるものはもっと深いもの、
医師、弁護士、教師を手段として世の中に貢献したい、
多くの人に喜びを与えたい、
こういったより根底となるものです。

こういったことを肚にすえ、
そのために○○大学に合格したい、資格を取りたい、
こういった身近で具体的な手段、目標を胸に抱きます。

そうして頭の中の脳では、
今この時、目標に向かって懸命に参考書を開いて集中学習するのです。

将来何になりたいのか、
進学するのか就職するのか、
そんなことすら決まっていなければ、
今に意識を集中することはできません。


まずは肚にすえた確固たる生き様、人生哲学、
あるいは具体的な目標を持ち、
その上で意識的に計画したものに沿うなり、
または無意識的に肚の導くままに今を生きるなりする、
これが人体の構造から見た理想の意識、無意識の持ち方です。

そして今の日本人は体幹の力が弱く、
背筋が曲がり、肚(お腹)に力が入らないのですから、
どうしても高い志を持つことができず、
刹那的な生きてしまう傾向があります。

これは肉体と精神が深い関わりを持つという事実から考えて、
ただ訓話を垂れる意識教育だけで解決できる問題ではありません。

意識教育の根底には真の身体作りのための体育が必要であり、
日常生活から下半身を鍛錬したり、
腹式呼吸をしたり、植物性発酵食品を多く摂るため食生活を見直したり、
生活すべての面から見直す必要があります。

まさに下界版簡易版永平寺の行と言えるかもしれません。
便利で快適ではありますが、
現代人の生活はそれほどすべてが乱れています。


自分自身も最近は生活リズムを見つめ直し、
人生に於ける大きな志を実現させるためには、
どう日々の生活を律するべくか、
そのことを深く考えるようになりました。

そして考え、実践することによって理想の生活リズムに一歩近づき、
一日の中で「こんなことをしていていいのだろうか・・・」
という迷いが少なくなり、
より今この時、この場所に意識を集中することができるようになりました。

これは日々生きていく上でとても大切なことです。
いつか項をあらためて詳しく書きたいと思います。

2019.2.26 Tuesday  
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