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心の掃除

スピリチュアルとは目に見えない世界の総称であり、
今はその目に見えない、精神性を重んずる生き方を志す人が増えています。、

けれど実際には目に見える世界と見えない世界は表裏一体、陰陽の関係であり、
鏡に映った自分の姿が実際の自分と相似であるのと同様に、
見える世界と見えない世界は深い関わりを持っています。

しかしながらその二つの関係は複雑です。
物質的豊かな人が、必ずしもそのたくさんのものから
多くの心の喜びを享受しているとは限りません。
またその逆に、物質的に貧しいがゆえ、
ものの有り難みを強く感じて生きている人もおられます。

そして目に見える世界と見えない世界は深い関連性があるがゆえ、
互いに学び合う関係にあり、
多くのことを学び、感じ取りたいがゆえ、
二つのバランスを大きく崩していることもよくあります。

人類を含む生物全般の進化と同様、
大きな進歩、発展のエネルギーは、
安定が崩れた不安定さの中から生まれるものです。


そんな中でも、目に見える世界から、
その人の目に見えない心の内がよく表れていると感じることが多々あります。

ちょっとした立ち居振る舞い、服の着こなし、顔の表情、食事の仕方、
そんなところから、その人の隠すことのできない心の様子が垣間見れます。

高価なブランド服で身を包んでも、
どこかに卑しさがにじみ出てくる人がいる反面、
ボロ服をまとっていても、凜とした心の姿勢を感じさせる人もいます。

やはりこの時空はすべてフラクタル(自己相似形)であり、
一見すると形は違って見えたとしても、
ひとつのものから表れたものは、みなその根底には共通したものを持っています。


人の心の様子を最も端的に合わすもののひとつが、
その人が暮らし、働いている空間、部屋の状態です。

ものがたくさんあるのかどうか、
それらがキチンと整理整頓されているかどうか、
必要なものが必要な時にすぐに使える状態になっているかどうか、
いらないものがそのままになっていないかどうか、
ホコリは積もっていないか、清潔さは保たれているか、
そもそもその人の部屋にはどういったものが置かれているのか ・・・ 。

こういったことを見ていくと、
それらがその人の心の中の状態を如実に反映しているということがよく分かります。

ですからガラクタを処分し、部屋を掃除することの大切さが
スピリチュアルを志す人たちの間で大きなブームになっていて、
掃除をし、モノを整理整頓することによって、
多くの人が心の幸せを得ています。

目に見えない心の世界にアクセスするには、
その対極である見える世界を変えていくことが、
具体的で大きな力を持つのです。


部屋は掃除、片付けをすることによって快適な空間になり、
心の中もそれと同様に、感情や思いといったものを手放すことによって、
より大きな幸せを感じられるようになります。

普通部屋にはものがたくさん置かれていて、
それらを一気にすべて片付けてしまうことはできません。
けれど少しずつ明確な方針を持って片付けを進めていくと、
確実に部屋は快適な空間へと変わっていき、
その過程で、その進み具合を喜びとともに感じ取ることができるようになります。

そしていつしか部屋の中は最初とは見違えるほどキレイで快適になり、
ただ部屋の中にいるだけで喜びに満たされるようになります。
それはその部屋の状態が完璧である必要はありません。
自分がそれに満足できているのかどうか、それが最も大切なポイントです。


心もこれと同様であり、心の中にある手放すべき感情、思い込み、
それらを解放し、ゴチャゴチャになっている思いを整理していくと、
心の底から自然と喜びが湧き上がってくるようになります。

この心の中を掃除してキレイにしていくこと、
つまりは心を元の素のままの状態に戻していくことが
スピリチュアリズムの本質であり、
大きくは、人間が生きていく目的そのものであると感じます。


部屋を掃除するというのは、部屋をキレイにすることが目的です。
ですから部屋の片隅のゴミ、あるいは壁の汚れを見つけ、
それらをキレイにすることができた時には大きな喜びを感じます。

