ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



贖罪<2>

これまで心の中で第一に考えてきたトイレ掃除から
一歩身を引くことを決意し、
心の中も現実世界も大きな変化が現れてきました。

トイレ掃除から身を引くのは、
そこから離れることが第一の目的ではありません。
これまでの『トイレ掃除をすることで心磨きをしている』
という意識を捨てることで、
それに隠れて見ようとしなかったもの、それに目を向け、
自分にしかできない、自分が本当にしなければならない心磨きとは何かを見つけ、
それを実行していくことが真の目的です。

トイレ掃除はダメだとか、
心磨きは必要がないと考え離れるのではないのです。


トイレ掃除はやはり素晴しい心磨きの手段です。
そこから身を引くということは、
それ以上の価値あるものを見つけなければならないという課題を
己に突きつけることであり、
これは自分にとって並大抵のことではありません。

いつも書いていることですが、価値とは相対的なものです。
自分というものが中心となり、
そこからすべての価値が生み出されます。

最高の価値あるものは外に歴然と存在するのではなく、
自らが、自らの意志で創造するものです。


やはりタイミングというものがあるのでしょう。
トイレ掃除から遠ざかることを決意し、
心の中の隙間を埋めるべく何らかの力が働いたのか、
八年前から心の負担となっていたある大きな闇を、
ひとつ解消することができました。

これはそれを解消できる条件が整っていたということもあるのですが、
心の闇を間接的にではなく、真正面から見つめ、
解消していこうと決意したことに対する報償であろうと感じます。

多くの人が、心の中に大なり小なり闇を抱えています。
その闇を間接的に解消していくのも素晴しいことですが、
最も尊いのは、その闇と真正面から対峙していくことです。


前項でも書いたように、
これを機会に完全にトイレ掃除から離れるわけではありません。
会の運営にも責任と役割があり、
それは今後も継続して果たしていくつもりです。

その中で、「トイレ掃除から遠ざかる」と決意したことで、
『トイレ掃除をしていたら自動的に心が磨かれる』、
『他の場所で犯した罪をここで解消することができる』
という消極的、責任転嫁的思考を捨て、
これまで以上に無心でトイレ磨きに取り組めるようになると思います。
またそうならなければなりません。

たぶんこれが、より深いトイレ掃除の本質でしょう。


尊敬するハガキ道の坂田道信先生は、
『生きるっていうのはね、魂を磨く作業なんですよ』
と言われます。

誠にその通りだと思います。
そしてトイレ掃除はそのための重要な手段ではありますが、
私はそれを自らを護る冠や鎧のようにしてきたように、
今になって感じます。

今の私は冠や鎧を取った裸の王様です。
裸になって、本当に身に付けなければならない、
自分の体にフィットする服は何なのかを探しているところです。

服を選ぶのは楽しい作業です。
自らの人生を、自らの意志と行動でドレスアップしていきます。

2012.4.28 Saturday  
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