心の掃除も同様です。
心の中にこれまで気づかなかった感情や思いという汚れを見つけ、
それを手放し解放することができたなら、
本当に心の底から温かい喜びの感情が湧いてきます。

けれど目に見えない心の世界は目に見える部屋の掃除とは異なり、
簡単に汚れを見つけ出すことができません。
さらに言うならば、偏見や思い込みといったフィルターでもって、
汚れを汚れであると気づかない場合も大いにあります。

その汚れに気がつく、自らの至らなさを感じることができる、
これができるのが本当の意味での賢い人です。
そしてそうなるためには、自分を深く見つめること、
そして自分の周りからも学び、
人の言葉にも正しく耳を傾けなければなりません。

「○○さんはいい人だね」
「貴方のお陰で助かりました。本当にありがとう」
他人から高い評価を受け、感謝の言葉をもらうのは嬉しいものです。
これは心の掃除に例えるならば、
部屋のきれいな部分を見てもらい、
そこに向けていい言葉をもらうことに相当します。

それとは逆に嫌な事があったりマイナスの評価を受けるということは、
まだ掃除をしていない汚れた心の部分にスポットを当てられ、
それに対して厳しい言葉をもらったようなものです。

けれどこのマイナスの言葉こそが、
自らを振り返り、心の汚れをキレイにしていくためには
なくてはならない大切なものです。


「セドナメソッド」で日々感情を手放していくと、
最初は少しずつ心が軽やかになっていくことに喜びを感じるのですが、
それが進んでいくと、次第に何を手放していいのか、
手放すべきものは何なのかということが分からなくなってきます。

そこまで進んでいくというのはもちろんいいことではあるのですが、
そんな時、ふとしたことで自分の心の醜い面を見たり、
他人に対して許せない感情を抱いたりすることがあると、
「ヤッター!!こんなところに手放すべき感情が残っていたのか!!」
と、嫌な事があったにも関わらず、逆に嬉しくなってしまうのです。

海の上を風を受けて走るヨットは、
順風の時は帆を大きく張って順調に走ることができます。
また逆風の時も、帆と船体の向きを上手に調整することによって、
斜めではありますが、少しずつ前方に向かって進んでいくことができます。
進めないのは無風の時です。
変化を生むためには何らかの力が必要です。

松下幸之助は、創業当時、お客様からクレームがあると、
その言葉に対して満面の笑みで耳を傾けたそうです。
なぜならば、クレームとは、お客様からいただく改善提案に他ならないからです。


自分の心の中の醜い面、手放した方がいい感情や考え方、
そういったものは、よく観察すれば、
生活のほんの何気ないシーンからでも感じ取ることができます。

乗り物に乗るための列を作っている時、
横断歩道で信号待ちをしている時、
飲み会の時の料理の取り分け方、
電話での友人との会話、・・・・
ほんのささいな動作や言葉遣い、
そんな中に自分のどんな心の様子が表れているのかを深く観察するようになると、
以前よりも自分の心の姿がよりハッキリと見えるようになり、
自分がいかに至らない人間であるかということが、
よく分かるようになってきます。

そしてその自分の至らなさが感じられると同時に、
『人間はみな不完全である』という “真理” もまた心に染みてきて、
自然と他人をも許せる気持ちになってきます。

「人を裁く」という思いは、自らをも不幸にする大きな源ですが、
その思いが、自分の至らなさを知ることによって自然と消えていくのです。
これは一般論かどうかは分かりませんが、自分の場合はそうでした。


そうすれば他人との関係で大きな嫌な事があった時も、
まったく落ち込む必要がありません。
みな心の中に不完全なものを抱えていて、
その時はたまたまそれが露呈しただけであり、
それが顕在化し、気づかせてもらえたのはラッキーだと考えればいいのです。

心の部屋の中のキレイな面ばかり人様に見てもらい、
誉めてもらってばかりいてはなかなか掃除は進みません。
たまには大いに汚い面を暴き、
それを掃除するキッカケを作ってもらった方が、
しっかりと自己成長できていいのです。


とは言うものの、嫌なことを喜びを持って受け入れるというのは、
なかなか簡単にできることではありません。
自分は五十数年間生きてきて、ここ最近それがようやくできるようになりました。

ではなぜそれができるようになったのか、その要因を考えてみました。

ひとつは、心の中の世界がすべであり、
それをよりいい方向に持って行くことが、
生きる最大の目的であると深く得心できるようになったこと。

二つ目は、起こることはすべて自らが望み、創造し、引き寄せたものであると、
喜びとともに感じられること。

三つ目は、人間はみな至らぬ存在であることを知り、
その至らなさは遅かれ早かれいつかは露呈するものであり、
ならば少しでも早く露呈し、
それをいち早く自覚、改善する方がいいと考えること。

四つ目は、嫌なことから自らの反省点を見つけ、それを糧とし、
それを解決することができ、自分をよりいい方向へと進めていけるという
自信ができてきたこと。

五つ目は、嫌なことに出合っても、
それでもって深く落ち込んだり悲しんだりすることが、
以前よりも少なくなったこと。
  (それでもちょっとは落ち込むこともあります・・・、人間ですから)

以上、こういったことが要因としてあるのだと感じます。

ではどうすればこの五つの項目ができるようになるのか、
それはとても一言で言うことはできませんが、
確実に言えるのは、常に頭の中にこれらのことを置いておき、
こうなりたいと願っていれば、
何も考えないよりはより早くその状態に近づけるであろうということです。

そして心の掃除という “喜びの成功体験” を積み重ねていくことが、
それに至る近道だと感じます。


部屋の掃除も心の掃除も本当に楽しいものです。
掃除をしてキレイになった状態は大きな喜びですが、
それを進めていく過程にもまた同様の楽しさがあります。

人生楽しく過ごし、すべてを己の糧とし、明るい方向へと進んでいく、
その時の間違いのない指針となるものが掃除、片付けであり、
その中で現れてくるのが “シンプル” という言葉です。

これは掃除を進めた人なら誰しもが感じることだと思います。
一般的に掃除を進めていけばものは減る方向へといきますが、
たとえものが減らなくても、
すべてのものの整理整頓が進み、
身近なところは大切なものだけになり、
それらがすべて必要な時にすぐに手に入るようになったなら、
自分とものとはより密接な関係になり、
それはより太くシンプルなものへと変わっていきます。

ものが少ないにも関わらず、どこになにがあるのか分からない、
いつもいろんなものやことが頭や部屋の中で錯綜していれば、
ものと自分との間に本当に理想的な関係は築けません。

身の周りにものが大量にあふれ、情報化時代の今だからこそ、
その対極にあるシンプル、あるいは骨太といった言葉が重みを増してきます。

すべてに於いて言えますが、
深い真理とは実にシンプルなものです。


こんなことを書いていると、また無性に部屋の中が掃除したくなってきました。
部屋を掃除し、そして心の中を掃除する、
この二つは陰陽であり、相互作用をする関係だからこそ、
まるで二人三脚で左右の脚を交互に出すが如く、
一歩ずつ互いに進んでいくのだと、自らの経験を通して感じます。

自分もそうですが、ものに執着のある人は、
なかなか不要だと感じるものでも捨てられません。
けれど心の中の掃除が進んでいくと、
不思議と執着のあったものでも手放せるようになってきます。

嫌なことがあってもそれは学びの材料として快く受け入れられる、
それはまた、不要なガラクタを快く手放すことができるということに通じます。

どんな出来事、感情も、またどんなものであっても、
すべては価値のある存在です。
それを深く感じ取ることができるから、
それらをそれまで持っていた役割から解放し、
手元から手放すことができるのです。


すべてのものは関連し合っているので、
思いつくままに書いているとキリがありません。
けれどその頭の中に湧いてくる思いもここでいったん手放します。

モノと心の掃除、一生かけて少しずつ楽しく進めていきます。

2015.11.4 Wednesday  
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